あの日は確か、ソメイヨシノが淡い桃色の花を綺麗に咲かせていた。花弁が一つ二つとベランダに落ち、それが妙に情趣があったことを思い出す。
あの日おれは、確かに死んだんだ。おれが犯した罪を暴いて、それでおれを捕まえようとして、鉛色に光る手錠を片手に引っ提げて土足でどかどかと上がり込んできた警官の目の前で切腹して死んだんだ。
だというのに、そんなおれは今得体の知れない学園にいた。死んであの世にいったら「あの娘」と話したいことがあったのに、おれはどういう訳かどういう因果か、こうして机に座って授業に勤しんでいる。
七つの大罪をご存知だろうか。傲慢、憤怒、嫉妬、怠惰、色欲、暴食、強欲を意味するこれらの罪の因子を人間は持ち合わせているらしく、おれ達――現在この学園にいる生徒はみんな、その因子が一定以上の値を叩き出しているがためにこの不可思議な場所に呼び出されてしまった訳だ。
浄化を望むか、生まれ変わるか。……それとも、ただここで地獄に叩き落とされることを待つか。ここに来て間もない頃、恐らく教師であろう男性に言われた言葉を思い出す。
当然おれは、地獄を選ぶ。だって、「あの娘」のいない世界で生きたってなんの意味もないし、生まれ変わって「あの娘」のことを記憶から消し去るだなんて非道な行いを選択する勇気、おれには到底ない。
それに、もしかしたら「あの娘」に会えるかもしれないのだ。もし会えたなら、その時は――どうしてって、聞きたい。
今の世界に希望なんてない。「あの娘」がいない世界なんて――「あの娘」をこの手で殺めたおれが生きることを許される世界なんて、どこにもないんだよ。……そう、どこにも。
そんなことを考えていたら、おれが所属するクラスで群を抜いて成績が良い生徒が、何やら褒められている状況に変わっていた。みんな授業を中断して、優等生と、その隣に立つ担任の言葉に耳を傾けている。
おれはさほど興味がなかった。今までにもこのようなことがなかったわけではない。だからおれは以前と同じように、誰にも属さず静かに一人でこの空間に存在していようと思っていた。
だけど。
「早く浄化して、生き返って、今度こそ親孝行したいんです!」
だけど、優等生のセリフを聞いて感情の海がどくどくと荒々しく波を立て始めた。浄化して生き返って、親孝行をするのか。どうしてそう言い切れるのだろう、どうしてそこまで前向きに取り組めるのだろう。
頭の中に突如出現した疑問は、みっともなくヘドロのように醜い液体を被っていた。
彼が生前何をしてここに連れてこられたのかは知らない。前向きに物事を考える姿勢は評価されるべきだ、その気持ちが原動力になって今の成績を作り上げているのならばそこに問題はなかろう。
けれど、どんなに償おうったって自らが犯した過ちは消えやしないんだ。どんなに悔いたって、後悔したってそれがどうにかなる訳じゃない。乗り越えなければいけないものだ。けれど、乗り越えるのはいささか卑怯なのではないか?
乗り越えるくらいなら、ずっと引きずっていこう。忘れないように、二度と同じ過ちを繰り返さないように、心の奥底で優しく閉じ込めて時折顔を出させてあげよう。それこそが本来の償いなのではないのか?
天国に逝った該当者が悲しむ? どうだろうね、悲しむどころか清々しているのかもしれないよ。
……例えば、「あの娘」とか。
「『銃創造』」
脳みそ全体にもやがかかってしまったみたいで、おれは自分が何をしているのかすらわからなくなり始めていた。
ぼんやりとした意識の中で能力名を口ずさみ、それによって生み出された拳銃の銃口を優等生へと向ける。優等生はおれに気付くとかっと目を見開き、身を反らそうとした。
だけどそんなの、おれが許すはずない。引き金を引くと乾いた銃音が響いた。優等生の肩はじわじわと赤く染まっていく。……あーあ、首狙うつもりだったのに上手く逃げてくれたんだね、ムカつくなあ。
「……偽善者」
本心を、胃液を吐き出すようにして言い捨てた。本当に反吐が出そうなんだ。彼はおれにとってあまりにも眩しすぎる。それと同時に、何て傲慢な野郎なんだろうとも思ってしまう。
乗り越えるだなんて、虫が良すぎるんだよ。ずっと罪を背負い続けろよ、引きずっていけよ。それをしようとしないのは、お前が偽善者だからなんだろう?
