アウトサイダーと冀望

 生きている人間を一人殺したっていうのに、この学園は相応の罰を与えたら簡単に許してくれるらしい。
 拍子抜けすると同時に酷く落胆したことを記憶している。

 そんなことを思いながら、切崎は久々に外界の空気を肺に取り込んでいた。二年生を迎える数日前に起こした悲劇のおかげで、彼は先日まで自室から出ることを禁止されていたのだ。
 学園内を歩けば歩くほど射抜くような鋭い視線がぶつぶつと突き刺さる。何処からともなく「教師殺しのジジ」という言葉が耳に届いた。
 切崎は僅かに眉をしかめる。とはいえ、彼等はもっともな反応をしていると思っていた。殺人を犯したのだ、素面でこちらに歩み寄ってくる方がおかしい。
 ……そう、元来ならおかしいはずなのだが……。

「ジージーくんっ」
「……」
「久しぶり、元気にしてた?」

 五月女緋色。目の前にいる男子生徒の名だ。
 光の当たり具合によっては金髪にも見える明るみのある茶色い頭髪を揺らして、彼はさも嬉しそうにこちらへと駆けてくる。まるで久しく会っていなかった旧友と再会した時のような態度に、切崎はぐらりと目眩すら覚えた。
 切崎は反射的に一歩後ずさる。彼のように前向きな人間は、苦手だった。
 彼は己になんの目的があると言うのか、一年生のある時から神出鬼没に目の前に姿を現している。当初こそ冷たくあしらっていたが、ここまでまとわりつかれるとあしらう気力すら削がれてしまうわけで。
 元担任を殺害してからは自室謹慎にあった故、彼とは今の今まで顔を合わせていなかったのだ。二年生になってからは初めての対面である。

「……とりあえず、場所変えよっか?」

 二年三組である五月女と、二年十組である切崎。いわばエリートと掃き溜め、お互いに真逆の存在。そんな二人が絡んでいるのだ、人の目を集めないはずがない。
 痛いくらいに向けられる視線に五月女は苦笑した。それから切崎に向かって空笑いをこぼすと、親指で自身の後ろを指差す。
 その先には図書室の文字。切崎は図書室に向かおうとしていた先に、五月女と鉢合わせしたのだった。

「そうだね」

 切崎は素直にも返事を返すと、こつこつとシークレットブーツの音を響かせて図書室へと足を運ぶ。

「あっ、待ってよー!」

 背後から五月女が何かを言っていた気がするが、切崎は気にも止めなかった。



 目の前には、五月女が一人。図書室の一角で切崎は彼と向かい合って座っていた。
 五月女は何かを言いたげにしているのだろう、目線を頻繁にキョロキョロと変えている。彼の落ち着きのなさに切崎はほんの少しだけ面白味を感じたが、それを表に出すことはなかった。あくまでぶっきらぼうに、出来ることなら嫌われるようにと無愛想に対応するのみである。

「おれに何か言いたいことでもあるの?」

 匙を投げたのは切崎の方だった。問われた五月女はびくりと肩を震わせると、おずおずといった様子で切崎の方へと目を向ける。
 それから数秒の間口を開けようとしては閉じてを繰り返していたが、やがて腹をくくったのだろう、静かに唇が円を描く。

「ねえ、ジジくん。どうしても聞きたいんだけど、さ」
「……何?」
「担任の先生……担任って言っても元なんだけど、……なんで殺しちゃったの?」

 言い終えた五月女の顔色は、お世辞にも良いと言えるものではなかった。目で見てわかるほどに血の気が引いてしまっている。切崎はまばたきを一つして、心中で「ああ」とだけ呟いた。
 彼のような人間がこういった核心に触れることは、とても珍しい。一体自分の何がここまで真実を知りたがらせるのか、と切崎は他人行儀にも自らの行いを振り返ってみた。
 切崎は前科がいくつもあった。本当に馬鹿馬鹿しくなるくらい、しようもない理由で激昂したこともあった。因子が強すぎるあまりに、リミッターが制御していないあまりに、関係のない外野を巻き込んだこともあった。
 だから普通ならば、今回の教師殺しもそれに該当されると考えるはずなのだ。実際学年主任の教師はそういった判決を下した。とはいえ、そう判断されて当然の行いを積み重ねてきたのだから、そこに切崎は何の文句も抱いていない。

「…………理由が、あるんだよね?」

 切崎は内心、とても驚愕していた。驚きを通り越して恐怖心すら抱いていた。目の前の男は、そういった一般的な結論には至らなかったらしい。その証拠に、今こうして殺人を犯した本人に話を聞こうとしている。
 切崎は焦燥感に駆られた。目の前の人間がたまらなく怖い。全てを見透かしてしまいそうな彼の紫紺色の瞳に見入られて、息すら忘れてしまっていた。
 希望なんてものは何処にもないのに、それを求めてしまいそうになる。彼を見ていると、ぼんやりと眼前にあかりが灯されてしまう。
 それが嫌だった。……嫌だったのだ。

「……お前には、関係ない」

 切崎はただ一言そう寄越すと、小さな音を立てて立ち上がった。それから身を翻すと下駄箱へと歩を進める。

「待ってよジジくん!」
「図書室ではお静かに」
「うっ……ごめんなさい……」

 大声を出して己のあだ名を呼んだ五月女にぴしゃりと正論を突きつけると、切崎は足早に図書室から立ち去った。
 後ろからはぱたぱたと忙しない駆け足が聞こえてくる。振り返って確認するまでもない、五月女が後を追ってきているのだろう。
 けれど切崎は決して立ち止まらなかった。ただ無心で足を動かし、彼から距離をとろうとした。

