キチガイナスビ

「優に咲く花はダチュラなんだね」

 部室で何をするでもなく机に肘をついて項垂れていると、アリアが不意に呟いた。
 俺は言葉を返さないまま小さくあくびをする。今日も一等平和だ。俺達がローグという立場を除けば、メビウスという理想郷ほど平穏を保っている世界はないんじゃあないか、とすら思ってしまう。
 ダチュラ、と心内で言い捨てて、おもむろに己の胸へ手のひらを押し当てた。カタルシスエフェクトを展開した際に右胸に芽吹くあの花。名前もどんな植物なのかも知り得ているけれど、それでも俺は見て見ぬ振りをしていた。

「ちょっと! 無視しないでってば!」

 勢いよく視界に映り込む柳眉倒豎のアリアは、怒りを露わにして声を荒らげる。俺は彼女にいじらしさを感じた。
 ちょっと力を入れて引っ張ったら頭や腕や脚がもげてしまいそうな脆い生き物に見えるのは、どうしてだろう。二進数で構成されているただのバーチャルアイドルなのにね。なんてことを考えていると、昔カマキリの首を引きちぎったことを思い出し口元が緩んだ。
 部室には俺とアリアしかいない。ほかの部員は探索か野暮用で抜けているのだ。詳しい理由は知らないし、興味のないことを根掘り葉掘り聞く趣味を俺は持っていない。

「ダチュラ」
「そうそう、ダチュラ。白くてお上品に見えるお花。……もしかしてYOU、結構育ちのいい家系にいたり!?」

 維弦よりはましだけど世間知らずなところがあるし、ありえない話じゃあないんじゃない? と口をこぼすアリアに一瞬、言葉を失った。

「どうかな」

 必死の思いで、唇を吊り上げる。俺はちゃんと笑えているだろうか。不安になって、咄嗟に袖口に歯を立てた。動揺すると決まって何かを噛む、そんな妙な癖がついてしまって困り果てている。いつからこんなことを繰り返しているのだろう、とわずかばかりの自己嫌悪に襲われた。
 茶を濁した俺に彼女は納得がいかない様子だったけれど、言及をする気は毛頭ないらしくこちらを見つめてくるだけだ。橙色の瞳はビー玉みたいにキラキラと輝いている。

 アリアの元の姿はどんな感じなんだろう。俺よりも背は高いのかな。それはちょっと、イヤかもしれない。面白くないし。ぎりり、と強めに布を噛む。

 俺は空いた方の手をアリアに向かって伸ばした。彼女は一度瞬きをしてこちらの動向を伺っている。
 お腹の底を針でくすぐられているような不思議な感覚がした。

「──えっ?」

 素っ頓狂な声に、たまらず破顔する。
 強すぎるくらいの力でアリアを鷲掴んだ。ビー玉がきゅっと縮まる。彼女を握りしめた方の拳には、暖かな震動が伝わってきた。とくり、とくりと一定の周波を保っているそれはまるで俺達人間が放つ心音みたいだ。
 変なの、と心中で言葉を発して彼女を見遣る。状況が読み込めていないのか目を白黒させていた。目は黒くないけど。

 ──ダチュラは、薬用植物である。

「あ、えっと、どうしたん?」

 僅かに泳いだ眼を視認して、俺の背筋に電が走る。耐えきれず嗚咽を漏らすと、アリアの全身がびくりと震えた。怯えているのだ、手の内にあるこのバーチャルアイドルは。
 俺はあの娘のことを完全に忘れたわけではない。重ねてみるつもりはもちろんない。でも、過去を思い返すくらいはどうか許してほしいなあ。琴乃ならどんな反応をするのだろう。……一瞬ばかり想像して、怖くなったからやめた。

「ゆ、優は口数が少ないからちゃんと思いを言葉に出して伝えなきゃ……何がしたいのかわからないままだよ?」

 ぶるぶる、スマートフォンのバイブモードみたいに震えるアリアは本当に人形になってしまったようだ。このまま力いっぱい握り潰したら死んでしまうのかな。そもそも、バーチャルアイドルに死は存在するのだろうか。
 ためしに、彼女のお腹辺りに添えている親指に少し力を入れてみる。

「うぅっ」

 いかにも苦しそうな声。俺は目を細める。かわいい。痛いのか、そうでないのか、気になって仕方ない。二進数の彼女にも痛覚は存在するのかな。ぞくぞく。溢れ出す好奇心と、それに隠された加虐心に興奮を思い出す。

