初任務

 満面の笑みの蜜璃が取り出して見せたのは真新しい羽織だった。蜜璃が着ているのと同じ形のものだが、背の高い蜜璃が着るには少し小さいようにも見える。たとえば、着るのがあづさならちょうど良いのだろうというくらい。
 もしかして、とあづさは思う。もしかして、もしかして。

「師範、いいものってこの羽織ですか? 師範とお揃いの……!」
「そうなのよー! 私の羽織も入隊のお祝いでいただいたものだから、あづさちゃんにも同じようにしてあげたくって!」

 さっそく袖を通せば驚くほどピッタリとあづさに合う。その事実だけでも、あづさが最終選別を合格して戻ってくることを蜜璃が信じていてくれたのだと伝わる。「ありがとうございます」と言葉だけでは足りずに頭も下げ、それでも足りないような気がして、また「ありがとうございます」と繰り返した。いいのよと蜜璃が笑う。
 あづさは支給された隊服の上から真白い羽織を着て、先日届けられたばかりの日輪刀を腰に差す。鴉が玄関口でガァと鳴いた。

「初めての任務だね。いってらっしゃい、気をつけて」
「はい、師範! それでは行ってきます」

***

 鴉の言う通りに南へ南へと歩いて、そろそろ日も沈むという頃。頭上で鴉が旋回した。

「ここなの?」
「合同ゥ、任務ゥウ!」

 腕を差し出すと羽音を立てながら鎹鴉が留まった。近辺の町や村は過ぎてしまったが、と問えば、さらなる指令が返ってきた。合同任務? ということは、誰かと一緒に任務に当たれということか。正直にいえば、いくら最終選別を乗り越えたとはいえ一人で任務をこなすのには少し不安があったので、誰かが一緒にいてくれるというのはそれだけでも心強い。
 あづさが今いるのは小さな山のふもとだ。鴉に曰く、この山を越えようと入っていった人間の多くが行方知れずとなっているらしい。最近では盗賊が住み着いているのだと噂になって、この山に立ち入ろうというものがまず居ない。そのために、山の中には小さな集落があるという話だが、そこの住人の安否も今では不明となっている。命からがら逃げ延びたのだという旅人が「鬼が出た」「人を喰う」と近辺の村の者に話したことから、此度の鬼殺隊士の派遣が決まったらしい。
 かっと目の端が眩しくなってそちらを見れば、今まさに太陽が沈もうとしているところだった。熔けたような太陽が真っ赤な空の下の方にある。夜が来る。そう思って頭をめぐらすと、あづさの鎹鴉ではない、別の鴉の鳴き声がした。
 鎹鴉が空の高くを飛んでいる。その下を歩いてくる姿に、あづさは見覚えがあった。

「最終選別で一緒だった人!」
「あ? 知らねえよ。誰だよお前」
「しッ……知らなくないわよ!? こっちはあなたが女の子を叩いたのもちゃんと見てるんだからね!? ちゃんと謝らなくちゃダメだからねアレは!?」

 あづさは愕然とした。たしかに選別のあとは鋼を選んでそのまま帰らされたが、顔も覚えられていなかったなんて。自分があの場にいた全員の顔を覚えているぶん、その事実はなかなか衝撃的だった。同期といってもこんなものなのね、なるほどね。
 あづさが驚いている間にも少年はあづさを追い越してひとり山の中へ入っていく。せっかちだ。そうは思うが、完全に日が暮れてからの入山がたいへん危険であることはあづさもよくよく知っているので、急いで少年の後を追う。

「ねえ、あなた、腕を折られてたよね? 任務って大丈夫なの? 痛くはない?」
「……」

 無視である。しかしあづさは生まれてこの方、人に無視をされたことがない。なので、少年が自分を無視しているということにまず気がつかなかった。
 あづさはかくりと首をかしげ、それから、ああ、と一人で納得をする。腕は折れたように見えて、実は折れていなかったのかもしれない。事実、少年は痛みを感じているそぶりも見せていない。

「折れたと思ったのは勘違いだったみたいだね。それならよかった! 痛いのは嫌だもんね」
「……」
「あのね、わたし、今回の任務が初任務なの。同期だもん、あなたもだよね? わたし、桃井あづさ。あなたは何ていうの?」
「……」
「あ! ごめんなさい、急に名前を聞いちゃって! 失礼だったかな。でも、ほら、一緒に任務をこなすんだし」
「……」
「それに同期でしょ? わたしたち。だからあなたの名前を教えてほしいなあ。何ていうの?」
「……玄弥」
「玄弥! 素敵な名前だね。なんて字を書くのかなあ、わたしも知ってる字かな?」

 にこにこと話しかけ続けるあづさに対し、玄弥は眉間の皺を深くふかくしていく。ずんずんと進む足取りも早く、歩幅も大きくなっていくが、しかし二人は体格的にもそう変わらないので、あづさは意にも介さずついていく。そもそもが山育ちであるので、山を歩くことには慣れているのだ。
 だが、何度目かのあづさの「ねえ」の後、ぴたりと玄弥が足を止めた。

