頑張る

「その程度の鬼なら、一人でも倒せるようにならなくちゃいけないわね」

 初任務の報告に対して、師である蜜璃から返ってきた言葉はそれだった。その通りですとあづさもうなづく。たしかに硬くはあったが、血鬼術も使えない鬼だった。強さで言えばずっと下のほう。それを二人がかりでやっと倒したというのは、柱の弟子としては不十分な結果だろう。

「でも、頑張ったことに間違いはないわ! お疲れ様!」

 しかし、結果がどうあれ頑張り自体も褒めてくれる師である。昨夜の自分の動き方や判断を振り返って下向いていた気持ちが、その言葉と蜜璃の笑顔ですぐに上を向く。我ながら単純だわ。そう思うけれども、次も頑張るためにはいつまでもくよくよしていられない。

「よーし、それじゃあもっともっと強くなるために、おやつを食べ終えたらもう十本走り込みを追加しましょうか!」
「はい! 頑張ります!」

***

 そんなわけで、もともと蜜璃から課されていた鍛錬のメニューに加えて、新しいものが増えた。もともとのメニューも増量された。無理をしない範囲で良いよと蜜璃は言う。たしかに体を壊しては元も子もないので言われた通りに無理はしないが、あづさは動けなくなるまでは課された鍛錬を消化した。動けなくなったらそのまま地面に寝転がり、回復して動けるようになったら再開するのだ。
 それを繰り返していて気づくことがあった。大抵は全てのメニューを消化する前に力尽きるのだが、たまに全て消化できることがある。
 なぜでしょうかと問えば、蜜璃は少し唸ったあと、「呼吸の仕方かしら」と答えた。

「こうね、胸がブワワ〜! ってなるでしょ? そのブワワ〜! をどこに使ったら良いか考えるの」
「ぶわわーを」
「そう! 例えば走るときは脚に使うでしょ。そうすると脚がバン! ってするのね。刀を振るときは腕にグッとね」

 言いながら蜜璃があづさの脚や腕を押さえる。「ここをグーンとして」「次はここ」と身振り手振りも交えながら蜜璃が触れる箇所を、あづさは頭に叩き込んでいく。
 蜜璃の説明はかなり抽象的だ。蜜璃は感覚で体を動かしているのでそもそも説明がしづらい上に、その感覚を言葉にしようとするとこうなるらしい。そのため、あづさは蜜璃のもとに来て初日のうちに「師範の説明がわかりません」と半泣きになって訴えた。うまく説明ができない蜜璃も半泣きになっていた。
 そうして二人でギャン泣きしながら話し合って考えたのがこの方法だ。動きの癖を指摘するときは言葉とともに実際に蜜璃があづさの腕や足を持って動かす。力を込める箇所や気をつけるべき部位は「ここ」と押さえて示す。このおかげで蜜璃の言葉は格段にわかりやすくなって、あづさは蜜璃の弟子を続けられている。

「呼吸の精度が上がるとすごいぞー! いろんなことができるようになるから! 血の巡りを遅くしたり速くしたり、あとは止血もできるの!」
「そんなことができるようになるんですか!? が、頑張ります!」
「うんうん! あとは、そうね……。やっぱり、体の動かし方かしら」

 こればかりはずっと難航していた。基本的な動きだけならば蜜璃のもとへ来る前に教え込まれていたが、戦闘における身のこなしは実戦で培っていくものだ。あるいは師の動きを見て学ぶ。しかしあづさと蜜璃の場合、蜜璃が特異体質であるためにそれがうまくいかない。たとえば、今のあづさが脚を使ってやるような跳躍を蜜璃は逆立ちから腕のみで行えるが、そのさまを見てもあづさは同じようにはできない。それはただ鍛えるだけでは埋まらない差だった。

「あっ、そうだ! じゃあこんなのはどうかしら!?」

 難しい顔で考え込んでいた蜜璃がぱちんと手を打ち合わせて立ち上がる。こいこいと招かれたのは庭ではなく屋敷の中だった。

***

 レコードから明るい曲が流れている。これに合わせて踊るのが、蜜璃の提案した新しい訓練方法だった。簡単なように見えてこれがかなり難しい。決められた振りがあるわけではなく自分で考えて動かなければならない上に、少しでも音と動きとがずれると始めからやり直しになるからだ。初日というのもあるだろうが、今日は一曲も最後まで踊りきることはできなかった。
 しかし、わかったことは山ほどある。
 まず、あづさが自分で思っているよりも動き方には癖があるということ。跳ねたあとの着地は右足にしがちだとか、重心がブレやすいとか、同じ動きを繰り返しがちだとか。
 そして、案外あづさは動けるのだということ。前に進むために脚に力を溜めたいが、もう次の音が来る。しかし、もうダメだと思っても、意外と足は前へ進むのだった。腕は思ったよりも伸びるし、指先は遠くに届く。
 それらはあづさが自分の体をちゃんと理解していなかったことによる。手足の長さ、関節の柔らかさ、筋肉のしなり、体の重さ。踊るうちにそれらがなんとなくわかってきたおかげで、後半はそれなりに動けるようになっていた。
 初回でその感覚を掴んだことは蜜璃も想像していなかったらしい。

「私もやるわ!」

 と勢い込んでレコードをセットするのを床に倒れ伏しながらあづさは見ていた。あづさの体は起き上がれないほど重いのに、流れる曲は軽快だ。蜜璃が様子を見るようにくるりと回る。もう一度。軽く膝を曲げて跳ぶ。着地。
 あづさは体を起こす。
 蜜璃の動きは音とずれもしない。そしてあづさが見てもわかるほどに軽かった。どこに力を入れてどう動かせばどのように動くのか、ぜんぶ理解しているのだ。とんとんと蜜璃の足音が音楽の間から聞こえる。
 あづさは蜜璃の動きをつぶさに目に焼き付けた。同じようには動けない。しかし、今回の訓練で自分の体のことが少しわかったあづさは、蜜璃の動きを見て自分ならどのように動くかと考えられる。

「ふう! いいわねこれ! 楽しいし、思いもよらなかった動きもできちゃうし! 私の訓練にも入れちゃおうかしら」
「そしたら、一緒にこの訓練ができますね」
「そうね。私も明日からやるわ、この訓練!」

 そんなわけで、あづさのこなすべき日課に、レコードから流れる曲に合わせて踊る訓練が追加された。