 刹那、切崎の左肩に短刀が突き刺さった。切崎はよろめいて壁にもたれ掛かる。焼けるような痛みがじわじわと広がっていた。
 前髪でぼやける視界を頼りに、切崎は短刀が飛んできた箇所をじっと睨んだ。
 目の前に飛び込んでくるのは宙に浮いている無数のナイフ。そこから離れた場所に男子生徒が立っている。サイコキネシス系統の能力なのだろうか、と切崎は呑気にもそう思った。
 切崎は男子生徒に見覚えがあった。確か、一年生の頃に一度保健室送りにしたことがある。恐らく恨んで仕返しに現れたのだろう。
 仕返しされるのは、悪くない。何の理由もなく襲われるのは大変不快であるが、報復という立派な理由があるとなると話は別だ。恨まれるほどのことをした自覚は大いにある。だから構わなかった。
 視界いっぱいに映るナイフは一斉にこちらを向いた。次の瞬間には、切崎の肉体に華麗に突き刺さっていることだろう。
 激痛を訴える左肩に意識を寄せて、切崎は静かに目を閉じた。

「ヴェノム・カンタレラ!」

 聞き慣れた男の声が耳に届いた数秒後に、何者かが地面に崩れ落ちる音。切崎はゆっくりと目を開ける。目の前にはおびただしい数のナイフと、その能力を使用しているのであろう男子生徒。……そして、五月女の姿があった。
 男子生徒からは呻き声が漏れていた。彼の背中からは一本の矢が生えている。

「ただの痺れ毒だから死にはしないよ。だいじょーぶ!」

 五月女はフォローにもならないフォローを男子生徒に発すると、未だに宙に浮いたままのナイフを見て困った顔をした。
 邪魔だね、と小さく呟くと、彼は弓を構えて何本か矢を放つ。矢が器用に短刀を落としていく様を、切崎は呆けたまま眺めていた。
 しばらくして全てのナイフが落ちると、五月女は眉を八の字にして切崎の側に駆け寄る。
 切崎は背筋がぞくりとした。他人に助けられたのは生前と今を含めて――二回目だったからだ。

「……なんで助けたんだよ」

 いたたまれない気持ちが込み上がってきて、つい冷たい言葉を吐き出してしまう。本当は嬉しかった。けれど切崎は眉間にシワを寄せて「迷惑なんだけど」とまで言い捨ててしまった。
 肝心なところでは素直になれない己の性分に、切崎は殺意を抱かずにはいられない。

「ジジくんが俺のことをどう思っているのかは知らないけど、俺はジジくんのこと友達だと思っているからね。友達を助けるのは当たり前のことでしょ?」
「とも……だち? おれ、が……?」
「そうだよ」

 だというのに、五月女は切崎の態度に怒りの色を見せることもなくにこりと微笑むと、平然とそう言ってのける。
 そんな五月女の様子を見て、切崎は頭に隕石が降ってきたような感覚に陥った。目の前の男は、何を言っているのだろう? そう思わずにはいられなかった。

「っ……おれと友達になったって、いいことなんてない。むしろ悪いことばかりだよ、教師殺しと友達なんて、そんな……」

 切崎は息を飲む。動揺しているせいで思考回路が上手く働かない。

「だーかーらー! あれは理由があったから仕方のないことだったんでしょ? 聞かれたくないことっぽいからもう聞かないけど。……嫌なこと聞いちゃってごめんね」

 五月女はそう言うと少しばかり申し訳なさげな顔をした。それから彼は再三微笑むと、落ち着いた風体で口を開く。

「それに、悪いことばかりなのかどうかは俺が決めるから! ……もう、後悔したくない」

 決意の色が現れた彼の瞳に、切崎は圧巻した。希望を抱いた眼前の存在に切崎は目が眩む。だというのに、そこから視線をそらすことができない。

 ……眩しいね、太陽みたいだ。そうじゃないならアメジストが妥当なのかな。

 心内で呟かれた言葉が喉をついて出てくることはない。けれど切崎はそう言う代わりに、ぎこちなくへにゃりと笑った。

「my heart still going like a sledge-hammer, but with a ray of hope now shining in my bosom.」
「え、えっと……ジジくん? いきなりどうしたの?」
「……別に?」

 アウトサイダーに一筋の光が射した瞬間だった。
 それはまだ、弱々しい希望。ほんの少しの絶望で潰えてしまいそうなほどに脆い、薄い光にすぎない。
 けれどそれでも、切崎はそれでも良いとすら思えていた。
 希望を抱くだなんて馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しいけれど、たまには馬鹿になってみようか。
 そう思わせるほどの何かを、切崎は五月女から感じ取っていた。

「行こう、“緋色”。おれ左肩痛いから保健室に行きたい」
「緋色!?」
「友達は名前同士で呼ぶって聞いたんだけど、……違うの?」
「い、いや、初めて名前で呼んでくれたから嬉しくって……! あ、じゃあ俺もジジくんの名前呼ん」
「おれはジジ」
「だよねー駄目だよねー!」



 アウトサイダーの冀望は、全てを照らす太陽に成り得るだろうか。
 それは神のみぞ知る。




2014/10/28
メインお題「邂逅」より。
五月女緋色くんお借りしました。そしてありがとうございます。


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