どうしてこうなった!
午後の部開始のチャイムが鳴る。それと同時に吐き出した大層な溜息は隣にいるクラスメイトにもはっきりと聞こえていたらしく、大げさにぎくりと肩を揺らしたのが見て取れた。
そんなクラスメイトに軽く会釈をすると、切崎は気だるげに立ち上がる。ふい、と前を見据えると、彼は再び息を吐いてうなだれた。
本日は体育祭。男女共にキラキラと輝くトロフィーを目標に優勝を目指すこの行事が、切崎は大嫌いだった。
理由は至ってシンプルなのである。彼は元より運動があまり好きではなかったし、何よりも身長を誤魔化すためにいつも履いているシークレットシューズから運動靴に履き変えなくてはならないのが苦痛で仕方がなかったのだ。
切崎は己の身長をとても気にしている。シークレットシューズでなんとか百七十センチメートルだと周囲に思わせることが出来てはいるものの、本来は百六十センチメートル――高校二年生男児の平均にも満たないこの数値に、切崎は大きなコンプレックスを抱いていた。
チリチリと心臓が焼け焦げていく感覚がする。当然、身長の高い男子に嫉妬しているのである。切崎は嫉妬の因子を持つがために、現在の彼が胸に留める妬みの念は並大抵のものではない。
けれど、切崎はその感情を原因に暴走することはなかった。それ以上に現実から逃避してしまいたい、いわば一般的思考に陥っていたからだった。
「いや……なんでおれがこんなことしなきゃなんないの……」
早く帰りたい、そういった思いを飲み込んで切崎は集合場所へと駆けていく。
切崎が受け持つ競技は「借り物競争」だった。無論彼が自ら立候補して得た出場競技なのだが、実際に行動するとなるとやはり面倒臭い。
しかしながらほかの競技の中では比較的楽なことに代わりはないので、もう仕方が無いものだと半ば諦めをつけながら切崎は十組の列に並ぶ。
「あっ! ジジも借り物に出るんだ?」
「……なんだ、緋色か」
「えええええ!? 何その反応!?」
聞き慣れた声に誘われるようにして顔を向けると、目立つ金髪が視界に入り込んできた。金髪の正体は言うまでもなく、早乙女緋色だった。
切崎に冷めた反応をされた緋色は思わず声を荒らげるが、何故そのような態度を取られたのかを瞬時に理解するとぽんと手を叩いてみせる。
「あーそっか、ジジ運動嫌いだっけ」
「そうだよ」
「だからってそんなに冷めなくてもいいじゃん、テンション上げていこうよ!」
「嫌に決まってるでしょ」
「だよねーそうだよねー! 知ってた!」
最早お決まりと化した会話を繰り返していると、やがて指導者である教師が現れる。人数確認の後に競技が開始されることを予想して、切崎は憂鬱な心持ちになった。
教師がいる手前、私語を慎むのは生徒として基本的規則である。当然それは緋色と切崎も同様の事、二人は教師を目にすると自然に黙り込んでしまった。
競技が開始して早数分後、ついに自分の出番が来てしまった。切崎は胃がキリキリと痛むのを感じつつもスタート地点に立つ。
ちらりと横目で他の走者を見やると、緋色と視線がぶつかった。口を動かして何かを訴えているのがわかる。
『負けないよ』
切崎はそれを見ると少しばかり口角を上げ、「こちらこそ」と返した。
「よーい、ドン!」
ピストルの銃音を印に、走者は一斉に走り出す。切崎も怠さを内面に押し込めて、足に力を入れると地面を蹴った。
体力はないものの、彼は足だけは速い人種だった。誰よりも先に借りるものが書かれたカードを取って手短に済ませてしまいたかった彼は、全速力で駆け抜ける。
前方に緋色が走行しているのがわかると、切崎は更に速度を上げた。
「えっと……、これかな」
息を切らしてたどり着いた先には、白い紙がグラウンドの上にまばらに置かれていた。切崎は目に付いたそれを一枚拾うと、マイクが備え付けられた場所へと向かう。
それからマイクの位置を下ろして自分の口元に来るよう整えると、彼はそっと紙に書かれた文字を目で追った。
そして数秒の間フリーズした。
「……先生の、カツラ……?」
小声で呟いたワードは、マイクを通してしっかりと学校全体に響き渡った。
「切崎さんは先生のカツラ、先生のカツラを探しています!」
呆然と立ち尽くしている中、放送委員は熱心に今の現状を実況している。
どうしてそう平然と口に出せるのだ、と切崎は絶句した。
何よりも何故これを書いた、どうして書いた、生徒会は何を思ってこれをOKしたんだ、尾古あの野郎覚えていろ、今度髪の毛を引きちぎってやる、と現生徒会長に殺意を持ち始めていた頃目の前に颯爽と何者かが現れる。
切崎は目の前で仁王立ちする人物を視界に入れた。
「教頭先生からカツラを借りてきたよ! 待たせたな!」
――美術担当の、八雲ともえ先生だった。
「あ、いや、あの」
最早突っ込んではいけない気がする。そう考えた切崎は小さく唇を噛むと、素直に「ありがとうございます」とお礼を口にしてゴールに向かい走り出した。
呆けている間に他の走者はもうみんなゴールインしてしまったらしく、グラウンドを駆けているのは切崎ただ一人だけだった。
切崎は動揺のあまり視線をあちらこちらへと寄せた。まず始めに目が合ったのは、一年の頃にやり合った夜川日影だった。傷だらけの顔を大きく上下させると、グッと親指を立てられたのがわかった。慰められていることを理解した切崎はかっと顔が赤くなった。
日影から逃げるように視線を滑らせると、デリア・バルシュミーデが目に飛び込んでくる。彼女はあえて何も触れていない様子で、切崎から視線を外すと瞬きを一つした。
デリアの冷静な態度に幾分か安堵した切崎は、次にアヴェルフリード・リーンドベルと目が合った。彼はいかにも笑いを堪えている様子で、相棒のアルダムを膝に座らせたままぷるぷると震えていた。
アヴェルフリードの状態に再び羞恥心に見舞われた切崎は、もう耐え切れないといった様子で首を横に振った。その時に一瞬だけ鳥喰椿の姿が視界に映り込む。彼女もアヴェルフリード同様に笑いを堪えているらしく、箸を握ったまま下を向いていた。
あの子まだ食べているんだ、と少しだけ気分が落ち着いた頃にはゴールは目の前だった。切崎は一気に走り切った。
判定は当然最下位、だというのに大きな歓声が沸き上がったのは手に持っているカツラが起こした奇跡なのだろう。
何はどうあれ、ついにやりきったのだ。切崎は何処か晴れやかな気持ちのまま前を向いた。
「やあ、お疲れ様」
突然微笑みながら話しかけてきた折鶴千羽の存在に、切崎はついにオーバーヒートした。
ぐらりと世界が揺らいでいく。まるで陽炎を見ているようだ、と呑気に考えている傍らで千羽があっと目を見開いたのがわかった。
切崎が目を回して倒れたのだという放送は、あの後すぐ委員の者によって学校中に放送されることとなる。
もう体育祭なんて懲り懲りだ、と思ったことは切崎だけの秘密である。
2014/12/26
十二月お題より。
たくさんお借りしました。
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