オモイデバナシ


「おい」

 隣から機嫌の悪そうな声が放たれる。やんわりと首をもたげると、眉間に皺を寄せた山姥切国広の姿がそこにあった。夜の闇にも紛れない金色の髪は、戦で舞った土埃のせいで少しくすんで見える。

「何かな」

 髭切はくあり、と欠伸をしてから返事を寄越す。山姥切国広はどうにもこの髭切とそりが合わない刀だった。髭切は本丸内外で度々問題行動を起こしては、主たる審神者を悩ませている。初期刀でもある山姥切国広は、そんな髭切を好いてはいないのだろう。

「ちゃんと見張っているんだろうな」
「やだなぁ、これでも警戒しているんだよ? 僕は君と違って暗闇の世界が見えづらいんだから」

 軽く笑いながら言い終えると、髭切は視線を月へと投げる。弱い雨に紛れながらも柔らかい月光を放つそれは、黒い雲の隙間から顔を覗かせていた。

「なら月ばかり見るのをやめてくれ。万が一という事になったら、困るのは俺ではなく主だ」

 深いため息が夜闇に溶けていく。山姥切国広は今回の任務で部隊長を務めていることもあり、気が張って仕方ないらしい。

「主といえば」

 髭切はゆるりと呟く。

「優しいよねぇ、とっても」

 山姥切国広は唇を一文字に結んだ。髭切の放つ言葉の真意を掴みかねている様子らしい。

「とてもいいこ。……そんなことを思いながら、昔を思い出していたんだ」
「……昔?」

 緑目の刀が再び眉根を寄せた。髭切は月を眺めたまま、山姥切国広の方を向くことをせずに口を開いている。しんと静まり返った熊本城内は、虫の鳴き声一つすら聞こえてきやしなかった。ただただ髭切の放つ声色のみが、暗がりに伸びているのだ。

「あれは確か……僕が人の身を得て間もない頃だったかな」

 ぽつり、ぽつりと雨のように転がる言葉の節々をなぞりながら、山姥切国広は聞き耳を立てる。その際に辺りを横目で見遣ったのだが、他の隊員は夜警役である二振りを頼りすっかり眠りに落ちていた。
 髭切が語る話を聞いているのは、恐らく──山姥切国広だけだ。

「戦でヘマをしてしまってね、今でこそ考えられないことだけれど、結構深い傷をいくつもこさえてしまって。僕としてはどうでも良かったとはいえ、このままじゃあ戦い続けられやしないだろう? 他の刀に背を押されて手入れ部屋に行ったのさ」

 髭切の眼差しはなおも月を射抜いたままだ。山姥切国広は僅かに身動ぎをした。
 膝を抱いていた手のひらに少しばかり力を入れる。刀剣男士ならば一度は対峙する失態は、他刀の体験であれ聞いていて気持ちのいいものではない。

「主は手入れ部屋で僕を待っていたみたいでね。ほら、あの子なかなかに神経質だろう? だから和ませないといけないなあとか思いながら、適当に言ったんだ」

 ──いやあ、やらかしてしまったよ。ごめんごめん、あっはっは。

 山姥切国広は当時その場にいなかった。それでも髭切の対応を容易に思い描けてしまった。それは髭切が、そういった在り方である事への証明でもある。

「そうしたらあの子ったら、すごい剣幕で僕に言ったんだよ」

 ──笑ってる場合じゃないだろ! 壊れたらどうするんだ!

 髭切はここで小さく微笑んだ。思い出を懐かしむ彼の視線は、どうしようもなく優しさを孕んでやまない。



「これから手入れする。僕に話しかけるなよ」

 主はそう言うと僕をふかふかのお布団に押し込んで、懐紙を口に咥えた。それから、畳に置かれた僕の本体を鞘から引き抜いたかと思うと、やがて重さにもたついて二度三度と左右に体が揺れてしまう。

「大丈夫かい?」
「ん!」

 気遣うつもりで声をかけると、無愛想な唸り声が返ってくる。うるさい、と咎められた気がした。
 主は僕よりもずっと小さな背丈だ。一尺の差はありそうなそんな体でやっと刀身を抱えると、甲斐甲斐しい手つきで打ち粉をはたはたと落としていく。

(慣れたものだなあ)

 審神者なのだから慣れていて当然なのだけれど、ともかく僕はこの小さな命が懸命に務めを果たさんとしている姿に関心を覚えた。
 幾度も丁寧に鎺本から刃先へと拭い紙で拭われる度に、何とも言えない安堵を覚える僕がいた。

(なるほど、これが手入れ……)

 次第に瞼が降りていく。覚えたての眠気が僕を夢の世界へと誘おうとしていた。
 その間も主は、ただ静かに僕の刀身に打ち粉をはたいては紙で拭ってばかりいる。狭まる世界の中、ぼやけた視界に映る主の表情はあまりにも愛しげで。

(ああ、君は刀が本当に好きなんだねぇ。あの時から)

 ──あの時から?

 意識が途切れる寸前に、君との「初めまして」を確かに思い出してしまった。



「あんなに本体を大切に扱われたら、やっぱり好きになっちゃうよねぇ」

 朗らかに笑う髭切は、ここで初めて山姥切国広に眼を向ける。夜に上っている月のように丸い彼の瞳は、蜜色に濡れていた。

「また時間をかけて手入れしてくれないかなあ」

 微笑む髭切の唇から覗く鋭い牙は、狡猾であることの表れだ。

「……主に迷惑をかけるのはよせ」

 山姥切国広はそうとだけ言って、それ以降は会話を続けようとしなかった。ふいとそっぽを向いたのだ。
 頬に落ちる冷たい夜の雨は、未だ止みそうにない。




(2021/04/29)


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