少しだけ寒いよ
帰宅部ってのは、同じ志しを持った異端者の集まりってだけで別段みんながみんな親しい訳では無いと思う。
相手に深入りしない、がルールなのだ。各々現実に帰りたい理由があるからこうして楽士達と戦っているわけだけれど、その中身を知っているのかと言われたら「ノー」になってしまう。
なんとなく予想のできる人物もいる。分かりやすい例を出すと美笛ちゃんや鳴子や鼓太郎や彩声ちゃん。それに鍵介。本人から直接聞いた訳では無いが、醜形恐怖症、SNS依存症、メサイアコンプレックス、男性恐怖症、ピーターパン症候群辺りが原因でメビウスに堕ちてしまったのだろうと思う。
反面、まったく予想も予測も立てようのない人もいる。維弦くんや琴乃さんや佐竹。鈴奈ちゃんはなんとなく目星がついているが、これだと断言することは出来ない。
触れられたくない真実や心の傷を自ら曝け出す人だなんて、それこそよっぽどの馬鹿か破滅を覚悟した奴くらいなもんだ。少なくとも僕は嫌だ。人外性愛者くらいはまだ話せるが、それよりももっと奥、お腹の底で飼い太らせてやまない、僕が、此処に堕ちてしまった根本原因を知られたら帰宅部から姿を眩ませるしかなくなってしまう。
……なのに、この琵琶坂という男はさらっと素性を話してみせたのだから。帰宅部の面々もさぞ驚いていたことだろうと思う。僕は後から聞かされたので、その現場は目撃していないのだけれど。
そんな帰宅部だからこそ、曲がりなりにも恋人関係になりましただなんて報告は、易々としていいはずもない。
はずもないのだが。
「紫尾はもう僕のものだから、手を出すなよ」
にんまりとした顔で僕の肩を抱き寄せてそう言ったこの男の心が、ほんっとうに読めない……。
面白いくらいに騒がしくなる部室。マジかよだの、嘘だだの、だと思っただの、もっと考えて行動しろだの、やっとくっついただの、部員の面子は思い思いに感じたことを口に出す。
おっしゃる通りです、と唇を一文字に結ぶ僕は、そのままヘラりと曖昧に笑うしかなかった。
「おいおい、僕を誰だと思ってる? 帰宅部唯一の大人の男にして、知性、容姿、地位、全てを兼ね備えた完璧超人だぜ」
そういう問題でもないと思うよ。と心中で突っ込んだのは、ここだけの秘密である。
メビウスから出た後はどうするのだという質問には、「何が何でも必ず見つけ出す」「紫尾は何も心配しなくていい」「僕に任せてくれ」などといったいつものお得意の返答をかましていた。
正直、心のどこかでは、メビウスからサヨナラしたらそのまま音信は不通で、自然消滅みたいな形になって、お互いあんなこともあったなあ程度で終わらせるんじゃないかなって。そう思っている自分がいる。
(……何より)
琵琶坂が帰宅部のみんなと言い争いをしている最中、僕はじっと己の右手を見た。あの日彼に握られた感触を思い出して、どうにもこうにもそわついて落ち着きがなくなってしまいそうになる。
(何より、完璧超人が僕のようななりそこないを本心で好きになるとは考えがたいんだよな)
ぼんやりとした不信感。
拳を握っては開いてを繰り返してみる。あの日のような熱は感じられない。あるのはただ、空気を掴むやるせなさばかりである。
(告白された時は、ちょっと期待したけど。でも)
とっとと諦観してしまった方が、「実は遊びでした」とバラされた時傷が浅くて済む。
だっておかしいじゃないか。彼が僕を好きになる理由が見つけられないのだから。たまたま目に入って、たまたま気になって、たまたま気に入って、ちょっと遊んでやろうかなと思うくらいが丁度いい。
ぐっ、と力を入れて握りこぶしを作る。手のひらに爪が食い込むくらいには、強く。
「芥屋」
「……あ、優くん」
そうしていると、目の前に優くんがいた。帰宅部の部長。いつも何を考えているのだか分からない、不思議な、でもやる時はやる頼りになる男の人である。
彼のことも、僕は知らない。トラウマも、メビウスに堕ちた原因も、何故帰ろうとしているのかも。
知っているのはただ一つ、アリアの前では優しく微笑むことぐらいで。
