玄弥が鬼の頚を叩き斬った。鬼の体が塵と消え、足場としていた部分もぼろぼろと崩れる。
あづさはフゥフゥと肩で息をしている玄弥の右腕を掴んで枝を飛び降り、なんとか地面に着地した。玄弥がぶんと腕を振ってあづさの手を払いのける。やはり右腕はもう完全に治っている。
「玄弥、その右腕はもう治ってるよね?」
玄弥は答えない。あづさは身を低くして構え、刀の柄に手をかける。──今の玄弥が何なのか、あづさにはわからない。鬼の頚を斬ってはいた。鬼殺の意思はあるようだった。しかし、鬼を喰って鬼の力を得ている。もしもその鬼の力で暴れるようなことがあれば、人を襲うようなことがあれば、同行する隊士のあづさが対処しなければならない。ふうと吐いた呼吸が震えている。仲間を、それも同期の仲間を殺せるか。あづさにその決断ができるか。視界がぶれる。
玄弥が一歩あづさに向かって踏み込んで、しかしすぐに倒れた。一瞬の逡巡ののち、あづさは玄弥に駆け寄る。玄弥はぜいぜいと荒い呼吸を繰り返していた。
「玄弥! どうしたの、苦しいの!?」
あづさは膝をついてそばに寄り、玄弥の背中をさすりながら声をかける。玄弥は小さく縮こまって苦しいのを堪えているようだった。地面に爪を突き立ててがりがりと引っ掻いている。血が出てしまうからとあづさはその腕を掴んで止めた。そこではたと気付く。爪の尖っていたのが元に戻っている。
はっとして玄弥の顔を覗き込めば、黒く濁っていた目も、伸びていた牙も、爪と同じように元に戻っていた。玄弥の呼吸もいくらか落ち着いている。
あづさはなおも玄弥の背をさすりながら上を見上げた。鬼はもう消滅している。喰った鬼が死んで、その体が消えたから、玄弥から鬼の力が抜けたのだろうか。それとも、玄弥が得た鬼の力は時間が経てば消える短時間のものだったのだろうか。わからないが、とにかく元に戻ってよかったとあづさは胸を撫で下ろす。
「玄弥、大丈夫? 起きられる?」
「うるせぇ、テメェが邪魔なんだよ」
ふたたび玄弥の顔を覗き込もうとしたあづさの顔面に玄弥の手のひらがべちんと当たった。のけぞって距離を取ると、玄弥が顔をしかめながら体を起こす。
「もうなんともないの? お腹は? 苦しいとかない?」
「うるせえっつってんだろ」
じとりと玄弥があづさを睨みつけた。一応は口を閉じながら、あづさは玄弥の様子を観察する。見た目から鬼らしさは消えている。顔色もだいぶ良くなった。言葉もちゃんと聞こえているし、返事も返ってくる。玄弥の言葉を信じるなら不調すらないようだ。鬼を喰ったというのに……という点で不安はあるが、しかし、不調がないと言うのなら今のところはそれで良い。あとは上が決めることだ。
ずっと構えていた刀をベルトに挿し直し、あづさは立ちあがった。玄弥はそれをちらりと横目で見て、握ったままだった刀と、自身の手と、鬼のいた場所にそれぞれ目を向ける。
木々の間からすっと白い光が差し込んだ。朝日だ。二人の頭がそちらを向く。あづさは目を細めて日が昇るのを見、それから玄弥のほうを向いた。
「鬼を食べるのはこれきりにしたほうが良いと思う」
玄弥があづさを見る。
「今回は元に戻ったけど……次もそうとは限らないでしょ。怖いわ。鬼みたいになった玄弥と会いたくないよ」
「……知るかよ。やっと鬼を殺せるようになったんだ、使わねえ手はねえだろ」
鼻の頭にまで皺を作って玄弥が言う。あづさは眉を寄せた。
玄弥はずっと焦っている。呼吸が使えないこと、剣技の才がないこと、柱になりたいのに実力が伴わないこと。それは知っているが、だからといって鬼を食べるなど、と思うのだ。
