──手に取れ、血染めの十字架を──
家が燃えていた。僕達の思い出が詰まった家が、帰る場所が、煌々と眩い炎を纏って燃え盛っていた。面影は最早存在しない。僕らが過ごしてきた証は、ただ火の海に飲まれて消えていく。
お母さんは壊れてしまった。忌々しい、薄桃色の耳と尻尾を生やした得体の知れない、気味の悪い笑顔が特徴的なあの人に出会ったせいで壊れてしまった。僕の声はもう、お母さんには届かない。
お父さんは殺されてしまった。笑顔を纏った半妖に。赤い十字架を掲げるあの人に意見を言っただけなのに、殺されてしまった。氷漬けにされた後、粉々に砕かれてしまった。だから、お父さんのお墓は作ることが出来なかった。
──吠えろ、世の中の不合理に向かって──
黄昏教。お母さんはそう言っていた。世界を始まりに還すのが目的の、小さな宗教団体。個人を死で救うのではなく、世界を零に還して最初からやり直し、全てを救うのが彼らの目標なのだと説いていた。
そんな都合のいいことが、本当に有り得るのだろうか。幾度も疑問に思ったけれど、口に出すと桃色の半妖に殺されてしまいそうで、何も言えなかった。
お母さんはお父さんが殺されたことをちっとも気にしていなかった。世界が幸せになるために必要な犠牲なのだと言っていた。お父さんは幸せの道に行ったのだと言っていた。
ズキズキ、頭が痛む。
「これも幸福のためなのよ」
僕らが住む街に火を放ったのはお母さんだった。昔お父さんとよく遊んだ草むらや、お母さんと出かけたお店、友達の家、学び舎、いろんなものが赤い赤い火の中に溶けている。
肉や木やたくさんのものが焼け焦げている臭いに、鼻を覆いたくて仕方が無い。
お母さんは、なんだか嬉しそうだ。僕は両手をぐっと握りしめる。
お母さんの周りには、お母さんやあの人と同じように赤い十字架を持った人達がいた。火のついた棍棒を片手に、祈りを捧げるみたいな慈しむ視線を街だったものに向けている。
本気で、救済されると信じているのだろう。愚直に、真摯に、一点のみを見据えて。
(こんな無茶苦茶なことをして、救われるわけ、……ないじゃんか)
僕のお母さんはひたすらに、きっと考えることを放棄して、 教祖様 を信じてる。
残酷なことをして笑っている、悪魔のようなかみさまを。
「神様なんていない」
焼け跡は静かにくすぶっている。教祖は炭と化した家だったものに腰かけ、残り火に手をかざしていた。
今日は一等よく冷えるのだ。その証拠に、星が明白に見える。
「誰もかれも、救える者など存在しない」
くるり、振り向いた先には金髪の男が訝しげな表情をして立っている。緑色の瞳が美しい彼は、大きな尾を左右に振る教祖を一瞥してため息を一つ。
「ならば、自らが神になればいい、だろう? 前も聞いたよ。一体いくら語れば気が済むんだい?」
「おやおや、これは失礼。独り言のつもりだったんだけどねぇ」
しかし寒いねえ。間延びした声色に、うっかり油断してしまいそうになる。
こちらの心中などつゆ知らず、教祖は暖を取ることをやめると立ち上がり、男に向かって足を踏み出した。火に抱かれた地面は草一つ残っていない、あるのは土と砂埃と炭ばかりである。二歩三歩と歩き続け、少し距離を詰めたところで足を止めると、教祖は懐から何かをそっと差し出した。
「今日もありがとう」
お疲れ様、と言いながら紙幣を手渡してくるので早々に受け取ってしまうと、押し殺しながらも小さく笑う声。
相変わらず、読めない。何を考えているのかも、どういった心理でこういった行為に踏み切るのかも。
興味が無いといえば嘘になる。けれど男はそれ以上に、指摘したいものがあった。
「こちらこそ。……それよりも、早く拭きなよ」
「うん?」
「血生臭い」
「あらぁ、申し訳ない」
半妖は血の匂いが気にならないのだろうか、と少しばかり疑問に思った。頬に返り血がついていることを教えるために人差し指を向けると、どういう訳か首を傾げられただけで終わってしまう。
意思疎通が上手くいかない。もう何回目だろうか、こいつに笑顔のまま首を傾げられるのは。男はげんなりとした気分になる。
「……じゃあ、ボクはこれで」
「また頼むよ」
諦めて立ち去ろうと思い声をかけると、教祖は手を振った。またね、と再会を期待する言葉を発しながら、意気揚々に。
全身にべっとりと血を浴びた、この街を破壊した元凶が、御機嫌に手を振った。
「……ご贔屓に」
利害が一致するからこそ行動を共にすることはあれど、最期まで隣にいるつもりは毛頭ないのだ。
男は苦笑して、足早にその場を去った。固い土の感触に、少し物悲しさを感じながら。
「そう、神様なんていやしない」
誰もいなくなってしまった。すっかり一人ぼっちになった教祖は、尾を揺らしながら空を仰ぐ。
「だからジブンが」
瞳は、依然閉じていた。
「ラグナロクの再来を成功させる」
──心が凍てついてしまう前に──
「こんな世界、一度無に還るべきだ」
白い吐息は蛇のようにとぐろをまき、音もなく消えていく。寒空の下、教祖はかじかんだ足で大地を踏みしめながら、そのような事を言っていた。
これが、始まりの一端。やがてUnion全体を巻き込んで大規模な争いを生むことを知りながら、この半妖は密かに微笑むのだ。
──すべてを幸福へ導くために!──
思い描く幸せのために。
2017/02/13