「手」
「おう、ごめん。ちょっと気が逸れてた」
「……ん」
優くんはふるふると首を横に振っている。そういうことじゃないだろう、と暗に仄めかしている彼の仕草に、少しだけ心臓がぎくりと跳ねた。
無感情なアメジスト色の瞳は美しくて、ずっと眺めていても飽きない気がしている。
優くんは僕の目をじっと見つめている。僕もまた、優くんを見ている。どこか現実離れした意識で、ぼやけた景色の中で、彼のアメジスト色を一点に。
(琵琶坂の目とは大違いだな)
お互いに冷淡なのは変わらないのに、何故か。こちらの方が心なしか人間味を感じる、というか。少し柔らかい雰囲気を纏っている気がして。
「芥屋」
優くんの手が、袖口越しに僕の手のひらに触れる。これ以上強く握ってはいけないと、彼なりに諭してくれているのかもしれない。
「うん、わかったよ。ごめんね」
「ん……」
謝ると再度振られた首に、小さくため息を吐く。
「あー……ありがとう」
「……!」
ふ、と優しげに細められたアメジストは、キラキラと輝いていた。
「おい」
直後、背後から降りかかるドスの効いた声。聞き間違えるはずもない、紛れもなく琵琶坂永至その人の肉声に他ならなかった。
強引に腕を引かれ、再び肩を抱かれる。無理に離された手のひらは、緩やかな熱を持っている。
「人の話は一言一句漏らさずに聞き入れることだよ、部長さん?」
ニッコリ。そんな効果音がぴったりの笑顔を被った琵琶坂からどす黒いオーラが見えるのは、僕の幻覚であってほしい。
優くんは二度瞬きをすると、そっと僕と琵琶坂から距離を取った。悪いとも思っていないようで、ブカブカの袖をパタパタ揺らしながらこちらに視線を向けている。
(……あれ?)
そういえば、と思い返しながら、僕は優くんの胸ポケットから眩い光が飛び出していくのを見届けた。
光の正体はアリア以外に該当しない。彼女は目をランランと輝かせながら琵琶坂の傍らを飛び回り、あることないこと根掘り葉掘り聞こうとする体制のようだった。
(なんで僕、優くんと琵琶坂の目を比べたんだろう)
ブラックホールみたいにどこまでも吸い込まれそうな闇と、どこにいたって煌めいて見えるアメジストじゃあ比較のしようもないはずなのに。
(なんで……?)
刹那、胸元を針で刺されたような感覚に襲われる。チクチクとしたそいつは神経痛であって、実際の臓器に害があるのではない。
アリアは両手をぶんぶん振り回しながら僕と琵琶坂の馴れ初めを聞いている。琵琶坂は微笑をたたえながらそれに答えている。そもそも今がその馴れ初めに該当するのに、何を聞くことがあるのだろうか。アリアは時々人以上に不可解な行動をとるなあと思う。
ただの二進数のくせに。
なんとなく居心地が悪いから離れようと思うも、琵琶坂は相変わらず僕の肩に腕を回したままでしばらく解放してくれなさそうだ。とはいえ、このままアリアと琵琶坂の途方もない対話を聞いているのもなかなか辛いものがある。
気休めに視線をスライドさせると、すぐ傍に優くんが立っていた。先程から移動していない彼は、足を止めたまま左腕の袖口にその白い牙を立てながら恨めしげに琵琶坂を見ている。
(ヤキモチ、妬いてるのかな)
優くんにとってアリアは、恐らく唯一無二の大切な、欠けてはならない存在なのだろうな。
(……いいなあ)
チクチクと胸が痛んでいる。帰宅部は今日も活気に溢れていて、どこを見たって賑やかだ。
(不毛だな)
以前なら、この中に僕と琵琶坂もセットで含まれていたはずなのに。告白という機会を得たせいで別の何かに変貌してしまったから、前みたいに騒ぐことは許されないのだろうか。
そう思うと、途端に泣きたくなった。
窓の外を見る。白い雲がうんと高く登っていた。それでも青い空は遠く遠くへと広がっていて、果てなどなかった。
琵琶坂が何を考えているのか、僕には一つだって理解できない。
行き場をなくした空いた手のひらは、虚に浸したように寒かった。
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