電子王



 爽やかな平穏が、満ちていた。
 自分以外のメンバーは、みな情報収集や食糧集めに出掛けており誰もいない。普段は騒々しく煩わしいこの屋敷も、六人が欠けてしまえばしんと静まり返るものなのだ。
 そんなことを心の片隅で呟いて、眼鏡をかけた目付きの悪い青年の黒兎――通称ライは、くたびれたソファーにうつ伏せに寝転がってパソコンに何かを打ち込んでいた。
 画面いっぱいに表示されているのは、人間の耳の代わりに猫の耳を頭に着けた童顔の美少女。アニメチックなそのイラストは彼がキーボードを叩くたびにコロコロと表情を変えている。
 ライは仲間がいないのを良いことに、男性向け恋愛ゲームに勤しんでいた。

「あーかわええ……猫耳は正義だろいやマジで」

 邪魔な奴等が消えてくれて助かった、そう呟いて口角をつり上げる。久々にこういったものにありつけた彼は喜びを抑えきれていなかった。足をゆっくりばたつかせて鼻唄混じりにゲームを黙々と進める彼は、今まさに幸せの絶頂にいた。
 けれどこの安寧もこれまでで、彼は耳をつんざくけたたましい爆撃音に機嫌を一気に悪くすることになる。
 視界の端に映ったのは目も眩むほどの爆発シーンだった。どうして爆発したんだ、と考えるよりも先に素早く立ち上がりパソコンを持ち直す。慣れた様子でぴんと神経を張り詰めて、その大きな、主張して止まない耳を立てた。下品な笑い声が届く。
 何もこのような体験は、今に始まったことではない。黒兎は人々から厭まれている存在だ。賞金首としてかけられることもおかしくはない。
 ということはつまり、自分達の命を狙ってやってくる連中がいるということだ。こちらは何もしていないのに(といっても黒兎でなかった頃のことを問われると口ごもる他ないのだが)、やれ災厄だ不幸だと騒ぎ立てられて生きる自由すらもままならないだなんて、理不尽にも程がある。
 眼鏡の奥に潜む二つの眼は、訝しげに細められた。煙が晴れていくと同時に、爆発を仕込んだ者共の姿がゆっくりと露になる。

「あれ? もしかして一人しかいないの?」
「あー……くる時間しくったか。まあいいだろう、こちらの方がやりやすい」
「それもそうだ」

 殺人に手慣れているのだろうか、その口調は行動とは裏腹にやけに軽く感じた。一人は痩身で身長の高い、脆そうな男。もう一人は、肩にロケットランチャーのような銃器を乗せている、大柄で少し肥えた男だった。
 相手にするのも面倒だという堕落した気持ちと、折角の休息を無下にされたという純粋な憎悪がライの胸の内でふつふつとこみあがる。しかしこちらが動くよりも先に、痩身の男がライの背後を取っている方が幾分か早かった。
 しまった、と心中で呟く。力付くで床に顔を押し付けられる。両腕は背中に回されてしまった。恐らく気の利いた情報屋にこちらのネタを聞いてきたのだろう、能力を使わせまいとするその行為にライは思わず焦りを覚える。

「悪いな、お前らに恨みはないんだが……、金が欲しいわけだ。理解できるか?」

 大柄な男が歩み寄ってきて、そう言い捨てた。遠慮もなしに頭を思い切り踏みにじられる。頬に小石がめり込んで僅かに痛みが走った。

「……あー、はい……そうっすよね……俺ら殺すと、金になるっすからね……」

 関わりたくないと糾弾したくなるのをぐっと堪えてそう返せば、男二人は顔を見合わせたのちに笑い出す。ライが冷静に返事したことを滑稽に捉えたらしかった。

「え、何こいつ? 自分の立場わかってるワケ? アンダァスタアァンド?」
「やめておけ、こいつは確かジャポネーゼ籍だ。言葉は通じている」

 挑発じみた声色が上から降ってくるも、それを大柄の男がやんわりと制した。ライは内心穏やかではなかった。というよりも、余裕が薄れていたのだ。彼らは自分が人間だった頃の国籍を知っていたのだから。
 今までに己らの命を取りに来た者は、ここまで念入りに調べてはいなかった。今回やってきた彼らもそれに当てはまるとなめ腐っていた。じわりと冷や汗が溢れる。
 けれどライは、まだ余裕を捨てきれずにいた。何故ならライは黒兎だ。つまり、不死身といっても過言ではない。再生不可能なまでに身体を破壊されてしまわなければ、重体には至ろうにも死なずに済んでしまうのだ。
 せいぜいいたぶって諦めて帰るがいいさ、と自嘲じみた笑みを口に浮かべる。それを見ていた大柄の男は、見透かした態度で言い放つ。退路はないのだと言わんばかりに。

