すくってよ ――悪魔とは、特定の宗教文化に根ざした悪しき超自然的存在や、悪を象徴する超越的存在をあらわす言葉である。宗教によっては神に敵対するものを指し、他宗教の神々への蔑称ともなる――Wikipediaより引用。 ……そう、悪魔。生まれついた時から僕は悪魔そのものだった。尾てい骨から伸びる尻尾も、大人になると共に生えてくる角も、この黒い目も、爪も、牙も、自分を形作る全てが僕を悪魔たらしめる証明でしかなかった。 小さな頃から、意地悪な事ばかりする仲間に違和感を抱いていた。誰かが不幸になるお手伝いをして、それを見て笑う。楽しそうに、口角を上げて、目元を緩めて、声を上げて楽しそうに笑う。 こういった悪いことが、悪魔の仕事であることは知っていた。悪魔は名の通り、悪い魔物だ。悪しき行動をとって当然なのだ。 でも、僕はそれが嫌だった。胸の中がずくずく痛んで、気持ち悪くて、心臓がドキドキ言って息ができなくなる。耳の奥がキンキン鳴く。ぐるぐると目が回って、吐きそうになる。 誰かをこの手で助けられたのなら。それこそ、天使や神のように。いつしか芽生えた僕の良心は、あんまりにも悪魔らしくなくて、それでも自分に嘘をつくのは嫌で。周りに冷たい目で見られながらも医師免許を獲得して、苦労の果てに医者になることが出来たのだ。 でも、悪魔は悪魔でなければならない。悪魔が人助けなんて以ての外だ。わかっている。だから僕は生まれ育った魔界を追放された。天界にでも行け、と怒号を受けた。天界に行った。悪魔という理由だけで門前払いされた。地球に逃げた。悪魔祓いに危うく殺されかけた。聞く耳すら持ってくれなかった。 居場所がない。どこにだってない。無限に広がる宇宙でも、生命体を見つけるのは骨が折れる。途方に暮れながらも僕は、ぼんやりと星々を渡り歩くしかなかった。 そこでようやく見つけたのだ。行くあてのない者をかき集めた、拙い星を。 ここでなら、追い出されない。煙たがられない。嬉しく思った。単純かもしれないけれど、涙が浮かぶくらいには感極まった。 孕命堂、という名の星だった。命を孕む堂。悪魔の僕には理解し難い名称だけれど、この星を創った神様が名付けたのだから口答えなど許されない。僕はニコニコしたまま、素敵な世界ですねと言った。苦い顔をされてしまった。 孕命堂に住んでしばらくしてから、友人の悪魔を何人かと、兄のうちの一人を招いた。皆魔界に生き苦しさを感じていた人達だった。ここでなら、幸せになれるのではないか? そういった希望が僕らの中でキラキラと眩く輝いていた。 しかし、やがて歯車は狂い始める。違和感に気づいたのは、そう遅くもない。最初こそデジャブであると思ったのだ。だけれど、明らかに、おかしい……。 断崖絶壁と海の間でギリギリと引き伸ばされたロープの切れ端を握っているような緊張感。これから起こることが分かる、というよりも、そうであろうという根拠の無い確信と記憶が存在していたのだ。 原因を特定するのにそう時間はかからなかった。神側に異常がある、それ以外に考えようもない。皮膚を突き破ってぐねぐねと蠢く数多の触手をひた隠しにしようとしている月神を眺めて、彼女のせいなのだという見解に至った。 警戒する月神を触診して、すぐに触手病であることを結論づける。よくもまあこんな多量の、それも大きな寄生虫を体内に宿しながら涼しい顔をしていられたものだと感心したことを覚えていた。 この触手は月神の血管に根を張っていて、すべてを除去するのは不可能だった。となれば、薬を使ってじわじわ死に至らしめるしかない。 最悪、月神も共に果てる。