とある猫の演劇の閉幕
「うそつき」
苺のように真っ赤な唇がきゅっと歪んだ。その隙間からちらりと覗く白い歯がやけに眩しい。おれはあの娘の表情が醜く崩れていく様を、どこか他人行儀で眺めていた。
あの娘の言うことはもっともだ。おれはあの娘を裏切る真似をしてしまったのだから、あの娘が怒るのも無理はない。
じくりと胸の奥が痛みを訴える。絶えず膿が滴り落ちているかのような感覚に、心臓が熱くなる。おれは瞬きを一つした。あの娘の顔色は変わらない。
「私だけを見ていてくれるって言ったのに」
あの娘の小さな手のひらが、おれの頬を打った。乾いた音と共におれの目線は横にずらされてしまい、あの娘の様子を伺うことが不可能となってしまう。おれはそれすらも構おうとしないまま、ただただうなだれた。
あの娘の麗しい顔が、ぐしゃりとひしゃげていくのがわかる。耳に心地いい鈴みたいな声すら、雷のように変貌してしまった。そうさせたのはおれだ。
おれが、あの娘を乗り越えようとしたから。
あの娘を引きずって生きていこうとしたのではなく、否、あの娘を引きずったまま死のうとしたのではなく乗り越えようとしてしまった。それが最善だと考えてしまった。
あの娘のことを忘れるわけじゃない。ただ、この経験をいつまでも見つめているよりも、それを糧にした方があの娘と――おれのためになると思ってしまった。
でも、あの娘はそれが気に入らなかったんだ。あの娘は乗り越えられたくなかった。ずっと引きずられて、おれの背中にしがみついて、おれを縛り付けていたかったんだ。
だからおれに自らを殺すよう強要したのだろう。
それぐらいはおれにもわかる。あの娘とは長い付き合いだから、彼女が何を考えているのかは大体想像がついてしまうのだ。
「ごめんね」
咄嗟にこぼれ落ちた言葉は、それだった。
ぱしん。再び乾いた音が響く。2度目の平手打ちにおれは僅かにたじろいだ。両の頬が火傷を負ったみたいにじんじんと熱を訴えている。夢だというのにやけに鮮明な痛覚があるのだなあと、不思議に思った。
「謝る必要なんてないんじゃないかな」
刹那、あの娘以外に聞き慣れた声が鼓膜を震わせる。おれははっとして前を向いた。光の当たりようによっては金色に輝く彼の茶髪が、静かに揺れていた。
おれは絶句する。だって、あの娘の夢に彼が出てくるなんて、そんなことはあまりにもおかしすぎるのだから。
彼はあの娘に向かって優しく微笑むと、甲斐甲斐しく手を伸ばす。彼の手があの娘の頭の上に佇むと、あの娘は目をまん丸に見開いて固まってしまった。
あの娘のあんな顔、久々に見るなあ。――いつだっけ、そうだ、五歳の頃だ。おれがシロツメグサで作った花の冠をプレゼントしたら、今みたいに鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした後へにゃりと眉を垂れて笑ったんだっけ。
「ジジは君のことを忘れたりしないよ。……ね、ジジ?」
昔を懐かしんでいると、彼がこちらに視線を投げかける。おれは何も言わずに頷いた。あの娘は唖然としたまま彼を見上げて、その次におれを見つめた。おれはあの娘に向かって笑いかける。あの娘は今も尚目を丸くしたままだ。
「うん、おれは君のことを忘れたりしない。絶対に」
おれがそう言った瞬間、あの娘は――あの時と同じようにへにゃりと眉を垂れて笑った。
目覚まし時計の音で目が覚める。気だるい体を無理矢理にして起こすと、おれは冷蔵庫に入ったミネラルウォーターを取りに向かった。
キャップを外し中のものを一気飲みすると、おれは寝間着のまま自室を飛び出して購買へ急ぐ。
寝癖やら、格好やら、腫れぼったいおれのまぶたやらですっかりみすぼらしい容姿になっているおれを見た購買の売人はパチパチと目を閉じたり開けたりしていた。
「白髪染め、一つください」
あの娘に縋ることはもうやめよう。
あの娘の分まで生きていこう。
おれがそうしようと思うことになった原因は、夢に出てきたまごう事無きあいつなのだけれど。彼はまだ眠っているのだろうか、起きているのだろうか。
おれはあの娘に少しだけ申し訳がなかった。あの娘はきっと、誰からも忘れて欲しくなかったんだ。だから一番記憶に残りやすいと思う最良の方法をおれに試した。
結果おれはこうして歪み、狂い、訳のわからない学園で罪を償う行為に勤しまなければならなくなってしまった。そのおかげで大切なものに気づけたのだから、人生とは何があるかわからないものだと思う。
白髪染めを購入したおれは駆け足で自室に戻った。さあてどうしてくれようか、多くの人が驚くに違いない。
いや、驚いてほしい。このおれがここまでするのだ、そういうリアクションをしてもらわなければ困るというもの。
「おはようジジ……ってあれ!? 髪が真っ黒になってるよ!?」
切崎の言う彼――五月女緋色が目にしたのは、髪をすっかり黒に染めた切崎の姿だった。
切崎は気にも止めない様子で小さく首を傾げると、さらりと「染めた」とだけ返す。
これからいつもと変わらない日々が始まると思っていた緋色にとって、この変化は非日常に違いなかった。
「そこまで驚くかなあ」
対する切崎はといえば、緋色の様子を大袈裟と言わんばかりにやれやれと首を振る。一見落ち着いた態度を取っているように見えるが、内心驚かれて嬉しいというのは切崎だけの秘密である。
「ああ、ところでさ」
切崎は不意に話題を変えた。彼から話を振ることも珍しいなあ、と緋色は感慨深く思う。今日は面白い一日になりそうだと意気込んだところで、切崎は天と地がひっくり返りそうな言葉を放った。
「おれのこと、ジジじゃなくて羨って呼んでよ」
おれはもうあの娘の黒猫である必要がなくなったからさ。
平然としたままそう続ける羨に、緋色はぱあっと顔を明るくさせた。
2015/03/31
三月お題「決着」より、五月女緋色くんお借りしました。以下あまりにも意味がわからないので補足。
【補足】
緋色くん含む大罪のメンバーと関わるうちに「やり直すことが正しいのでは?」と思うように。しかしその気持ちとあの娘への思いとで天秤がぐらぐら揺れ続け、結果幻覚幻聴や夢であの娘と接触することに。
それが続いて疲労困憊だった頃、今回の夢に緋色くんが登場。「君のことは忘れないよだから安心してね」ってな具合で解決。
あの娘は極度のさみしがりやで、普通に生きて普通に死んで、緩やかにみんなの記憶から消えていなくなるのが怖かった。だから一番身近で親しい羨にああいうお願いをしたと。
ちなみに羨の夢に出てきた緋色くんは単純に羨の願望なので、現実の緋色くんとは何の関係もないです。でも緋色くんがそういう風に思っててくれたらいいなーっていうアレ。
あの娘の黒猫である必要がないのに黒染めした理由は?ってのは、彼は猫耳の形に見える部位を白く染めて「おれはジジとは違う」アピールをしながら「おれはあの娘の猫です、黒猫の名前名乗ってるけどおれはおれですおれを見て」的な歪んだ感情を抱いていたということ。真っ黒に染めるということは、その想いから解き放たれたってわけですね。
お粗末さまでした。
ALICE+