サイダー

 切崎は食堂にいた。丸い掛け時計の短針は十二の数字を指している。言うまでもなく、昼食の時間だった。

 切崎は今日も心に響かない道徳の授業を寝ぼけ眼で四時間たっぷり受け、くありとあくびをしつつこの食堂に訪れた。すでに食堂には多くの生徒が集まっており、トレイに乗せた学食を机に置いて椅子に腰掛け、食事を開始している。
 無論切崎もこの学園の生徒の一員であった。彼もまた、丁寧に整えられた白いトレイを一枚拐うと両手でしっかりと持ち、分配されていく食料にちらりと目配せする。

 豚肉が天辺に盛り付けられたうどんと、漬け物が少し。 お好みで味噌汁も配布しているらしかった。

 切崎はそれを確認すると、肉が乗ったうどんと漬け物をトレイに乗せる。それから空いている席に歩み寄り、何気ない動作で机にそれを置く。
 近場に冷水機があるのでそちらに立ち寄り、白いボタンを指で押して水をコップに入れた。
 準備を済ませた切崎はコップを机に添えると、割り箸を割ってうどんを口に運んだ。
 向かい合わせには楕円型の眼鏡をかけ、黒髪のおさげを携えた女子生徒が同席していた。食事の用意をしているときには気がつかなかったらしく、突然視界に入り込んだ存在に驚いた切崎は箸を止める。
 彼は腕章へと視線をスライドさせた。色濃く出ている黄色を見て、彼女は暴食なのだろうと認識した。
 おさげの彼女はすごい勢いでうどんを咀嚼していく。すでに幾度かおかわりをしたようで、空のお椀が二つ積まれていた。
 切崎は思わず面食らう。男の自分なんぞよりも胃袋が大きいだなんて、と驚愕の声を心中で漏らす。けれどそこに嫉妬の感情が沸き出てくることはない。彼は純粋に驚いていた。
 切崎は少女の食べっぷりを見ているうちに、だんだんと空腹感が紛れてしまっていた。見る者を圧巻する彼女の迫力に、切崎は呆然としていた。

 やがて少女は切崎の視線に気付いたのだろう、じらり、と怪訝そうにこちらを覗き見る。切崎は反射的に目をそらすと、出来る限りの平然さを装って食事を再開した。
 仄かに甘味を感じる優しいうどんの味に一息つく反面、やはり彼は、目の前の彼女がどうしても気になってしまう。
 再び少女の方へ視線を向ける。彼女は食事を終えたらしく、空になった器とトレイを手に回収ボックスへと歩き出していた。
 ここで切崎が彼女に抱いていた興味はふっと薄れてしまう。彼はただ、彼女の食べる姿を眺めていたかったのだ。
 箸でうどんをつまんでは、口に運んでいる切崎。彼は先刻同席していた彼女の食べっぷりを思い返しながら、静かに食事に勤しんだ。

 するとふわり、切崎に一本の影が射す。目の前には先程の少女が立っていた。
 切崎は目だけを彼女に向けたものの、それ以上の反応は示さない。彼は彼女自身には全くの興味も持ち合わせてはいなかった。
 少女は机の下に手を突っ込むと、ビニール製の袋を取り出す。パッケージを見るに、飴玉の袋なのだろう。
 少女はそれをしっかりと胸に抱くと踵を返した。どうやら忘れ物を取りに来ただけだったらしい。切崎は少しだけ息を吐いた。

「……ん?」

 そしてぱちりと瞬きをする。少女が歩いた後がさながら道しるべのように、点々とした痕跡を残していた。
 切崎は食べることを中断して痕跡に近付く。恐らく少女が持っている飴玉――それがころころと転がり出しているらしかった。
 アクアブルー色の袋に包まれている飴を見て、切崎は他人行儀にもこれがサイダー味なのだと予想を立てていた。
 切崎は前を向く。少女はどうやら飴玉を落としていることに気付いていないらしい。こうしている間にも飴玉は転げていて、そのうちビニール袋の中身がすっからかんになってしまいそうだった。
 切崎はきゅっと目を細めた。率直に負の感情が込み上がる。俗的に言うならば、「面倒臭い」の一点張りだった。

 けれど切崎はその思いにぱったりと蓋をする。このままでは気になって食事どころではない。
 誰かに任せて無視を決め込むのも手だが、得体の知れない犯罪者共に任せるのは癪だった。

 だから切崎は飴玉を拾い始めた。一つ拾うと、少し先に落ちているそれを同じ仕種で拾う。二つ、三つ、四つ、……八つ拾ったところで、切崎は少女と近しい距離になっていた。

「ねえ」

 切崎は声をかける。情けないことに、その声は震えていた。おまけに嫌に小さかった。聞き取れるのかすら疑わしい。クラスでも浮いている彼は、誰かと会話することを長い間していなかった。そのブランクが今迫っていた。
 少女は振り向く。フレームがない彼女の眼鏡の奥に潜む、黒豆のようにくりくりとした女の子らしい瞳をこちらに向けていた。

「あ、いや、……これ落としたよ。たぶん穴、開いてるんだと思う」

 少女が口を開くよりも先に、切崎は言い募った。彼は言葉を投げ掛けられることを恐れていた。……会話の仕方が、いまいちわからないから。
 同性ならどうとでもなる。けれど、異性と話すことには慣れない。……慣れることが、できなかった。
 少女は切崎の言葉を聞くと、彼の手のひらに収まった飴玉と自分が抱えている袋を交互に見た。
 彼女の手が袋の底を伝う。やがて穴を見つけたのだろう、小さく眉をしかめたのが切崎にはわかった。
 切崎は手に持った飴玉を差し出した。

「……ありがとう」

 少女は一言だけぽつりと呟くと、切崎の手の中から飴玉を掠め取り、小さくお辞儀をした。
 手と手が重なるような少女漫画のような展開など、起きるはずもなかった。
 それでも、切崎は確かに強い炭酸のような衝撃をその身に宿していた。この学園に来て久々に感じた刺激かも知れなかった。

 こちらに背を向けて歩き出す少女の背中を、切崎は眺めていた。どこか遠い意識で、ぼんやりとしたままに。
 彼が食べていた肉うどんはまだ半分も減っていなかった。それは授業開始五分前のチャイムが鳴ると同時に片付けられてしまうことに、切崎はまだ気付いていない。




2014/10/21
鳥喰 椿ちゃんをお借りしました。
十月お題「邂逅」より。


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