コンスピラシー


 虚ろな眼に希望なんてものは灯っていなかった。本来は白目の部分が黒く染まった彼女の瞳は、黒目の部位すら赤色に染め上げられていた。
 指先はガラス製のコップのフチを、つつつ、となぞっている。悪戯に何度か弧を描いた後、おもむろに口許へ持っていく。彼女の赤い舌が伺える。血のように真っ赤な舌が。

 灰色の体毛を逆立ててうずくまるこの生物がここいらでは“神様”と呼ばれているだなんて、どうにも信じがたい。風貌で判断するのはいささか好ましいことでないが、彼女はどちらかというと“悪魔”に近い生き物であると率直に思える。
 だって、彼女からは生の匂いが少しもしないのだ。神は命を生み出すものなのに、彼女はまるで死神のように他者の命を吸いとっているような、そんな気がしてならないのだ。

「ねえ」

 黒い瞳が、こちらを射ぬく。

「どうしたんだい」

 平常を装って言葉を返すと、彼女は目を細めて唇を歪める。黒い一本筋の模様が入った二つの耳を伏せて気だるげに小首を傾げ、眉根を寄せてみせる。

「いつになったら治るの」

 その問いに明確な答えを示せないのが現状だと彼女が知ったら、どんな顔をするだろうか。
 手のひらがすっぽり収まるサイズの白衣を纏った僕は、袖口から覗く左手を顎へ持っていく。端から考える気はない、という本音を悟られないように、思考する演技を一つ。
 じっとりとこちらを見つめる彼女の視線に、背筋がうっすら寒くなる。

「そう焦ったって仕方がないことだろう?」

 彼女の顔がくしゃりと歪む。ああ、神にそんな表情は似合わないよ。
 灰の体から生えている、管のように細い尻尾。先には三角形がくっついているみたいで、少しだけ愛らしさを感じた。それは落ち着きなく揺れていたが、感情を具現化するかのごとく地べたに力強く叩きつけられる。

「でもみんな、気づき始めてるよ」

 嫌われちゃうよ、どうしよう。
 不安でいっぱいになった感情を吐き出すように言い捨てた彼女は、次の瞬間には両方の瞳から大粒の涙を流していた。地面に落ちていくそれはほんのりと七色の光を纏い、きらきらと輝いていた。

 彼女は、やはり神であるらしい。人格が不釣り合いなばかりに、容姿も段々と汚れていってしまったのだろうか。
 そんなことを思慮しながら、彼女がこぼす美しい滴を眺めていた。きっとあれは万能薬にも、毒にもなり得る魅惑の水に違いない。僕はそう信じて疑わないのだ。

「大丈夫さ」

 つぎはぎだらけの手を伸ばして、彼女の頭部に触れる。柔らかい毛は指の縫い目に時折引っ掛かったが、そのもどかしささえ受け入れてしまえた。
 彼女は、僕が抱えている思いを知らない。利己的に進められている計画を知ることは永遠にないのだ。
 それがどんなに滑稽で愛しいことかを、彼女は知らないのだ。

 僕は口許を隠すマフラーをほどいて、優しく彼女にかけてみる。彼女はたいそう驚いた様子で僕の顔を見た。ザクロのように光る赤目に魅入られて、息が詰まる。
 彼女の小さな四本の指がマフラーをつまんだ。それをぎゅっと握りしめるとうつむいて、小さくため息を吐く。彼女が思っていることは、何なのだろう。それを想像するのも楽しそうだ。

「いつ治るの」

 再度同じ質問を投げ掛けて、彼女はそのまま身動きをとらなくなった。僕は答えない。何故なら僕はとても卑怯で狡猾で、彼女が大好きだからなのだ。
 なので答える代わりに、彼女の頭を再三撫でた。この行為に黒い野望と欲望が宿っていることに気づけやしない彼女のことを、愛しく思った。

 神が上手く力を使えない世界の魂は、同じ人生を歩むという。随分と俗的で笑える話だった。




2014/04/22
触手神と継ぎ接ぎの悪魔。



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