独白
切崎が新学期を迎える前に呼び出された場所は、一年十組と書かれたプレートがぶら下がった教室だった。
呼び出したのは彼の担任を勤めるこの学園の教師で、何やら神妙な顔立ちで切崎に席に座るよう命じた。
教室の中は嫌に殺風景で、中心部に机と椅子が二つずつ向かい合って置かれている以外には何も見受けられない。
切崎がそのうちの一つに腰かけると、しばらくして担任も椅子を引いてどっかりと腰を据えた。
切崎はどうして自分が此処に呼び出されたのかわからなかった。だからこそ怪訝げに担任の顔色を伺っては、時折暇をもて余して前髪を指で弄っていた。
担任が口を開いたのは、互いに向き合って座ってから五分後のことだった。
「なあ、切崎」
彼はどうも虫が悪そうに切崎に話しかける。
「どうして浄化を目指そうとしないんだ?」
問われてから切崎は、「ああなんだ、そんなことで自分のことを呼んだのか」と心中で呆れ返った。けれどそんなことはおくびにも出さず、ただただ担任の言うことにじっと耳を傾けるばかりである。
担任は緊張しているようで、目を何度もしばたかせては小さくうめき声をあげていた。
「ああ、いや、何もお前の行動を否定しようってんじゃないんだ。ただ……やっぱりなあ、担任だから心配なんだよ」
それは本心か、はたまた自身の評価を上げたいがための言葉なのか、ただの安い綺麗事なのか。切崎は冷めた気持ちを腹の中で蠢かせながら、担任が吐き出す言葉をじっと聞いていた。
聞いているだけで、決して口を開こうとはしない。
「なんでそんなに心配かって、お前は俺の昔に似ているからであって……あー、どうも上手く言葉が出てこないな」
担任はそう言うと骨で角張った大きな手を後頭部に置き、そのまま乱雑にがしがしと頭皮を掻いた。それは彼が落ち着きを保とうとする時によくする癖なのだということを、切崎は熟知していた。
切崎は担任の言葉を聞きながら視線を下に落とす。見えるのは自分の太ももだけだった。黒いズボンに覆われた自身の脚はさぞ貧弱なのだろうと、すでにわかりきったことを脳の片隅で少しだけ考えてみた。
「でもな、人生捨てたもんじゃないぞ。希望は必ずあるんだ」
担任が鼻息を荒くして言ったこの言葉の羅列に、切崎は僅かに反応を寄越した。それから彼は心の中で「希望」と呟いた。けれど呟いたのは一度きりで、切崎は眉根を寄せると再び担任の言うものを聞く任務に集中することとなる。
どんな教師でもそういったことはよく口に出すものだった。諦めるな、大丈夫だ、今は辛くても、などと、何度似たような言葉を投げられたことか切崎には検討もつかない。
それでも胸の奥に巣食うコールタールみたいにどろどろとした黒い感情は、前向きなフレーズを耳から受け取る度に熱量を増し、ぐらぐらと煮えていく。
「こんな俺でも罪を浄化して此処で教師としてやっていけているし、可愛い嫁さんももらえた。だからそう諦観するな」
ああ、ほら、そんなに前向きになれている時点でおれとお前は何一つ違うじゃないか。切崎は込み上がってくる醜い感情に耐えきれず、思わず歯を食い縛った。
罪を浄化するだけの希望を持っていた彼がたまらなく羨ましい。好きな人と結ばれた彼がとてつもなく羨ましい。男らしいがっしりとした体型が羨ましい。生徒に慕われる教師で羨ましい。羨ましい。羨ましい。羨ましい、羨ましい、羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい……。
こんなことを思ったって何の役にも立たない。それどころか己に損な結末ばかり運んでくる。だというのに、羨望はとどまるどころを知らない。
思考、容姿、対人関係、趣味、経歴、様々なことに目がいき、それが自分と違うことに底知れぬ妬みを感じてしまう。
これこそが切崎の罪だった。
「…………」
切崎は静かに、しかし勢いよく立ち上がった。その時に彼が座っていた椅子は大きな音を立てて転倒する。ごとり、と硬質なものが床に叩きつけられる雑音が耳に届いた。
担任は切崎が突然立ち上がったことに狼狽えたようで、幾分か小声で切崎の名を呼んだ。
けれど切崎は返事をせず、それどころか虚ろな目で担任をぼんやりと眺め、そっと利き手を開いてこう言ってのける。
「『銃創造』」
みるみるうちに切崎の手の中には、ピカピカに白銀の光を纏った黒塗りのコルトパイソンが出現したのだった。
担任は切崎が銃を創り出したのだということに気付くと目の色を変え、反射的に立ち上がろうとした。それを見た切崎はすぐさま担任の額に銃口を向けると、躊躇わずに引き金を引く。担任の口は何かを言いかけたが、それが間に合うことはなかった。
利き手に跳ね返るような強い衝撃を感じた頃、切崎はなんとなく「こいつは能力を使用しようとしたけれど、間に合わなかったのだろう」と思った。
担任は目をかっと見開くと地面に落ちていった。椅子の倒れる音の後に、もっと重量のある物体が地べたに沈む地響きを感じていた。
切崎は何食わぬ様子でコルトパイソンを指先で回しながら、担任の傍らにしゃがみ込む。担任は撃たれた部位を両手で押さえながら言葉にならない声を発していた。
担任の額からは今しがた溢れたのであろう、仄かに黒ずんだ鮮血がだくだくと噴き出していた。飛び散った血痕の後には桃色の肉片が散らばっていた。
切崎は暫しの間自分の担任が悶え苦しむ姿を眺めていたが、やがてゆっくりと立ち上がる。それから腹を力強く踏むと、再び拳銃を構えて溜め息を一つこぼした。
「先生」
この時切崎は初めて担任に向かって口を開いた。
「最期までおれのこと、ジジって呼んでくれませんでしたね」
この言葉を言い終えると同時に、耳をつんざくようなタン、タァンという音が教室内にこだました。
切崎はとどめにもう一発弾を撃ち込むと、気が済んだ心持ちで能力を解除した。ふっと利き手が軽くなる。コルトパイソンが消失したのだった。
現世でもこの能力が使えたら、一流の犯罪者だろうな。切崎はそんなことを考えながら頬についた返り血を手の甲で拭うと、からりと教室の扉を潜り抜けていった。
「失礼します」
切崎が向かった先は職員室だった。教員は血にまみれた切崎を見るや否や、不快そうに目を細める。切崎は以前から問題行動を起こしていた、筋金入りの問題児だった。
どうにも煙たがられてしまうなあ、と切崎は諦めた態度で職員室内を物色する。学年主任の教師を目で探していた。
やがて見つけたその教師を呼び出せば、切崎は至って真面目そうに身なりを整えると軽く会釈した。学年主任は次に生徒が繰り出す発言がどれほどまでに異常なのかを知らずに、のんきそうに首をかしげた。
「おれは担任の先生をこの手で殺しました。罰は受けます」
平然としたまま白状した切崎の表情は、気味が悪いほどににこやかなものだった。
2014/10/02
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