うぬぼれたいんだ
琵琶坂が体育館裏に連れて行かれるのを見かけた。
否、これでは誤解を生む。正確には、自ら体育館裏に足を運んだ。傍らに、赤面した女子高生を連れて。
(……まあ、そりゃあそうよな)
当たり前といえば当たり前の光景である。
頭が良くて、運動もできて、人懐っこい笑顔は好印象だし気が利くし。うんざりするくらい完璧な彼は、なるほどミスターパーフェクトを自称するだけの力を持ち合わせているのだ。
だから、なんというか。これは仕方の無いことだと思う。琵琶坂はそういう人物なのだから、変に気にしたっていいことは無いのだ。
(ふむ……しばらく来なさそうだな)
僕はジャージの袖口をパタパタと動かしながら体育館裏を数分見つめていたが、帰ってくる様子がないことを悟るとその場から立ち去ることを選んだ。
そもそも待っていようと思ったことが間違いなのだけれど。でもどうしてか、なんだか、後ろ髪を引かれる思いをする……というか。胸の奥に煙がわだかまりを作ってしまっているみたいで、とても気分が悪くなる。
後五分もすれば次の授業のチャイムが鳴ってしまう。それまでには教室に戻ってくるであろうと予想して(何せあの優等生琵琶坂永至くんである)わざとそっとしておこう。その方が良い。お互いに。
コンクリートで出来た道を踏んだ。弾かれて転がってきたと予想される砂利が上靴に潰されて音を出す。掠れたそいつをぼんやりとした意識で聞きながら、体育館を後にした。
案の定琵琶坂はチャイムが鳴る一分前に駆け足で教室に飛び込んできた。僕は次の用意を終えたばかりで、机の上には科学の教科書とノートを並べて置いてある。
琵琶坂は自分の机へ向かうのではなく、こちらに真っ直ぐ歩いてきた。どことなく機嫌が悪そうに見えるのは僕の気のせいであってほしい。
彼は美しい黒い眼をキッと吊り上げている。
「待っていてくれると思った」
「そう言われても」
「君は僕がどうでもいいのかい」
おっしゃる意味がわかりません、とすっとぼけたい自分がいる。
大方この口ぶりだと、己が体育館裏に行く様子を僕が目撃したと知っていたのだろう。だとすれば、この男のことだからあえて彼女に下す答えを焦らしていた恐れすらある。
ろくでもない。とんでもない男だとつくづくゾッとした。
「なんでそうなるの……」
「なんでも何も」
琵琶坂の言葉を遮るようにして、授業の始まりを告げるベルが鳴く。先生が扉を開けて入ってくると同時に、琵琶坂は渋々自身の席へと戻っていった。
(おお怖い)
気持ちは分からないでもない。というか、死ぬほどわかるのである、これが困ったことに。
なんたって僕はえげつないくらい嫉妬心が強い。それこそ様々なものに感情を分離しなければいけないくらいには。
本心を言うと、分離だなんて真似はしたくない。一途でいたいのだ、これでも。しかれども、たった一つ心に決めた存在に愛をなみなみと注いでしまえば独占欲に雁字搦めにされ、嫉妬の化物が牙を剥くことになるのを痛いほど理解している。
それが原因で仲違い……どころか、人生を駄目にしたこともある。人間の一生を狂わせたのは、その一度きりでないことを僕は誰よりも理解している。だって自分がやったことだし。というか、本人である僕しかこのことは知らないし。