「そうか、こいつが俺達に恐怖を感じないのは、俺達がこいつらの弱点を知らないとでも思い上がっているからなのか」

 刹那、ライの耳がぴくりと反応した。痩身の男は喉の奥で笑いを噛み締めて、続く。

「そりゃ抵抗もしないよなあー……おい黒兎ちゃん? コレ、なーんだ?」

 ぴたりと頬にあてがわれたそれは、黒兎が唯一対応しようのない「黒曜石」で出来た一本のナイフだった。突き刺された訳でもないのに、ライは小さく呻いてそのナイフから離れようと身をよじる。刃に触れた頬は火傷痕のように赤黒く変色していた。
 先程までの態度とは打って変わって、ひゅうひゅうと呼吸音を口から漏らし息苦しそうに肩を揺らす。その様が更に面白かったのだろうか、ライを拘束している男は一際大きな笑い声をあげた。

「ああ、やはりこれには敵わないのか」

 さも興味無さげに、目の前の大柄な男は呟く。それから目で痩身の男の方へ目配せした。ライは胸に感じる圧迫感に眉を寄せる。

「これなら、君達を簡単に殺せちゃうんだろ? そうなんだろう?」

 言い終えるよりも先に、黒刃の牙がライの首筋を貫いた。肉が焦げるような音と共に、薄暗い煙が漏れる。刃物を退ければ、そこには綺麗な切り傷が出来上がっていた。それが再生する様子はない。
 ひゅう、と痩身の男から口笛の音が響く。気分が良いのか、感情の赴くままにナイフをライの至るところに突き刺していく。何度も、何度も。
 そのたびにライは耐え難い声を漏らし、喘ぎ、えずいた。次第に体から力が抜けていき、掴まれていた両手の感覚すらわからなくなっていく。暫く感じていなかった死への恐怖が、胃の底から泉のように沸き出る。大柄な男はライが反抗しないかを見張っていたのだろうが、早々に弱り果てた彼を見て完全にそっぽを向いてしまった。

「あの黒兎ちゃんがこーんな石っころ一つで可愛いウサギちゃんになるなんて、世間様が知ったらますます立場無くなるねぇ?」

 どすり、と下腹部に深くその刃がめり込んだ。焼ける音と鼻を馬鹿にしてしまいそうな煙の臭いに、脳みそまでやられていく。
 意識が混沌としてきた頃に、痩身の男はもうライが完全に抵抗しないことを悟ったのか、拘束していた両腕をそっと手放した。
 その時にライがにやりと笑ったことに、男は気づけなかった。

 視界は暗転する。二人の男は突如、体が重力にでも押し付けられた感覚を味わうこととなる。地べたに額を押し付けて、けれど何事かとライの方を目だけで見やった。そこには傷付いて全身からほとりと血を流すも、冷めた様子でゆっくりと起き上がるライの姿。そして彼の周りには、大量のスクリーンが浮かび上がっていた。

「油断大敵っつう言葉……知ってますかねぇ……?」

 ずれたヘッドフォンをつけ直しながら、彼はぽつりと呟く。空いたその指先は軽やかに文字列を刻み続けていた。

「俺だって死にたくはないんで、伏線的なもんは一応張らせていただいてるんすわ……だって死にたくないし」

 独り言のように早口で語って、ずらりと並ぶプログラムを完成させていく。

「腕取られた時はまずったと思ったんすけどね…………確実に仕留めたいなら、指から切り落とせよ。俺の能力が何なのか、知らない訳じゃないんだろ?」

 問うような口振りとは別に、有無を言わせないスピードで能力を展開していくライの姿に男二人は目の色を変えていた。抱くのは、一点の曇りもない恐怖一色。仕留め損ねた者の末路を、彼らは知っていた。

