▽ 席暖まるに暇あらず


「あれ? もしかしてほたちゃん?」

 声をかけたのは理人の方だった。思わず息が止まる。脳裏をよぎったのは、くだらない言い訳の数々。誤魔化す必要性など一つもないというのに、どういうことか、うそぶいてしまいそうになった。
 蛍は気まずげに会釈すると、いつものようにへにゃへにゃと空気の抜けた笑みを顔に浮かべる。それからちらり、理人の背後をついて回る彼の妹──凪紗に目を向け、軽く手を振った。凪紗は蛍に気付くや否や、瞬きを一つして小さくお辞儀する。

 今日は日曜日、学業とは無縁の休日に学生は娯楽に身を投じるのが一般的である。蛍ももちろんその学生と同種で、同校の同学年達とショッピング巡りを楽しんでいた。

 理人は嬉しそうに破顔しながら蛍の側へと近寄ってくる。それから「あっ」と小声を漏らしたあと、蛍の背後に立つ長身の男と、俯きがちの男へ交互に視線を向けた。
 蛍は今すぐにでも逃げ出したい気持ちに襲われる。何のことは無い、下心も何もないのだが、女生徒一人と男子生徒二人で買い物をしているこの状況は──あまりにも誤解を生みやすい。

「んんー? ほたちゃん、ひょっとしてデート?」
「ちがう!」

 案の定、というべきか。理人の性格も相まって、このようにからかわれる事は安易に想像が可能だったのである。蛍は顔を真っ赤にして声を荒らげた。
 すると頭頂部に降りかかる、喉の奥で笑い声を噛み殺した音。長身の男がくつくつと笑っていた。

「ふふっ……ああ、ごめんごめん。でも、そうなるのも無理はないよ。君が俺らに着いてきたのがいけないね」
「……狼くんまでそんなこと言わなくたっていいじゃん」
「蛍も分かってただろ? どんなに否定したって、外野は男と女が並んでるだけでそういう噂を立てるものだよ」
「……に、にいさん、あんまり茜寺をいじめるのはよくないぞ……」

 長身の男は日向狼、俯きがちの男は日向瑛という。名前の通り、双子の──血は繋がっていないが、義理とはいえ兄弟にあたる関係だった。
 弱々しくフォローした瑛に苦笑すると、蛍は狼の腕を荒々しく叩いて理人と凪紗へ向き合う。理人は何やら言いたげな顔で口元を緩めていた。
 よりにもよって、一番誤解されたくない人に目撃されるだなんて! と蛍は内心気が気でない。

「あー……えっとねまさくん、なぎたん。この二人は」
「恋人? それとも愛人かな?」
「ちがう!」

 理人の茶化す態度に、彼女は目を回す勢いだ。

「友達なんだよ、同じ学校の。買い物するっていうから着いてきただけで、別にそんなんじゃないんだってば」
「蛍ちゃんが言うなら、そうなんだろうね」
「ええーっつまんないなー」

 凪紗は存外すぐ受け入れてくれるものの、理人はそういう訳にもいかず。あれやこれやと言い返しても上手く言いくるめられてしまうのがオチだということを、蛍は何年も前から理解していた。

「うんうん、俺はデートでもいいんだけどね」
「狼くんは黙ってて」
「ひどいなあ」

 会話をかき乱そうとする狼に冷たい言葉を一つ吐いて、彼女はため息をつく。
 それからふと瑛の方へ目線を投げると、彼は何やら挙動不審に凪紗をチラチラと見ていた。女子との免疫がないゆえに、気になっているように見えるが……凪紗は瑛からの視線に気づいていないようだ。
 しかし蛍は二人の間を取り持とうとは思わない。もとより彼女は怠惰的だし、今は自分の身の安全を確保することに一所懸命なのだから。

「初めまして……弁天先輩? 俺は日向狼、こっちは瑛。双子の義兄弟です。いつも蛍が世話になってます。話は蛍からよく聞いてます」
「こちらこそ初めまして! 俺は──知ってると思うけど弁天理人! こっちは妹の凪紗だよ、よろしくね」

 安堵のあの字すら書けないまま、事態は速やかに、静かに進行していく。個人的に仲良くなると厄介だと思っていた二人が、既に挨拶を終え握手を交わしていた。蛍はめまいすら感じる。慌ただしいにも程がある休日だ、と心中で悪態をこぼした。
 やはり慣れないことはするもんじゃない。いつもみたいに家でゴロゴロしているべきだった。そう思うも後の祭り、理人と狼は会話が弾んでいる様子で双方表情がコロコロと変わっている。

「噂の……月雲ちゃんだっけ、あの娘可愛いよね。俺狙っちゃってもいいですか」
「なんで俺に聞くのさ、オオカミくんの好きにしていいと思うよ?」
「ははっ、俺オオカミじゃなくてロウなんですけど」
「オオカミってあだ名、嫌?」
「や、嫌じゃないけどさ」

 この女たらし共は……!!
 放っておいて帰ろうか、と蛍の脳内に一つの案が浮かぶ。それを実行するほどの気力すら残されていないのが問題なのだが、現在の彼女にそこまで思考する力はないのだった。
 諦観を抱きながらうなだれ気味に凪紗を見る。凪紗は今まさに瑛に端的に返答を終えたところだったようで、瑛は幾度もどもりながら言葉を返していた。

「ここは地獄かな?」

 苦し紛れに吐き出された蛍のセリフは、周りの喧騒に打ち消されて友人らに届くことは無かった。
 休日なのに、学校に行った後以上に疲れるとはこれいかに。もう二度と誰かと出かけない、と彼女が密かに誓いを立てたことを知る者は誰もいない。




2016/07/09
おいるさんから弁天兄妹、花の実さんから(名前だけだけど)月雲ちゃんお借りしました。




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