何が悪質かって、嫉妬の対象は恋情を抱くものだけに留まらないから悪質なのだ。親友と慕っていた友は僕の束縛に耐えきれず連絡先を一切絶ってしまった。大切にしていたゲーム機を妹に勝手に使われたからタコ殴りにして首を絞め窒息させかけた。カードゲームのレアカードを盗もうとした後輩を車通りの多い道路に突き出した。ふっと思い出すだけでもすぐに浮かんでくる、自らがした罪。
(嫌になる)
嫉妬の炎が燃え上がれば燃え上がるだけ伸びていくから、コントロールの仕様も無い。だから僕はわざと色んなものに手を伸ばしている。こうして分散させないと、また誰かが犠牲になるから。
(……気持ちはわかるんだけどなぁ)
先生の解説を聞き流しながら、僕はちらりと琵琶坂の方を見遣った。琵琶坂は神妙な面立ちでノートを取っているようで、僕の視線になど気付きやしない。
「……」
こっちを見てくれないかなあ、と思っている自分が本当にワガママの塊すぎて反吐が出そうになる。
(早く諦めきらないと辛いのは自分だぞ)
窓から入ってくる風は金木犀の香りを持ち帰ってきたようで、少しばかり鼻腔がくすぐったかった。
今日の空は嫌に良く晴れている。真っ青な海のようだった。
太陽が煌々と照っている。運動場では下級生が走り高跳びに勤しんでいた。
琵琶坂永至は帰宅部唯一の大人の男である。知識人であり、眉目秀麗で好青年、本人曰く地位も良いらしい。僕は現実の彼なんて全く知りえないけれど。
そんな琵琶坂が、わざとらしく不機嫌そうな態度を取っている。目を細めて椅子に腰深く座り、平らなテーブルを指先で一定のリズムを刻みながら時折ため息をついている。
「……はぁ」
「……」
何これこっわ。誰のせいだよ。
恐らく帰宅部全員が思ったであろう感想を心中で吐く。こうもへそを曲げられるとは予期していなかった。
結局あの後授業が終わった僕は、居心地の悪さを感じて琵琶坂を避け続けた。具体的に言うと女子トイレに逃げ込むなどした。さしもの琵琶坂も女子トイレに入ることは許されない(いや許されるかもしれない、おのれイケメン)ので、現状安全を約束されたのは個室トイレの中という訳である。
だけれども、放課後は必ずやってくる。そこで僕は腹をくくり何かしらの対話を試みるつもりではあったのだが……。
「えーっと……なんか空気重くない?」
気まずそうなアリアの声が静寂に落ちた。
部員の何名かの目線は明らかに僕に向いている。喧嘩でもしたんだろ早く仲直りしろよと言わんばかりの威圧すら感じられた。特に琴乃さんの目が怖い。そんな顔しないでくださいと泣きつきたくなる。
僕はあまりの空気の重さに完全に萎縮してしまっていた。この流れだと僕が悪いみたいじゃないか。遺憾である。誠に遺憾である。
「紫尾」
「ヒャイッ」
火蓋は突然切って落とされた。
澄んだ声、とは程遠いどす黒い声色で僕の名を呼んだ琵琶坂は、指でテーブルを叩くことをやめ言葉を綴る。
鳴子が生唾を飲む音が聞こえた気がしていた。
「少し外に出ようじゃないか」
「あ、はい」
これ僕死ぬのでは?