鬼についてわかっていることが少ないうえに、人智を超えた血鬼術を使う鬼もいる。それを喰らって、その力を人間のままで手に入れて、無事で済むわけがない。
「鬼を食べて、玄弥の体がどうなるかもわからないじゃない。心配だよ」
「そんなことどうだって良いんだよ!」
玄弥が怒鳴った。あづさは思わずびくりと肩を揺らす。玄弥はぶるぶると震える手で刀を握りしめていた。
「俺はどうなったって良いんだよ、どうでも良いんだそんなことは! 俺は柱にならなきゃなんねぇんだ! そのためならなんだってやる、鬼だって喰う! 呼吸も剣技も俺にはねえんだ! やっと、やっと見つけたんだ、これなら俺も鬼を殺せるんだよッ!!」
次になにを言おうとしていたかも忘れてあづさは一瞬押し黙った。少し間をおいて、「わからない」と口から言葉が零れる。
「どうしてそんなに柱になりたいの。それって玄弥の命より大事なことなの?」
「どうだって良いだろ」
「良くないわ。玄弥が柱になるためだけに命まで捨てるっていうなら、わたしは止めるよ」
声が震えた。
あづさだって柱になりたい。しかしそれは地位を求めているわけではないのだ。柱になれるほど強くなって、たくさんの人を守りたいから。養父や育手や蜜璃にもらったものを、人を助けることで返したいから。人を守るために自分の命を使う覚悟はあづさにもある。それで死んでしまうのなら仕方のないことだとも思う。
しかし、玄弥の言っていることはあづさにはわからなかった。柱になることを目的としているが、それだけのために命まで捨てるのか。それほどまでに柱という階級は魅力的なのだろうか。玄弥がなにも言わない以上、あづさにはなにもわからない。
あづさはもはや睨むくらいの気迫で玄弥をじっと見つめた。玄弥は眉間にぐっと皺を寄せると、小さく「大事なんだよ」とつぶやいた。その声も震えていた。
「柱になって、会わなきゃなんねえ人がいる。俺の命なんかよりずっと大事なんだ。テメェにはわからねえよな、継子だもんな!」
玄弥があづさを睨みつける。あづさは今度こそ何も言えなくなった。
だって玄弥は一般的な隊士よりも圧倒的に不利だろう。呼吸も剣技も使えないのだから。それを鬼を喰らって補ってまで柱になろうとしているのだ。柱になって会いたい人がいるから。その人に会いたい一心でここまで来た。あまりの思いの強さに言葉が出ない。
玄弥はそんなあづさの様子を見て、チッと舌打ちをひとつ打ち、背中を向けた。ちょうどのタイミングで鎹鴉が降りてきて次の任務を玄弥に伝える。玄弥はそれを受けて、振り返ることなくざくざくと歩いて行ってしまう。あづさは焦った。なにかを言いたいのだ。どうしようもなく。
玄弥のやろうとしていることは難しくて大変なことだ。その道中で玄弥しか玄弥を信じないのは、とても悲しいことに思えた。考えのまとまらない頭で、とにかく何か、とあづさは声を張り上げる。
「わかった! わたし、玄弥のこと信じるわ」
玄弥が一瞬だけ足を止めた。あづさはなおも続ける。
「頑張れなんて簡単に言えないもの。玄弥はずっと頑張ってきたんだろうし、これからもずっと頑張るんだろうし。だから信じるわ! 玄弥の頑張りが報われることを信じる!」
玄弥がふたたび歩き出す。その背に向かってあづさはいちばん大きな声で、ぶつけるつもりで叫ぶ。
「また会おうね!」
玄弥の背が木の陰に隠れて見えなくなった。同時にあづさの鎹鴉がばさりとあづさの腕に留まった。次の指令だ。あづさは一度玄弥の行ったほうを見てから鴉が指示するほうへ向けて歩き出す。