I won't give up.


 どうやらもう万策尽きたらしい。これ以上は指一本も動かせない。肋骨も何本かやられてしまったようだ。しかもそれが肺に突き刺さってしまっているようで、息を吸うたびにズキズキと痛みを訴えてくる。
 眼前には自らが放った針金虫の死骸がゴロゴロと転がっていた。どの死骸も頭部と胴体が切り離されていて、辺りにはトランプがその身を寄せている。武器がカードだなんて、なんとも小洒落た野郎だと馬鹿にしようにも、己の口から漏れるのは鮮血と浅い呼吸のみだった。

「もう終わり?」

 いや、まだだ。まだ終わるわけにはいかない。返事をするつもりで唇を動かそうにも、最早微動だにしやしない。ダメージが大きすぎたのか、価値目の無い戦いを挑んだがゆえの結果なのか、全身が鉛を背負ったみたいに重くて、もう一ミクロンも動けやしなかった。
 幸は勝利を得た満足感に浸りながらくつくつと喉の奥で笑う。長い下睫毛を指で弄りながら、目の前で風前の灯と化した一人の青年をどうしてくれようか、等と思案しながら楽しげにほくそ笑む。
 水月の眼にしっかりと映り込んだ幸の今の風貌は、赤黒い血を被った、性格の悪い微笑をたたえながら興味津々にこちらを伺う「悪魔」そのものだった。

(……ちくしょう……)

 水月は内心腸が煮えくり返ったように苛立っていた。それは悪魔に対してではなく、己に向けての怒りだった。
 もう何度も何度もこの男とは戦った。幾度も輪廻を繰り返していると、展開や状況こそ違えど悪魔族と争う羽目になることは避けられなかったのだ。
 十回目の戦闘を終えた頃から彼との戦の記録を数えることはやめてしまった。そのため正確な回数は記憶していないが、うんざりするほど争ったことだけは本能が覚えているのである。
 だというのに、水月は一度たりともこの悪魔に勝てた試しがなかった。とある輪廻では万全の態勢であったのにも関わらず、返り討ちにあう始末。ただの「住人」と「悪魔」の力量差はここまで違うものなのか、と歯軋りしたことを覚えている。

(結局今回も……駄目だったのか……ああ、意識が遠くなってきた。もう本当に、真面目に駄目らしい……)

 頭上から幸が何かを語りかけて来ている傍ら、水月は薄れつつある意識の中後悔の念で胸が押し潰されてしまいそうだった。

(幸、君には一度だって……勝てたことがなかったよ…………――悔しい、なあ)

 とても、悔しい。
 その感情は、はたして何処に矢印が向いているのだろう。彼に勝てなかったことなのか、月のあの子を救えなかったことなのか、……それとも、別の何かなのか。
 水月本人にも判断しかねる、この後ろ髪を引かれる思いは彼の心に仕舞われたまま、誰にも気付かれることなく潰えていくしかない。
 せめて誰かに託せたなら、とすら思ってしまう。

 なんてったって、この世界の異常に気付いているのは、きっと僕だけだから。
 だからこそ今の今まで孤独に戦って、傷付いて、挫折して、投げ出して、それでもまた地を蹴ったのだけれど。
 誰かが、誰かが異変を察してくれて、僕の味方をしてくれたならば――少しは気も晴れるのに。

「……さっきから返事がないけど、もしかして死んでないよね? 起きてよ水月くん。起きて私のマジックに協力しておくれよ」

 争いは好きじゃないんだ。幸はそう言いながら、片手に持った杖で水月の頭を小突いた。
 依然として水月から言葉が返ってくることはない。事切れる一歩手前の状況なのだ、今の水月にとっては、言葉を話すことすら難しいことになってしまっている。
 だというのに、最後の最後で妙な対抗心が顔を出してしまうのだ。これは水月の悪いところだった。もう何もせず次の輪廻を待てばいいというのに、彼は最期まで抗おうとしてしまうのが性分だった。

「……その、マジックってさ…………腕とか足を、切断する……やつ、だよね……」

 
 刹那、幸の目がかっと見開く。

「…………本当にさぁ、……酷いマジックだと思う、よ…………っはは、頭、おかしいんじゃないの……?」

 瞬間、動けずにいた水月はゆっくりと雁首をもたげた。幸と視線がぶつかる。それは一瞬のようにも、永遠のようにも感じられた。
 水月は嫌味ったらしく口元を歪めると、血に濡れた舌をべろりと出した。幸は唖然としたまま目を丸くしている。

「どう、どうして私がやろうとしていたマジックを当てたんだい? 君に特殊な能力なんてないだろう、予知とか、読心術とか……。憂くんからは何も聞かされていないのに、どうして……?」

 言い当てられたショックからか、幸は目に見えるほど動揺してしまっていた。おぼつかない足取りで水月から数歩後ずさった彼は、震える声で水月に問いかける。
 しかし皮肉にも、水月は言葉を寄越そうとしない。ただ、狼狽した幸の様子を楽しむかのように瞳を細めただけだった。
 やがて幸が抱いたのは、恐怖心に勝る好奇心。青ざめた顔色がぱあっと明るくなると、彼は再び水月との距離を詰める。

「ねえねえ、一体どうしてわかったんだい? もしかして適当に言った? それとも何か確証があったのかい? ねえ、生きているんなら返事をおくれよ水月くん。私はどうやら君に興味が沸いてきたらしいんだ」

 そうして再三、杖で水月の頭を小突いた。けれど水月は動かない。否、動けなかった。

「ねえ水月くん、……ああ、死んじゃったのかぁ」

 魂が消失していく感覚を幸は感じ取った。目の前にいる水月は今だに幸に挑発じみた視線を投げかけて来ているというのに、そこから生の匂いは少しも感じられないのである。

「死んじゃったのかぁ」

 幸はつまらなさそうに呟くと、力強く水月の遺体を蹴った。ぐじゃり、と耳障りな音の後に、傷口から目を覆いたくなるほどの量の針金虫が這い出してくる。

「っは、あは、あははは!」

 それを見ながら幸は笑った。何がおかしいのかは本人にもわからない。元より躁病を患っているのだ、気分が高揚することに理由など必要ないのである。

「ああ、そうだ! お墓を作ってあげないと! 水月くん、今から君にマジックでお墓を出してあげるからねぇ」

 物言わぬ亡骸に微笑みかけた悪魔は、自分がどのような顔をしているのかすら把握できやしなかった。
 幸は鼻歌を歌いながら地面にしゃがみ込むと、素手で穴を掘り始める。上機嫌なようで、彼の尾っぽは気持ちに呼応して左右に揺れていた。






2015/06/25
諦めたくて、諦められなくて。



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