【悲報】芥屋、琵琶坂に呼び出される。といった見出しでGOSSIPERに書かれそうだなあと思いながら僕は重い腰を上げた。次いで琵琶坂も立ち上がり、先導して扉の前に行きそっと取っ手を引く。
スマートな立ち振る舞いは今も変わらない。纏う空気があまりにも禍々しいけれど。
僕は軽く会釈して先に出た。迫り来るストレスで胃の中のものがタップダンスしている。吐きそう。
琵琶坂は僕の手を握って歩いてくれた。くっついている手のひら同士は熱を持っているので温かい。何段かの階段をのぼって連れてこられた先は屋上だった。
屋上に着いた後も、琵琶坂は手を握ったまま離そうとはしてくれないでいる。
太陽は東に傾いているけれど、それにしたって眩くて仕方がなかった。たまらず目を細めると、琵琶坂が夕日を背にして立つ。腹立たしいほど気遣いの出来る野郎だと思う。
あんなに青かった空も、すっかり熟れてオレンジ色に染まってしまった。
「早速本題に入ろう。どうして待っていてくれなかった?」
「……告白されてるところを待ってる奴なんて、なかなかいないんじゃないかね」
苦々しげに吐き出した言葉には、トゲが含まれている。
無表情を努めているつもりでいるけれど、きっと険しい顔になっている自信があった。だって、理不尽じゃないか。僕は悪くないのに。
それもこれもあの日シーパライソで琵琶坂が僕に好きだなんて言うからいけない。
「普通は気になって見に行くと思うんだけどね」
「覗きは関心しないので」
「それもそうだ」
琵琶坂の体温は、別段高くはない。むしろ冷淡で、平均よりも低いのだと思う。僕と似たり寄ったりではなかろうか。
なのに握られっぱなしの拳は、悔しいくらいポカポカして。地団駄を踏みたくなる程度にはむかっ腹が立つ。
(──そう言えば、最初手を引かれてデジヘッドから逃げた時)
こいつの手はやけに冷たいなと感じたことを、不意に思い返している。
当初はこんな急激に距離が縮まるとは予想もしなかった。
「琵琶坂のその態度だと、構ってほしいように見えるよ」
へらっ、とした軽々しい言の葉は風に乗って転がり落ちる。琵琶坂の顔が怖くて見られなかった。僕は灰色のコンクリート製の地面をじっと見つめながら、緩やかな風に吹かれて屋上に突っ立っている。
「構ってほしいだって?」
彼の声は、心外だな、と続いて。
「そんな生半可なものだと思われていたのか。君は実に他者に関心がないな」
急に、腕を引かれた。
「男の嫉妬は醜いんだ、知らないのか?」
つんのめって顔から飛び込んだ先には、当然琵琶坂がいた。シーパライソの時よろしく胸に頭を押し付けられている。つまるところはハグされていた。あの日よりも強く、わりと本気で痛いレベルで。
(待て、それよりもこの男何を言った? 嫉妬だって? 琵琶坂が?)
ガツンと鈍器で脳みそを直接殴られたような衝撃が迫り来る。
思わず言葉を失った。これも演技か、恋人ごっこを助長させるためのスパイスなのだろうか。そう思わないと妙な期待をしてしまいそうで、僕は。
琵琶坂が僕を抱く腕の強さは少しずつ増している。顔を埋めた先が彼の胸板なだけに、息がしづらくて仕方ない。本音を言うと苦しい。僕はただでさえ器官が細いと言うのに。
「優くん優くんって馬鹿の一つ覚えみたいに部長の名を出すのはやめてくれ」
言い終わると同時に、琵琶坂は拘束を解き放った。僕は咄嗟に深呼吸をする。全身の骨がキシキシと音を立てていた。
肺にたっぷり空気が入っていくと同時に、琵琶坂へと視線を動かしてみる。彼はこちらを真剣な顔で見据えている。真面目で、でもどこか意地らしさを感じさせるような、少しばかりむっとした顔で。
すとん、と腑に落ちた感覚があった。
「僕を苗字で呼ぶのなら、他の連中もそうしてくれないとフェアじゃないだろう?」
「……これじゃあ本当に、ヤキモチ妬いてるみたいだよ」
「実際嫉妬だけで火を起こせそうだ。試してみようか?」
「ご遠慮します」
黒焦げにされそう、とほくそ笑むと琵琶坂も釣られて笑みを浮かべる。夕日を背にして立っている彼の目元はいつもより影が濃く刻まれていた。
もし彼が本心から嫉妬していたら、本気で感情の乱れのみで発火させることが出来てもおかしくはない気がして。ちょっとだけ怖いので丁重にご遠慮申し上げることにして。
(期待させないでほしいんだけどな)
夕闇の空にはカラスが良く似合う。ちょうど彼の瞳みたいに、黒ければ黒いほど良い。
夕焼けはすっかり熟してしまっていて、食べるには遅すぎる。
(寄りかかりたくなるじゃないか)
琵琶坂も僕も、まだ心の底から信用しあってなどいないはずなのにな。
(……でも)
手のひらが温かいので、今はこれが全てだ。
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