While there's life, there's hope.


 一言で言い表すなら、惨状だった。

 痛覚が遮断されつつある中、自身の腹に手を伸ばす。ぬるりとした感覚に眉をよせる。手のひらは血で赤く染まっていた。
 今回も、ダメだったかぁ。燃え盛る炎に囲われた状況で、彼は誰かに話しかけるかのように口元を緩めてそう言った。
 ごうごうと火の手が迫る音がする。眼前はチカチカと点滅を忙しなく繰り返しており、正直煩わしかった。
 体内で何かが暴れ回っている。大嫌いで仕方がなかった数多の針金虫達。誰だって得体の知れないものに寄生されるのは怖い。それは彼も同じだった。……当の昔に、慣れてしまったのだけれど。

「でも、最期まで抗ってこそじゃない?」

 そうだよね? 彼以外に誰もいないこの空間で、彼は誰かに語りかけた。
 貧弱な翼を広げる。翼膜のない、針金ばかりのちっぽけな翼。それでよく飛べるものだと貴族に感心されていたことを思い出していた。
 ちらり、と視線を遠くへ向ける。ぼんやりと伺えたのは、黒い何かが綿吹き病の彼女に覆い被さり、全身からどす黒い血液を垂れ流している様だった。
 彼は反射的に目を背け、けれど再びそこへ視線を投げ掛けると、瞳を閉じて手のひらを合わせた。彼等はきっと、こんなところで生まれなければ――月のあの子に気に入られなければ、こんな結末を辿らなくて済んだのに。そう思いながら。

 黒い彼等へ追悼した彼は、満足げに頷いた。棒きれを継ぎ合わせたみたいな翼を再三広げると、宙へと浮かび上がる。開いているのだかわからない眼は浮かばれない気持ちで、燃え盛る地上を見つめた。
 けれど立ち止まってはいられない。惜しむ気持ちを抑えて、彼は羽ばたいて前へと進む。
 もう何度繰り返したかわからない、月のあの子を助けるために彼は空を舞う。
 夜風が負傷した腹に響く。ずきずきと痛みを訴える毎に、体内に居着く針金虫達は暴れまわった。それが尚更痛覚を刺激して、彼はたまらずのたうち回りたくなってしまう。
 それでも、彼は飛ぶことをやめない。助けられないと心のどこかでわかりきっていても、「もしかしたら」救えるのかもしれない、そんな淡い期待に想いを乗せてひたすらに前進するしかなかった。

 刹那、右膝に何かが突き刺さる。予想していなかった事態に混乱した彼は、体勢を立て直す間もなく地面へと落ちた。
 砂煙が舞う。小さく咳き込みつつ、彼は地に手をついて起き上がろうとした。しかし腹の痛みと針金虫が身体中で蠢く感覚、そして新たに追加された右膝の新鮮な苦痛になすすべもなく顔から崩れ落ちる。
 ごほり、何度目かの咳で口から血が吐き出された。彼はそれを見て眉間にしわを寄せる。まだくたばるわけにはいかないのに、と心中で吐き捨てるように呟きながら。

「君を行かせるなって、憂くんから頼まれてるんだよね」
「あー……。今度は、そう来るのね」

 右目に薔薇をあしらった飾りをつけた、奇抜な外見の男がこちらに向かってにこりと微笑んでいた。下睫毛が長い彼は皮肉にも、鼻歌を歌いながらゆっくりと歩み寄ってくる。
 はて、と考える。この男には見覚えがある。けれど名前までは思い出せないのだ。今期で既に会ったことがあるのか、そうでないのかがわからない。
 こちらを挑発するかのように、男の尻尾はゆらゆらと動いていた。針金に黒い星を貼り付けた外見の男の尾は、地面を叩く。

「『今度はそう来る』ってどういうこと? 私にもわかるように説明してほしいかな」
「……まずは名乗ろうよ、初対面でしょ、僕ら」

 苦笑しながらそう言えば、男は途端に顔をくしゃりと歪ませる。彼は咳き込みながらも男の表情の変化をしっかりと観察していた。
 何故そのような顔をするのだろう。疑問が浮かぶよりも先に、男は口を開いた。

「幸を忘れるだなんて酷いなあ、私のマジック、一度は見てくれたじゃない」

 その言葉を聞いて、彼はああ、と言葉を溢した。瞬時にふっと浮かんだ沢山の記憶が、真新しい状態できらきらと輝いていた。
 幸、それは目の前の男の名だ。悪魔族の一員で、憂の仲間だ。何よりも、酷い躁病を患っているとんだ問題児だ。
 自分には特別な力が宿っていると信じこんでやまない、かわいそうな悪魔。何回目かの輪廻でこの男は「自らを消すマジックをする」と叫んだ後に、自殺してこの世界から一度消えた。

「……幸くんか、ごめん。思い出したよ」

 彼は呟いた。男は彼の言葉を聞くと何がそんなに面白いのか、けらけらと笑う。片方だけの目をきゅっと細めて大袈裟に笑う。
 未だに笑い続ける幸をどこか遠い意識で眺めながら、彼は痛む全身に鞭を打って起き上がった。腹部にじわりと血が滲み、衣服に吸収されなかった血液がぽつぽつと地べたを濡らしていく。

「お前のこと、前から気に食わなかったんだ。だってキャラ被るもん」

 彼の口は弧を描いた。男は俄然として笑ったままだった。
 完全に立ち上がって、彼は一息つく。それから体に仕舞い込んだ大量の針金虫達に信号を送る。彼の肌から、ぶつり、ぶつりと皮膚を食い破ってそれらは次々と姿を見せていく。
 男の笑みはますます深くなっていった。

「そんなに行かせたくないなら、止めてみれば?」

 彼の言葉に共鳴するように、体外に出た針金虫達はその身を震わせた。黒くて細い、一見生き物なのかわからない気味の悪い生命体がきちきちと耳障りな音を立てた。
 彼は男に勝ち目がないことを理解していた。それでも抗いたいのは、どうしても月のあの子を救いたいという気持ちがあったからだった。

「最期まで抗ってこそじゃない?」

 これが今期の遺言だな。
 彼は男に飛び掛かりながら、呑気にもそんなことを頭の片隅で考えていた。




2014/08/23
花屋の針金虫寄生とマジシャンの悪魔。



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