追憶



 いつから己の人生を演じ始めたのか、そんなとりとめもないいたちごっこの延長線を思うことがある。人間をやめてしまったからといって生きていることに代わりはないので、少しばかり時間を割いて物思いに深けたとしてもバチは当たらないだろう。というか、黒兎(こくと)になってしまったこと自体が今までの自分の行いの罪そのものだとすら思える。
 成り立ての頃は感じた、頭上に感じる違和感にももう慣れてしまった。意識すれば自由自在にすら動かせる。ぴっぴとまるで本物のウサギのように反応するこの忌まわしい大きな耳は、黒兎に成ると同時に授けられたものでもある。
 目につくこいつは、人々が嫌う黒兎神(こくとしん)から貰い受けた呪い。町に出れば「黒兎神の代行者だ」と石を投げられ罵声を浴びせられた。一体僕が何をしたと言うのやら、まったくもって酷い話である。
  確かに黒兎神は多くの神話で疫病を司るだの、災厄をもたらすだの、人食いだのとあんまりな扱いを受けているが、少数は縁結びや子守神と崇められるべき箇所もあるというのに。
 人間は影響されやすく、ここまで視野が狭かったのかとほんの少し落胆した。と同時に、僕もそのうちの一人だと、そして同種族が周りにあふれているとあんなにも安堵できるのだという快感に自己嫌悪した。汚らわしい。吐き気が今すぐにでもこみ上げてきそうだ。

 そう考えると、黒兎に成ってよかったのではないかと、思考の変化が生じる。死ぬことはこの通りできなくなってしまったし、相変わらず人目を避けて薄汚い廃館で何をするでもなく過ごしてはいるけれど、現状は満たされている。個性的な仲間(と呼んでいいのか疑問だが)にも巡り会えたし、自身にはない大切なものにも気づけた。 とすれば、一生、このまま、世界が終わるその時まで遠目で眺めていられればいいのではないか。

 ここまで思案して、僕は正気に返る。まだ人間だったあの思い出を思い描く。僕がいたばかりに逝ってしまった愛しい人。ずっとそばにいると誓い続けた彼女の声色が、鮮明によみがえる。か細くなったその手を、ずっとずっと握りしめていたあの日。僕から彼女を奪ったこの世界を、恨んだあの日。あの日に初めて、黒兎に成ったことを後悔したのではないか。
 そうだ、これは断罪だ。贖罪だ。そして僕は堕罪したのだ。忘れてはいけない。これ以上、もう何も失う日々が訪れてしまわないように、僕が僕を殺さなければならないのだ。
 そのためにも、僕が僕で在り続ける限りは、へらへらと気色の悪い微笑をたたえたまま他者に陵辱される環境を守らねばならない。――黒兎に成ったことと彼女の死が関係するのかどうかは最早わからないのだけれど、それでも馬鹿らしく善行を積んでいかなければならないと理性が語りかけてくるものだから、仕方ないだろう。
 きっと彼らは知るよしもないのだ。仲間と親しんでいる者の一人が、利己的な感情に振り回されているということすら。
そしてそのせいで彼らが、幾度となく死に損ねていることを、死にかけていることを。
 狂気染みていることは自覚している。し、できる範囲で自重はしている。自嘲もしている。人間だった懐かしい過去の憧憬に思いを馳せる。多くの人を裏切ってまで、その糸を断ち切ってまで己を罰するこの姿勢には我ながら反吐が出そうだ。……穢らわしいよね、本当に。

「すぐに逝くから、もう少しだけ待っていてね。……大好きだから」

 虚空に語りかけて、そっと胸に手を当てる。忌々しくも優しく脈打つ僕の心臓は、生命の息吹を伝えてくれる。あまりの邪魔臭さに、しおらしくもため息が漏れた。

「どうせみんな、滑稽なおとぎ話に過ぎないのに」





2013/06/19
執筆日は5月30日でした。



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