虚言の獣
いつの間にか育ちきってしまった感情に、そっと除草剤を撒くことにした。抵抗感は当然のように顔を出し、両腕を巻き付けながら「やめてくれ」と懇願の言葉を吐き散らす。
でも、きっともう遅いんだ。気付くのにも、伝えるのにも、抗うのにも、何もかも遅すぎたんだ。
ダリは何か言いたげな表情のまま、ぼんやり私を見つめている。ただでさえ垂れ気味の耳が、机にべったりと張り付くくらい下がってしまっていた。海みたいな青色の瞳は困惑の色に染まってしまっていて、とてもじゃあないけれど美しいとは言えない。
「本当に、それでいいのか」
「うん」
構わないの、と続けそうになって、私は口を結ぶ。構わないわけない。嫌で嫌で、嫌で、でもどうしようもないの。
白いまつ毛が視界の隅に映り込む。今の私は恐らく、随分と泣き虫な人の顔をしている。くしゃくしゃになった表情筋は力を込めたって引き締まってくれない。両方の眼からぽろぽろ生暖かい雫が落ちていた。
私の眼前には、赤ワイン色の小さな箱が置いてある。中には指輪が入っていた。宝石に疎い私はその価値を存じ上げないけれど、とっても高価なものらしい。
私の左手の薬指に、ぴったり合うんだって。
結婚してくれと言われた。ダリの故郷にいる、王族の男性に。一目見て心奪われたのだと語っていた。私は震える体を一所懸命に正しながら、切れ長の、ダリよりも明るい空みたいな瞳をきらきら輝かせる男の人と対話していた。
考える時間が欲しい、と言った。人間でなくなってしまった化け物の私に婚姻の話が舞い込んだという、耳を疑う奇跡。こんな出会いは、逃したらきっともう、無い。藁をも掴む思いで承諾しなくてはならないはずなのに、私は今日までずっと迷い続けていた。
毎日毎日、脳裏を過ぎる仮面のあの人。不思議な目をしていて、くるくるふわふわしたワインレッドの髪で、首元に痛々しい古傷がある、あの人。本当の名前は知らない。きっと偽名なのだろう。その事に気付かないふりをして笑っていた私は、偽善者なのだろうか。
生首を集めるのが好きだと言っていた。当初は信じられなかったし、受け入れたくなかった。それなのに現在の私といえば、許せない気持ちよりも先に、彼の意思を尊重してしまっている。
黒兎は善行を積まねば人の姿に戻れない。最近の私はどうもおかしい。時折手のひらに、黒い動物の毛が生えるのだ。
──それが救われないことだとしても
恋ってなんだろう? 愛ってなんだろう? 私は顔色を曇らせているダリを横目で見つつ、小さく唸った。私と昔の想い人を重ねて見ていた彼と、ライ。二人とも私を通して別の誰かを見ていただけで、私を愛していた訳では無い。
愛って、そもそも存在するのかな? ……ううん、難しい。まとまらない思考を放り出して、私はエプロンドレスに縫い付けられたポケットに手を突っ込み中から何束か花を取り出す。指先にトゲがめり込んで、ちょこっとだけ痛い。
色とりどりの薔薇。赤、黄、黒。花言葉はそれぞれに……。
「結婚するの、ずっと夢だったから。これでいいの」
「お前……」
愛情、嫉妬、憎悪。今の私にぴったりだ。顎を伝う涙を舌先で舐めてみると、どうしてか苦々しい味がした。
乱暴に服の袖でそれを拭うと、私はへにゃりと笑う。ダリはかっと目を見開いた後、何か言いそうになって、でもやめてしまった。控えめに開閉する彼の口に薔薇を突っ込んでみたくなったけれど、そんなことをしたら怒られるに決まっているからしないでおいてあげる。
「確かにあいつは良い奴だが、お前にも好みってもんがだな」
「いいの」
「いい訳ないだろ。第一今のお前の顔は」
彼がそのまま綴るであろう予想可能なセリフを脳内で先に反芻して、また泣きたくなった。やめてよ、私は私の選択をしたんだから、これ以上迷わせないで。
私はあえて大袈裟な音を立てながら腰をあげると、指輪の入った箱を手にとり玄関へと走った。ダリが叫んでいるのが聞こえる。ウサギの耳は小さな物音も聞き取ってしまうから、ちょこっとだけ困るかな。
「大丈夫、私は大丈夫だから」
振り返りながら言い放つと、ダリは唇をぎゅっと噛み締めてしまった。眉間にしわを刻んでいる彼の眉はぶるぶると震え、口元もひくひく痙攣している。すぐにでも泣き出してしまいそうな彼を抱きしめたくなったけれど、そんなことをする価値なんて今の私には、無い。
私、ちゃんと笑えてるかな?