「うるッせえんだよお前!さっきからぴいぴい話しかけやがって! 余裕みたいな顔してんじゃねえ!」

 玄弥の怒鳴り声が山に響いた。つり上がった四白眼があづさを睨む。余裕。余裕って、なにに余裕があるというのだろう。あづさにはわからない。しかし、そのわからないという顔がまた、玄弥は気に入らないらしい。

「……ごめんなさい。でも」
「でも、なんだよ!?」
「でも、初めて会ったんだから、ある程度はお互いのことを知っていなくちゃ協力もできないじゃない」
「協力なんかいらねえ」

 玄弥はそう言い切ると、ふいと顔を背けてさっきまでよりもずっと足早に山道を登っていく。あづさも同じ速さでついていくが、もう話しかけることはしなかった。
 協力なんかいらない。それはどんな気持ちで言っているのだろう。彼はずっと何かに怒っていて、ずっと何かを焦っているように思える。しかしそれを問えばもっと怒るのだろうし、そうなればそれこそ協力して鬼を討伐するなどできなくなる。ああおじいちゃん、こんな時、わたしはどうしたら良いのかな。あづさはもう自信をなくしそうだった。
 そうして無言のまま、ほぼ駆けるようにして山道を抜ける。それでも集落の入り口が見えたころにはもう夜になっていた。昇ってきたばかりの月が集落を照らす。その異様な様相に二人はおもわず息を呑んだ。
 話には聞いていたが、集落はせいぜい七、八軒の家が寄り集まるようにして建っているのを柵で囲んでいるばかりの小さなものだった。畑もあるにはあるが狭く、入り口に立っただけで集落の内部のほとんどを目視で確認できる。
 異様だったのはその家々だ。嵐が来たわけでもないのに、雨戸がすべて閉め切られている。さらに、それだけならばまだ違和感を覚える程度で終わっただろうが、雨戸のない家は内側から板を打ち付けているらしく、あわてて寄せ集めたような板っきれが乱雑に組み合わさっているのが見えていた。そして、いくつかの家は雨戸も、打ち付けた板も破られている。そうなっている家は戸口からも窓からもおびただしい量の血が飛び散っていた。
 鬼が来たのだ。
 鬼が来たから、ここの住民はみなそれに怯えて閉じこもっている。あづさは顔をしかめた。先ほど見た畑は荒れていた。あの畑がなければ、集落の人はきっと食べるのに困ってしまう。けれどそれを捨ててまで抵抗をしている。こんなにもこんなにも抵抗をして、それでも鬼の力では雨戸の一枚、打ち付けた板っきれの一枚など簡単に剥がすのだ。そして人を襲って食べる。そんなことは許されない。許し難い。

「きっと、鬼はまたこの集落に来るだろうね」
「じゃあ待ち構えて頚を斬ればいいんだろ」

 玄弥が刀の柄に手をかける。鬼の気配はまだない……ように思う。しかし経験が浅い。察知できていないだけでもしかしたら既に近くにいるかもしれないと思うと、周りの木立や家の影ですら恐ろしく見える。夜は鬼の時間だ。

「どこから来る……?」
「わからない。でも、家の板が破られてるから、血鬼術でいきなり集落の中に出てくるような鬼じゃない……と思う」
「チッ」

 舌打ちを一つして、玄弥がぐるりを見回した。静かだ。遠くでフクロウが鳴いている。その静寂を破ったのは、バキバキと木が破られる音。──どこかの家の雨戸。鬼が来た!
 音のした方を向いていた玄弥が一歩早く駆け出した。次いであづさが。玄弥が刀を引き抜くと、鋼の色が月の光を受けて閃く。鬼は集落の奥まったところにある家の雨戸を破ろうとしていた。中からヒィと悲鳴が漏れ出ている。窓枠がきしむ音が響く。

***

 玄弥はあづさよりも先に駆け出して鬼に斬りかかる。あいつよりも速く。そうでなければ鬼の頚を取れない。
 しかし、玄弥の大振りの一撃は鬼の腕によって難なく阻まれた。よくよく見ればそこかしこに黒光りのする鱗の生えた鬼だ。なるほど、鱗の部分は硬いらしい。呼吸も使えず剣技の才もなく、さらには腕の折れている玄弥に斬れる硬さではない。ぎり、と玄弥は奥歯を噛みしめる。痛み止めのおかげで腕を動かしても痛みはない。それで良いかと思ってそのまま任務に出てきたが、やはり刀と腕を固定しておくべきだった。
 うまく力の入らない右手でもう一度刀を握りしめ、玄弥はふたたび刀を振った。狙うのは頚。頚には鱗が生えていない。それなら玄弥でも斬れるかもしれないからだ。その愚直な突貫に鬼が笑った。

「弱い、遅い。残念だったな、鬼狩り!」

 頚を目がけて振った刀がバチンと跳ね返される。その反動をもろに受け、玄弥は弾き返されてあづさのそばまで転がった。鬼が玄弥とあづさのほうを向く。先にこちらを始末しようという魂胆のようだった。侮られている。

