ハッピーエンドの作り方


 果てのない夢を見ているようだった。
 がらんどうで、何にもない。電子データがふわふわと綿毛のように浮遊している、どことなく近未来的なこの光景を生んでしまったのは紛れもない僕達なのに。罪悪感なんてものは捨て置いてしまったようで、存外感情は凪いでいる。
 ──ただ一つ揺れることと言えば。隣で意味ありげに、ニヒルな笑みを隠そうともせず口角を釣り上げているこの男と目があった時、心の臓を直にぎゅっと握り潰されてしまうような焦燥感に襲われてしまうことと。

「紫尾」

 ふ、とその瞳が細まって。次いで男の右腕がこちらの頬に伸び、やんわりと指の先で柔らかく撫ぜられることと。

「これでハッピーエンドだ、そうだろ?」

 贖罪とは口ばかりで悪いとは微塵も思っていない彼に、そっと唇を寄せられることばかりだ。

(……みんな、死んじゃうのかな)

 もう二度と現実世界には戻れないという、紛れもない、救いようもない、報われようもない現実。
 この選択をしたのは僕らだった。
 さいしょからはじめる、など通用しない。あんなに笑いあっていた帰宅部の面々も、敵として立ちはだかったオスティナートの楽士達も、背中を押してくれたアリアも、この世界に招き入れてくれたμももう、メビウスにはきっと。存在理由を無くしてしまった。
 胸にぽっかりと大きな穴が空いてしまったような喪失感に、虚しさを感じないと言えば嘘になってしまう。またやらかしてしまった、落とし前などつけようもない。いたって短絡的、かつ刹那的快楽を求めたが故に後先を見ず、取り返しのつかないことをしてしまった責任の重さにくらりと目眩が起こる。
 けれどそれもどうだっていいと思ってしまうのは、目の前で薄笑いを浮かべる男が手を差し伸べて、これでいいのだと開き直っているから。
 君はこうした、ならば僕はこうしよう。相手に遠慮がないのだから、こちらも気にする必要などあるまい?
 口八丁手八丁な彼の思うままに行動した末路が、これだけれど。

「共に生まれ変わったメビウスを見に行こうじゃないか」

 かつ、と靴音を鳴らして一歩踏み出した琵琶坂の瞳は、静かに僕を見据えていた。それは何処までも底の無い闇に似ている。
 僕は言葉を返さず、首を上下に振って琵琶坂の後に続いた。μの意識を己に取り込んでしまった彼はいわば、新たなメビウスの王に相違ない。
 彼のさじ加減でこの世界は変貌してしまう。その恐ろしさを、僕だけがこれから知ることになるのだろう。
 琵琶坂は空いた左手で僕の右手を掴むと、強めに握った。彼の手はひんやりとしている。血の気がないみたいで、少しゾッとしてしまう。何度触れられても慣れなかった。

「さあ、何処から行こうか。楽しみだねぇ」
「……シーパライソが良いな」
「君は水族館が好きだね。宜しい、デートと洒落こもう」

 喉の奥でくつくつ笑う男を見上げながら、僕は、ぼんやりとした意識の中、帰らなければならなかったはずの世界にサヨナラを告げた。
 死ぬまでに行きたかった現実の水族館に、ふやけた想いを馳せながら。




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