「俺は電子の王様だ」

 その言葉と共に、ライはエンターキーを指で撫でるように押した。機械音が鳴り、次々とスクリーンが閉じられていく。その直後男に電流が走った。激痛に慟哭する。けれどライは知らぬふりで、再び何かを打ち込んでいく。
 そこに慈悲なんてものは存在しなかった。あるのは殺意、それのみである。

「殺すのはまずいって言われてるんすけどねぇー……俺、個人的にお前らのことが許せないんだわ。いいよな? たかが二人殺すぐらい」

 眼鏡越しに睨み付けると、男達は絶望に顔を歪ませた。こんなはずじゃあなかった、きっとうまくいくはずだったと言わんばかりのその表情にライは大きくあざけた。きっと大金を積んで、こちらを殺す準備を怠ったことはないのだろう。けれど最後の詰めが甘いのでは意味がないのだ。

 食うか食われるか、シンプルな世界なのだ。人間の手が行き届かない、こちら側では。

 人間ならまず助からないレベルの電流強度を設定して、男の反応を見ながらエンターキーに指を添える。見下すのはお前らじゃない、この俺なのだと眼光でしかと言い募った。
 しかし、いざクリックしようと指先に力を込めようにも、不思議なことに食指が動くことはない。まさか人を殺めることに抵抗を覚えたのか? と僅かな可能性を考えるも、それは存外あり得ないと切り捨てる他無かった。殺すことに躊躇はしない。
 なら、何故? そこまで思考して、ライは指が動かないのではなく両腕が動かせないのだということを知った。自身の腕から見てとれるのは、きらりと光る糸だ。

「もうおやめなさい。十分でしょう」

 いつから傍観していたのだろう、男とライの間には気味の悪い青年が一人ぽつんと佇んでいる。片手に糸をくくっており、それがライの両腕を制していたのだと理解した。
 フクロウを催した仮面を被る彼は、仮面のその隙間から覗く瞳でライを見つめる。

「人間に戻れなくなりますよ」
「……わかってるっすよ」

 諭されて、やる気が失せたのかライは能力を閉じていった。男達は自身にのし掛かる重力と電流の痛みから解放されて、ほう、と息をつく。しかし体はもう微動だにしないようで、逃げ出そうともしなかった。

「ていうか、なんでいるんすか……」
「偶然通りかかったら、どうやら黒兎の坊やがやんちゃをしているようでしたので。つい、大人として止めに入ってしまいました」
「……俺も一応ギリ大人なんすけど……」
「嫌ですねえ、嫌味ですか?」
「いや、そ、そんな訳じゃねーっすけど……」

 じっとりと見つめ返して気怠げに返事をすれば、にこにこと愛想をよくしてこちらに歩み寄ってくる。梟と呼ばれている青年はライが全ての能力を閉じたことを確認すると、やっと糸をほどいた。
 それから踵を返して、突っ伏して浅い呼吸を繰り返す男二人を視界に映す。顎に手を添えて考え込む素振りをした後に、梟は小さく息を漏らした。

「仕方ありませんね、彼らはわたくし達“人間失格”が処分いたします」
「あ、ああ……どうもっす」
「ありがとうございます、ですよ」
「……あざっす」
「こらこら」

 血を吹き出している二人の男を担いで、梟は小さくお辞儀した。釣られてライも軽く会釈すると、にこりとほくそ笑まれる。ルダを相手にしている時と似たような不安感が、どろりと込み上げた。
 この手のタイプは苦手なのだ。心を見透かされているようで、動揺せずにはいられなくなる。そうなってしまうのは、自分がまだ、全てを打ち明けられていないから。

 遠ざかる梟をぼんやりと眺めて、小さな争いの幕が閉じたことを自覚した。それから、自身に巣食う欲望の権化である悪魔の存在を再認識して、ぞわりと背筋を気持ちの悪いものが這い上がっていく錯覚にうち震えた。
 人間に戻りたいのか、人を恨みたいのか。蹴落としたいのか、手をとりたいのか、もうわかりそうにもない。目的がわからない。
 人ならざる力に溺れそうになっている自分に苦笑して、ライはぽっかりと大きな穴が空いてしまった壁を横目に、膝をつきうなだれたのだった。




2013/10/22
ゲスいライ。



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