「ころころ転がって、ぽんぽん跳ねて、鞠のようなガキだな」

 鬼が嘲る。頭がかっと熱くなって、玄弥はまた鬼に向かって駆け出そうとして、あづさに腕を掴んで止められた。

「邪魔すんじゃねえよバカタレ!」
「ごめん! でも玄弥、あなたやっぱり腕が折れてるでしょ!?」

***

 あづさが掴んでいるのは玄弥の右腕だった。先ほど玄弥が刀を振ったときに、添え木と包帯が見えたのだ。こんな腕の仲間に無茶はさせられない。余計に怪我がひどくなれば玄弥は二度と刀を持てなくなるかもしれないのだ。
 しかし玄弥はあづさの手を振りほどき、刀を無理に握って見せた。

「舐めんじゃねえ、斬れる」
「舐めてないけど斬れないと思うわ。骨が治ってからじゃなくちゃ、」

 力が入らないから、と続けようとしたあづさの言葉が途切れる。その目は玄弥の持つ日輪刀に向いていた。その刀身にあづさと玄弥の顔が映り込む。

「玄弥、その刀」
「あ!? なんだよ!?」
「色が変わってない……」

 玄弥の持つ刀は日輪刀本来の鋼の色をしていた。持ち主が呼吸を使えて、さらに一定以上の剣術の技量があれば日輪刀の色は変わるのに。技量の程度によって色の濃淡は変わるが、染まらないということはない。つまり。つまり、玄弥は。

「だから何だってんだよ! 俺は戦える。戦って手柄を立てて、俺は柱にならなきゃいけねえんだ……!」

 色の変わっていない刀を握り直して玄弥が叫ぶ。同時に、玄弥に向かって鬼がドンと力強く跳躍した。先ほどから積極的に動いていたからか。咄嗟にあづさが前に出て、その爪を受け止める。なるほど硬い。硬いが、斬れない鬼ではない。受ける刀ではなく、力いっぱい振り切ったあづさの刃なら。
 斬りかかっていった玄弥が鬼に何度も阻まれたのは、腕が折れているだけでなく、きっと刀の色が変わるほどの技術がないからだ。おそらくは呼吸も完全には習得していない。それなら、なおさら無茶なことはさせられない。あづさは刀の向こう側でにやにやと笑う鬼を見据える。
 グ、と腕に力を込めてあづさは鬼の爪をはじき返し、その勢いのままとんとんと後ろに飛びすさった。

「玄弥の気持ちはわかった! けど、……けど、今回はわたしがやる。腕が折れてるひとに無理させられないわ」

 鬼がふたたび前進してくるのに合わせて、あづさも地を蹴った。全集中・夢の呼吸。ゆらりと刀を構え、あづさは鬼との距離を詰める。

「弐ノ型 魂響たまゆら!」

 一歩駆け、二歩で跳ぶ。間合いの内に鬼が入る。鬼の腕がしなり、爪がぎらりと光るのが見えたが、あづさの方が速い。脚を大股に開き、下に下に潜るようにして爪の攻撃をかいくぐり、瞬きの間に腕めがけて重い斬撃を重ねて叩き込む。鱗で覆われた腕が刀の軌跡をなぞるように飛んだ。次いで、刃が鬼の頚に届く。

***

 桃色がひゅんと閃いて、鬼の首がごろんと転がった。玄弥の右腕がじくじくと痛み出す。痛み止めの効果が切れ始めているのだ。どうだって良い。そんなことは。
 取られた、と思った。あれを殺せれば俺の手柄だったのに。そんなことばかりが頭のなかを占める。
 刀を納めてあづさが振り返る。

「玄弥、大丈夫?」

 なにが大丈夫だというのか。なにも大丈夫じゃない。俺は柱への一歩も踏み出せなかった。初任務だというのに鬼の一体も殺せなくて。
 あづさが気遣わしげに腕の様子を見ようとするのが煩わしくて、玄弥は伸ばされた腕を振り払った。その動きだけでも骨の折れている箇所が痛む。こんな腕では鬼を斬れない。そんなことはわかっている。呼吸も使えず、剣技の才もない。それでも柱にならなければ柱には会えないのだ。多少の無理がなんだというのか。

「うるせえな、触んじゃねえよ!」
「……ごめん。でも、腕はちゃんとしたほうが良いわ。それ以上悪くなったら、刀だって握れなくなっちゃうもの」
「……わかってんだよ、そんなことは」

 あづさが眉を下げる。その心配そうな顔に腹が立つ。他人の心配をする余裕があるのだ、こいつには。他人に話しかけたりする余裕も、他人のことを知ろうとする余裕も。
 二人の頭上で鎹鴉がガァと鳴いた。次の指令だ。

「指令! 指令ーッ! 不死川玄弥ァ、及ビ、桃井あづさ! 以上二名、直チニ東ノ山ヘ向カウベシ!!」

 上を見上げていたあづさが玄弥のほうを見た。玄弥はそちらには顔を向けず、緩んでいた包帯を巻きなおしながら、鎹鴉が東に向かって飛んでいく後を追う。