最終選別

「それじゃあ、最終選別がんばってね」

 そう言って優しく笑う蜜璃が、あづさの両手をやわらかく包む。
 養父──育手でもあった老爺のもとから伝手を辿って辿って行き着いたのが、柱となったばかりの甘露寺蜜璃だった。それまで様々な育手のもとを転々としていたあづさだったが、お互いの性格の相性や、生来の身体の柔軟さを伸ばせる環境であることから、蜜璃のもとでの修行がいちばん合っていたらしい。基本がそれなりにできていたとはいえ、異なる呼吸の使い手である蜜璃のもとでも、あづさはすぐに最終選別に行けるほどの実力を身につけた。

「私はこれから任務だけど……ちゃんとお出迎えしてあげられるように、私もとっても頑張るから!」
「ありがとうございます、師範。御武運をお祈りしています」
「うん! あ、そうだ。それにね、あづさちゃんが無事で帰ってこられたら、いいもの用意してるのよ! だから、お互い頑張りましょうね」
「はい! お爺ちゃんや師範に教えていただいたことを忘れず、精一杯やってきます」

 あづさは蜜璃の手を握り返し、そっと離す。養父のもとでともに育った兄弟子たちの中には、最終選別から帰ってこなかった者もいる。だから、これが今生の別れとなるかもしれないことはわかっていた。優しい師だった。短い間とはいえ実の妹のように可愛がってもらった。その心と期待に応えたいとあづさは強く思う。

「それでは師範、行ってきます!」
「うん、行ってらっしゃい」

 目指すのは藤襲山。最終選別の地である。

***

 藤襲山での七日間を乗り越え、あづさは麓に下りる。鬼はどれも血のにおいがした。禍々しい気配と殺気は忘れられそうにない。あんな恐ろしいものと対峙して、いったいどれだけの人が生き残ったのだろう。
 最終選別の案内を受けた広場へ戻り、あづさが顔を上げると、そこにいたのはたったの三人だけだった。……三人? 最初はあんなにたくさん人がいたのに?最終選別で命を落とす可能性があることはあづさも知っていたが、これほどとは思わなかった。ぐるりを見回して、それでもやはり三人しかいない。
 と、がさりと音がして、ぼろぼろの着物の少年が山を下りてきた。ああよかった、そうだよね、生き残ったのがこれしかいないなんて、そんなわけないよね。あづさはほっとしながら少年の来た方を見る。まだ誰か下りてくるかもしれない。
 しかし、次に現れたのは選別開始のときにも見た、案内役の童子の姿だった。

「お帰りなさいませ」
「おめでとうございます。ご無事で何よりです」

 最終選別の始まりと同じく、作り物めいた顔の童子が平坦な声で最終選別の終わりの案内を始めた。
 つまり、これ以上は誰も下りてこないということか。では、生き残ったのはやはりこればかりなのだと、あづさは思わずうつむく。山の中で会った人もいた。彼らもどこかで死んでしまったのだ。
 隊服のこと、階級のこと、刀のこと。童子は交互に言葉をつなぎながら淡々と説明を続けていく。あづさも内容を頭に叩き込む。任務のこと、これからのこと、鴉のこと。
 そこでばさばさと頭上から音がして、降りてきた鴉が肩に止まった。鎹鴉。蜜璃のところにも鴉がいたな、と師を思い出す。そういえば、良いものを用意してくれているんだったっけ。なんだろうな、パンケーキかな。少し軽くなった気持ちであづさは顔を上げる。
 瞬間、耳に入ったのは荒っぽい少年の声。目に入ったのは、ずかずかと童子に詰め寄る少年の姿だった。

「どうでもいいんだよ鴉なんて!」

 少年が白髪の童子の頬を打ち、髪を鷲掴んで刀を出せと声を張り上げた。……なにをしてるの? あづさの思考が一瞬止まる。おかしいでしょ、そんな小さな子に手を挙げるなんて!
 そうは思っても体がこわばってうまく動かない。こんな時にどうしたら良いのかがわからないなんて、情けないにもほどがある。しかし鬼を相手取るやり方は教わってきたが、暴漢に対するやり方は知らないのだ。
 やっと動いた頭が「とにかく少年の手を退かさなければ」と答えを出して、あづさが一歩踏み出す。同時に、目の前に汚れた雲柄の着物が現れた。最後に山を下りてきた少年だ。

「この子から手を放せ!! 放さないなら折る!!」

 ──折るの?
 あづさが咄嗟に思ったのはそれだった。もっと穏便に済ませられないの? 穏便にすむような男の子にも見えないけど、でも、人の腕ってそんなに簡単に折って良いものなの? これって止めた方が──。
 考えている間に、みしりといやな音が耳に届いた。童子の髪を掴んでいた少年の手が放される。腕をかばいながら後ずさるのを見て、折ったんだとあづさは理解した。二人の間に険悪な空気が流れる。誰も言葉を発せない。腕を折った方の少年にも、折られた方の少年にも、白髪の童子にも、誰も声をかけられない。
 そんな沈黙を破ったのは黒髪の童子の声だった。
 「お話は済みましたか」と幼い声が冷静に問う。その場にいた全員の視線がそちらに向く。黒髪の童子の背後には、いつの間にかずらりと石のようなものが並べられていた。黒髪の童子は場の雰囲気も、起こったことも気にする様子がない。ただ、それまでと同じように淡々と説明をしていく。
 曰く、刀を造るための玉鋼を選べということらしい。黒髪の童子が説明をしている隣に、白髪の童子は乱れた髪も腫れた頬も気にしていないふうにして立つ。痛くないわけはないだろうに。
 童子に促されて合格者たちが台の前へ進む。あづさもそれに続こうとして、しかし、白髪の童子の前で立ち止まった。

「……あの、傷は大丈夫なんですか」
「問題ありません」

 童子が作り物めいた笑顔をあづさに向ける。それ以上は何も言わない。気にするなということだろうか。運悪く、手当できるようなものも持ち合わせていない。あづさは眉を下げて、着物の裾で童子の血を拭うだけはしてやった。

「手当てもできずに、ごめんなさい」
「いいえ、お気になさらず」
「どうぞ、お選びください」

 あづさは促されるまま、台の前に立つ。その上には大小さまざまの鋼が置かれていた。……わからない。鋼の良し悪しが見てわかるのならば、あづさは刀鍛冶になっている。これを選べと言われても。そうは思いながらも、あづさは玉鋼に目を戻す。
 はじめに動いたのは雲柄の着物の少年だった。大きくも小さくもない鋼を手にとって、「俺はこれにする」と童子に見せる。次いで童子に手を上げた少年が、そして、何やら銅貨を投げてから桜色の着物の少女が玉鋼を手にとっていく。黄色い髪の少年があわあわと震える手で鋼に手を伸ばすのを見て、よし、とあづさはうなづいた。こうなったら勘である。目を閉じて、目を開けて、一番気になった鋼にしよう。
 すうと息を吸って目を閉じ、ゆっくりと開く。──これだ。

「わたしの刀は、この鋼で作ってください」

 童子がにこりと微笑んだ。そのちいさな手に、ずしりと玉鋼が乗る。