▽ 歯形がすべてを物語る



 放課後、体育館裏で肉を打つような鈍い音が幾度も幾度も響いていた。鋭い蹴りが腹部に命中すると、白いメッシュが映える青髪の男がたまらず唾液を吐いてうずくまる。少しでも負担を楽にしようと、土埃やゴム製の上靴で汚された己の身を縮こませる彼をよそに、加害者を演じる学生二人組は男の背を力いっぱい踏み付けた。
 空は茜色に染まっている。点々と移ろう藍色の雲だけが悲しげに視線を落としていた。その下をカラスが滑空する。鳴き出す様子は依然としてない。
 学生二人組は、いずれも髪を茶髪に染めていた。赤色のヘアピンで長い前髪をまとめ上げており、時折それを鬱陶しそうに手で払う姿を青髪の男は既に三度も見ていた。

「ナルシストも大概にしろよ、お前。度が過ぎると気持ち悪いんだ」

 二人組のうちの一人、ズボンの裾がほつれている方がそう言ってのけた。男はピントの合わない眼を二度瞬かせると、訳が分からないと言わんばかりに小首を傾げてみせる。
 その様子が癪に障ったらしい二人組は、狐のように目元を吊り上げると再び暴力に打って出た。男のうめき声だけが体育館裏に響いている。とっくに下校時間は過ぎていた。
 青い髪が地面に落ちる。先刻に頭頂部を蹴られた際、抜け落ちてしまったのだろう。鉛色のコンクリートにその色はいやによく見える。

「まだ俺が小さかった頃、じいちゃんとばあちゃんがカブトムシを捕って来てさ」

 男は擦り切れて血が滲む唇の端を舌で舐めると、声も絶え絶えに言い捨てた。
 二人組は即座に目を丸くしたが、男が強がっていると認識すると傍らに立てかけた鉄製のバットを重たげに持ち始める。
 カラカラ、とコンクリートを伝う乾いた音が奏でられていた。

「食うもんが無いってんで、キュウリとかナスビとか、要は野菜をそいつにあげていたわけよ」

 刹那、青い髪から火花が散った。男の目がぐるりと揺れる。殴られたと理解するよりも先に、視界は低く落ちていく。
 遠い意識の中、いやらしいカラスの鳴き声を聞いていた。

「やべ、血が出た。これはまずいかもしんない」
「どうすんだよこれ」
「知るかよ、お前が大丈夫って言うから……」

 意図していたよりも大きな被害を生み出してしまった事実に頭が追いついていないらしい二人組は、鼻頭に脂汗をぷつりぷつりと浮かばせながら言い争っている。
 男は肩で息をしていた。青髪から漏れ出ている鮮血の臭いに眉をしかめつつ、小さくため息を吐いていた。

「言い争いの途中で口を挟むのも不躾なんだけど、俺の話まだ終わってないんだ」

 二人組はぎょっとした。目の前で倒れている人間は確かに疲労困憊としているはずなのに、声色はてんで張りがある。否、かすれてはいるものの、弱っていることを感じさせないような――そのような語りをしている。
 当然動揺した。青頭から血を流し、全身殴打され、意識すら飛びかけて当たり前の状況でこの男は一体全体どうして、ここまで確固な態度でいられるものか。

「まあ、何が言いたいかって言うと、さ」

 突如二人組の表情が急変した。喉の奥から風を切る音が鳴る。それと同時に膝から崩れ落ちると、苦しげに喉元に手をやった。

「キュウリとかナスビとか、そういう栄養のない水だけ含んだもんをカブトムシに与えたって短命で終わるのと同じように、君らが俺をどんなにボッコボコに虐げたとしても」

 ちらり、青髪の男の視線は二人組の手の甲に向けられる。そこには真新しい歯型がついていた。痛々しい、血が滲んだ歯型が。

「テトロドトキシンを含んだ俺に噛まれた時点で、勝敗は決していたってわけよ」

 男は満足げに口元を緩めると、ふらふらと立ち上がる。それから頭頂部に手を伸ばすと、流れる鮮血に触れた。ぬるりとした感触にやるせなさを感じたらしい彼は、二度目のため息をこぼすと学生服の裾でそれを拭う。

「ごめんなぁ、俺、体の一部分がヒョウモンダコに改造されちゃってんの」

 あくまで一部分だけだから、症状が出るのに時間かかっちゃうんだけどさ。ああごめん、もう聞こえてないか。
 青髪の男は口を開けて笑った。その際にギラリと光った歯舌のような牙が、彼の言うことが真理であることを裏付けてしまっていた。

「二十四時間で回復に向かうって言われてるけど、それまでに死んだら運が悪かったってことで一つ!」

 最初から勝てる戦いだとわかっていたから、無駄に体力を消耗したくなかったから、あえて、最初に噛み付いておいてその後は好きにさせていた。
 おかげで体中は痛いし、頭から血が出るし、自慢の顔は怪我で汚れたし、髪だってボサボサだし、制服だってクリーニングに出さなきゃあいけなくなってしまったけれど、男はこれで大団円だった。

「おっと、忘れるところだった」

 男は懐からライターを取り出すと、もう片方の手に虫除けスプレーを握る。

「証拠は隠滅しとかないと面倒臭いからな」

 先ほど噛み付いた二人組の手の甲に虫除けスプレーをかざすと、男はそのまま、優しげに目を細めてライターに火をつけた。
 空を映したような夕焼け色の火花が、ちらちらと散っていた。





2015/09/10
リハビリSS。病ンデレ男子よりキョウ。
とある診断メーカーにて「カブトムシ」「野菜」「意図的な主人公」を含んだ話を書けとの結果が出たのでこうなりました。
お粗末。




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