でも、これ以外に方法が無かった。 彼女は僕が初めて見た患者だった。 何度も何度も彼女の死を看取った。その度に時空が巻き戻される。 気まぐれで彼女をメスで滅多に刺したこともある。肉と血が泡立つぐちぐちといった音を聞きながら、全身を捌いて中身を観察してみた。するとどうだろう、鼻をつく鉄臭さはやがて無臭になり、血はうっすら虹の浮かぶ透明な液体に変わったのだ。 なるほど、神とは不思議なものだ。そのような感情を抱いている直後、時間が戻る。こういった行為を繰り返して……ぼんやりと理解し始めている僕がいた。恐らく、彼女が後悔してから数時間後に時間は始まりの時まで戻されてしまうのだろうと。 このメカニズムを証明する気は毛ほどもない。僕は医者であって、研究者じゃない。時間がいくら戻ろうが興味無い。僕が気になっているのは、彼女を救えるのかどうかだった。 「何度だって繰り返すよ。僕は君を助けたいから」 睡眠薬を飲んで眠りに落ちた月神。涙でできた道が目尻から首筋まで続いていた。一定の周期で呼吸しているこのちっぽけな神様を、いつでも殺してやれるのは己だけなのだろう。 ツギハギだらけの手のひらを眺める。終わりを迎えるのは簡単なのだ。動脈を切るか、首を絞めるか。悪魔らしく呪いの一つでもかけてやれば、ことりと首が落ちるだろうに。 こんなことを考える時点で、自分も結局悪魔に相違ない。憂は憂鬱な気持ちを隠すようにため息を吐き、傍らにいくつも置いてある錠剤の入った小瓶に視線を投げた。 薄暗い室内。触手の這う音。お互いの心音。そして点滴の匂い。真新しい消毒液の匂いと、血の香り。 ……ほんとうのところは。 憂の中に潜む、悪い感情がほくそ笑む。まだしばらくの間は、このままでも良いと思い始めている悪魔の心情が舌なめずりをして月神を見ている。 ずるずると狡い思い出を引きずって、だらだらと怠い感情を閉じ込めるのにも限界はあるのだ。 ひょっとすると、同情と呼ばれるものが行動理由だったのかもしれない。慈悲だとか、思いやりだとか、そういった感情とは似ても似つかないもっともっとエゴイズムにまみれた何かが全ての動源力だったのかもしれない。 憂は泣きそうな顔をしながら、口元を緩めた。諦めきった笑顔。そいつは優しく良心の首を落としにかかっている。 (僕は君のことが好きになっていたのだろう。だからこそずっと側にいたい) そのためならば、悪魔らしくバッドエンドをなぞり続けたって構わない。 ああ、まったくもって相手の気持ちを汲んでいない。こちらの思いが最優先の、歪みきったねじれきった汚い恋情だ。たとえ月神が首を横に振っても、縦に振っても、憂の意見は揺るがない。 「僕を信じてくれてありがとう。なんて」 信じる者はすくわれる。なるほど。僕は医者として彼女を救いたいのか、それとも悪魔として掬いたいのか、どちらが本音なのかわからなくなりかけているわけだ。 救いたかった。これは本心だ。中途半端な気持ちで幾度も輪廻を巡りやしない。でも、僕はいつまでも終わりのない投薬生活を続けていたいと思っている。まだしばらくの間は。 だって可愛いじゃないか、僕を信じて素直に薬を飲み、副作用に苦しんで僕にだけ悩みを打ち明けてくる滑稽な神様は。 そういった気持ちが胸の奥で膨らんでいる様子に、憂は悪寒に似た快感を得た。 「大丈夫、次こそ助け出してみせるから」 真に助けられるべきは、僕の良心かもしれない。そう思いながら憂は、月神に繋がれている点滴のチューブを優しい手つきで引き裂いた。悪魔らしい、鋭利な爪で。 2017/11/30 医者の悪魔と月神。 執筆日は6月8日でした。 |