「切崎! 落ち……」
「やめろ人殺し!」
そう言おうと思っていたら、おれに声をかけた担任の言葉を遮って凛とした女生徒の怒鳴り声が耳に届く。人殺しというワードに反応して声の主がいる方へと目をやると、顔中傷だらけで、おまけに包帯を幾重にも巻いた痛々しい格好の女がそこにいた。
おれはこの女に見覚えがある。まだ「あの娘」がいる世界にいた頃、ブラウン管の向こう側で大量に殺人を働いた後に自殺したとニュースで一風を吹かせた異端者だ。
人殺しに人殺しと呼ばれるのは、なんとも面白いと思う。
「人殺しはお前も同じだよね?」
だから嫌味ったらしく、そう言い返してやった。
みるみる女生徒の表情が変わっていくのがわかる。目尻をきっと吊り上げて口許を固く結んでいる彼女の顔が指す感情はズバリ、怒りの一点だ。
面倒なことになりそうな気がする。そう思ったおれは少しばかり眉根を垂れた。面倒事は嫌いなのだ、特に争いに関しては人一倍好いていない。
だから無駄に暴れ回ることがないよう、おれは脅しの意味も込めて彼女にコルトパイソンを向けた。
だと言うのに目の前の女生徒は「屈さない」と言わんばかりにおれを睨む。……そういう反抗的な目、あんまり好きじゃないんだけど。
おれは無感情に引き金を引く。ぱあん、と発砲した音が鼓膜を揺らす。女生徒の左肩からは鮮血が溢れ出した。この選択をしたせいで厄介なことになるのを、この時のおれはまだ知らない。
「『ソール・ユースティティア』!」
女生徒が能力名を叫ぶや否や、彼女は軽々と机を飛び越えるとおれの胸辺りを力いっぱい殴り付けたのだ。どうやら身体能力を増強させる力らしく、おれは漫画やアクション映画よろしく机や椅子を巻き込んで床に転がった。
急いで立ち上がろうとするも、肺が異様な痛みを訴えたためにそれは叶わなかった。痛む位置から察するに肋骨が折れて臓器に突き刺さってしまったのだろう。こんなことなら少しは運動をするべきだったかな、と少しばかり後悔した。
女生徒は何を思ってかおれの胸ぐらを掴む。おれの口からコヒュッ、と掠れた呼吸音が漏れた。そんなに乱暴に掴まれると痛いでしょ。
だけどやられてばかりのおれじゃない。黙ってやられるくらいならやり返してやられてやる。そういう意志を示すために、おれは再び女生徒に向けて拳銃を構えた。けれど当然、激痛に意識を持っていかれて上手く焦点が合わさらない。
「いい加減にしろ!」
刹那、後頭部に鈍痛が走った。ぐらりと視界がぼやけていく。何者かに首根っこを掴まれたが、それが誰なのかまではわからなかった。
おれの意識がはっきりと回復したのは保健室に連れられてからのことだった。どうやらこれから職員室で説教をされてしまうらしい。
先ほどやり合った女生徒をちらりと横目で流し見る。その瞳が揺れているのを視認して、先刻の行動に後ろめたいことがあったのだろうかと何となく予想した。……おれには興味がないことだから、こういう予想は大抵当たらないのだけれど。
「わかってるのか!」
担任は怒髪天を突いたらしい。……そんなに教室内で暴れまわったのがいけなかったのだろうか。
おれは半ば他人事のように担任の怒鳴り声を聞き流していた。顔がまるで般若のようだ、なんてことを呑気に思いながら。
「すみませんでした……」
おれに対して女生徒は、心から反省している態度を見せていた。あそこまで乱暴な行動をしたのだからもっと反抗的な対応をすると思っていただけに、おれは僅かに驚く。
彼女もまた、浄化を目指しているのだろうか。だとしたらとても腸が煮えくり返りそうな気分になってしまう。
「お前も謝れ!」
「……何で」
沸々と苛立ちが込み上げていた矢先に、女生徒はおれにも謝罪するよう促してきた。突然のことに取り繕うこともできず、おれは本音を口からポロリとこぼしてしまう。
おれの態度が大層気にくわなかったのだろう、女生徒は眉間にシワを寄せてこう言い放つ。
「元はと言えばお前が!」
おれのせいだとでも言うの?
大体、おれをこんなふざけた世界に住まわせたこと自体が間違いなんだよ。犯罪者に救済を与えようだなんて、どうかしてると思わないの?
クズは黙って葬られりゃいいんだ。なのにどうして、やり直すチャンスを与えようとするの?
ごろごろと不満がこぼれていく中、担任の声が張り上がる。
「とにかく分かれ。いいから仲直りしろ!」
どうやらおれ達に仲直りしてほしいようで、そう言うや否や腕を組んでじっとおれ達の様子を見比べていた。
「……やりすぎた。ごめん」
女生徒はすぐに謝罪した。素直なくせに自我が強いタイプなのだろう、と思った。そんな性格じゃあ、この先苦労するだろうに。
何故だか同情の念を抱いてしまうのはどうしてだろう。それはきっと、誰にもわかりやしないこと。
「……ごめん」
この場をやり過ごすためにその場限りの謝りを口にすると、すぐさま解放令が出された。おれは女生徒と担任に会釈もせず踵を返すと自室へのルートを辿る。
彼女とは今後もやりあうことになりそうな気がする。だって、きっとあの子は浄化を望んでこの学園にいるんだから。さっさと消えてしまいたいおれと意見が合致するはずがないのだ。
歩く度にずきずきと真新しく響く胸の痛みが、やけに身に沁みて仕方なかった。
2014/10/31
メインお題「邂逅」より。夜川日影さんお借りしました。
こちらの作品のジジ視点となっております。