おやすみ現実


 これは夢だと思い込むことにした。
 思えばおかしな話だったのだ。文豪の魂をおろして小説を守るだなんて、あまりにもおとぎ話じみている。騙された僕が馬鹿だったのだ。

 汗腺から嫌な汗がぷつぷつと吹き出している。呼吸の仕方すらも忘れかねない極度の緊張感に、僕は今にも目を回しそうで。
 織田作さんは過呼吸に近い状態で喉をもつれさせながら、注射器を利き手にこちらへと迫っていた。
 こうなってしまうとどうしようもない。男女の力量差に敵うはずも無く、非力な僕は後ずさりながら彼の名前を呼んで正気に戻ってくれることを期待するしかなかった。
 ヒロポン、とは名ばかりの覚醒剤。疲労をポンと取る、ということから名称が与えられたらしい。数多の文豪はこれに依存する傾向にあったそうだが、今までは他人事だと思えていたのだ。
 ぴゅる、と織田作さんの手にある注射器の針から液体が飛び出る。織田作さんの目は恐ろしくなるほど虚ろだった。深海なんて目じゃない、焦がしたマシュマロの上に生クリームを掛けてぐちゃぐちゃに掻き回し、更にその上にイカの塩辛を落として混ぜ込んだような気持ちの悪さが現在の彼の瞳からは感じられた。
 嫌だ、やめてください、落ち着いて、だなんてありふれた言葉しかかけることの出来ない僕の無力さを嘆いたって仕方ないのだ。
織田作さんの手が伸びる。僕の手が強引に伸ばされる。ワイシャツの袖をまくられて、針先が皮膚を突き破って、それから、どうなったんだっけ。

 これは夢だ。夢なんだ。織田作さんが泣いている。ごめんな、堪忍や、わしはこないなことをしたい訳やないんや、と言い訳じみた言葉を唇を噛みながらこぼしている。
 僕は織田作さんに痛いくらいの力で抱きしめられながら、頭がかあっと熱くなって、意識も朧気な状態のまま彼の背中をさすっていた。
 僕の右腕の手首には、真新しい注射の跡がしっかりと腰を据えて微笑んでいた。



2016/11/14
それとも人間やめますか。


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