 ──俗名は気違い茄子。

「痛かったら左手、痛くなかったら」
「わっ、わかった! 痛い! 痛かったから!」

 アリアはこちらの意図を汲んで即座に左手を上げた。
 彼女は聞き分けがいい。いい子だね、と言葉に出すと、泣きそうな、笑っているような、でもやっぱり苦しそうなよくわからない顔をされてしまった。
 お詫びに、さっきとは打って変わって優しく親指の腹で撫でてみる。アリアは小さく呻いていた。くすぐったいのか、時折両脚を内股の状態で擦り合わせている。態度がコロコロ変わる彼女は見ていて飽きない、楽しい玩具だと思った。

「痛むように設定されているのか」

 嬉しい誤算だという独り言は喉の奥にしまい込んでおこう。
 俺の呟きに何を勘違いしたのか、小さなアイドルの瞳にぱっと光が宿る。解放されるとでも思っているのだろうか。だとすれば、かわいい誤解にもほどがあると思う。

 俺がこれっぽっちで満足するわけないのになあ。この程度でいいなら、あの娘が俺を置いて逃げ出すはずがないんだ。

 ほっとしている様子の彼女を見下げながら、押すと鳴る道具を扱うみたいに力を込めてお腹を押した。アリアの唇は一文字を結ぶ。情けなく揺れている二つのビー玉が代わりに感情を吐露していた。
 小学生くらいの時に田んぼで捕まえたカエルを握ったら、こんな反応をしていたのを思い出した。普段はゲロゲロ、ケロケロとつまらない呼び声を放つくせに潰すとかわいく鳴いてみせるから、俺はカエルが好きだ。カエルは俺のことを嫌いだろうけれど。

 ──薬用として栽培されている一方有毒で、使用量を誤ると正気を失い狂躁状態になることが知られる。

 何度か面白半分でお腹を圧迫してあげていたら、呻き声が段々嘔吐きに変貌していくのが分かって嬉しくなった。アイドルが嘔吐しても許されるのかな。俺はいいと思うけど、周りはどうなんだろう。少しだけ気になるかもしれない。
 アリアの顔色はあまり良くない。押すと両脚がぶるっと痙攣している。そろそろ限界かな、と判断。気休めに人差し指で後頭部を撫でると、彼女は口の端から垂れた胃液を気にした様子のままかすかに目を細める。胃液を空いた方の手でそっと拭ってあげると、どこか安心した態度で俺のことを見上げた。
 なんとなく彼女の胃液がついた指を自分の口に放り込む。舌先がぴりりと痺れた。少し苦くて酸っぱい、人間の胃液と同じ味がした。アリアは疲れきりながらもぎょっとした様子で俺を眺めている。嫌なら見なきゃいいのにね。

「おいしくない、かも」

 本音を吐き出すと、彼女はじっとりとした目線を俺に寄越した。

「……? おいしいって、言ってほしかった?」

 ふふふ。笑ってみるとアリアの頬が膨れる。まだそんな元気があるだなんてバーチャルアイドルはすごいなあ、と的違いな感想を抱いたことは内緒だ。
 ごめんね、と罪悪感の欠片もない声色で謝罪してようやっと解放してあげると、覚束無いふらふらとした足取りでアリアは俺の上着の胸ポケットに潜り込む。
 嫌なことをされたのにその相手の懐に入るだなんて、彼女は本当に面白くて参る。

 ──花言葉は主に偽りの魅力、愛敬、変装、愛嬌など。

「アタシは玩具じゃないんだからね」

 室外から響く何者かが激しく駆けてくる靴音。それを耳に捉えつつ、ポケットの中にいる彼女の頭を再三甲斐甲斐しく撫でた。

 ──その他に夢の中、あなたを酔わせる、といった意味も含まれている。

 最初は誰だって度の過ぎたイタズラだと誤認することを、分かっていながらこうするんだ。
 俺を治してくれる人は何処にもいない。俺はみんなの心的外傷のケアを行うけれど、俺には誰もいない。
 アリアの表情はこちらからは伺えない。
 仮にもし、その朗らかな心を潰したいと強く望む俺の本性を知ったら、俺を正してくれるのかな。

 力強く開け放たれた扉。そちらへ視線を投げると、切羽詰まった状態の鍵介が立っている。ぜいぜいと肩で呼吸している様子を見るに、全力疾走したと見て間違いなさそうだ。小首を傾げながら彼が言葉を紡ぐのを待っていると、それよりも先に小さなバーチャルアイドルが閃光のごとく飛び出していく。

「さあさあ部長、部員のピンチをサクッと救っちゃって!」

 話す手間が省けました、と鍵介が小言をこぼすと同時に重い腰を上げた。彼は眼鏡のフチに指を当てつつ息を整えている。

(現実に帰るのが先か、アリアを潰すのが先か、どちらに賭けよう?)

 いずれ訪れる終わりに思慮を馳せながら、俺はいつもみたいに言い放つのだ。

「帰宅部、活動開始だ」

 ……なーんてね。





2016/10/29



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