勝手なことばっかりして、またニャモちゃんに怒られるな。ああ、私って怒られてばっかりだ。結局自分のためになる行動しか、出来ていないのかもしれない。
──あえて傷付く選択を迫って
木製の扉は耳障りな音を立てながら閉じられた。ぎいぎいと鳴るその子は、お化け屋敷を彷彿とさせる。それでも私には住み慣れたおうちであることに変わりはないのです。
両手に大切に抱えた箱を、再度抱きしめ直した。まるでお母さんが赤子をいだくように。一瞬だけ本音が心の中を走って行ったけれど、それには見て見ぬ振りをして慌ただしく走り出す。
(こんなの要らない、欲しくない、なんて。……嘘だ。結婚して家族を作って、愛し愛されるのが夢だったんじゃないの?)
優しげにほほ笑んでくれたあの男の人を思い浮かべる。きっといい人だ。だって黒兎の私にプロポーズをしてくれたんだもの、素敵な家庭を築けるはず。
それなのに、私の頭は、本名すら知らない彼のことでいっぱいで。
「キラさん!」
ほら、会いに来てしまった。
キラと呼ばれた青年は気だるげにリラの方へ顔を向けた。目元には黒々としたクマが刻まれており、瞼もうつらうつらと垂れかけている。太陽は西に傾きかけていて、もう数刻もすれば夜の帳が降りてくることが明白になっていた。
男はリラを視界で捉えると刹那瞳孔を見開き、それからすぐさま瞬きをして口元に柔らかな笑みを作り上げる。リラは男の些細な変化に勘付けるほど、利口ではなかった。
「あの、あのですね」
震える唇は残酷な未来を紡ぐのだ。
「私、結婚することになりました」
指輪だってもらったんですよ。言いながらリラは、かたかたと震えっぱなしの手で赤い箱をキラに差し出し口角を吊り上げる。あまりにも拙く、不格好な笑顔。
「き、キラさんに、一番に伝えたくて」
──強引にでも諦めてしまおう
「結婚式には、来てくださいね。ちゃんと呼びますから」
たとえ貴方が、首を狩る殺人鬼だったとしても。私にとっては大切な人だから。
キラの顔色を、リラはあえて伺わない。反応が怖いのだ。恐れるあまり、相手の言葉を待つこともなく機関銃のようにまくし立てている。
橙色の瞳からは、拭ったはずの大粒の涙が流れ始めていた。
(いつから好きだったのかなんて、そんなのもう、わかんないよ)
斜陽に照らされた二人の影は、皮肉にも重なっている。近しい距離にいるのに、心にはぽっかりと大きな穴が空いていた。
(好きです、私を連れ出して下さいなんて、言えない)
リラは唇を力強く噛む。ひくっ、と喉がもつれる音がした。彼女は声を抑えたまま、無理にでも笑おうとして、しかし失敗した様子で眉根を寄せつつしゃくり上げて泣いている。
(首だけになってもいいからなんて)
愚かな獣に成り下がってまで貴方に焦がれているのだと、伝えられたらどんなにいいだろうか。
2016/12/09
フラグ乱立マンが通ります。
三狐氏より「首斬り」さん、お借りしました。
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