玄弥は焦っている。呼吸が使えない。剣の才能もない。刀の色が変わらない。けれど柱にならなくては兄に会えない。強くなりたいが、そのための技術がそもそも習得できていない。堂々巡り。腹の底に苛々が積もっていく。
あづさの珊瑚色の刀身が閃く。燃え盛る炎のような勢いでそのまま鬼の頚に刃を沈め、斬り払う。俺にはあれができない。玄弥は思う。なんでだよ。なんで。
刀を納めたあづさが振り返り、玄弥の無事を確認して笑うのが嫌だった。夜が来る前、合流したばかりのときに「今回の任務も玄弥と一緒なのね! 心強いなあ、頼りにしてるよ」と、心の底からそう思っているような笑顔で言ったのも嫌だった。余裕そうな顔をしやがって、と思う。自分が大した戦力にならないことなど玄弥が一番よくわかっているのに。なにが頼りにしている、だよ。なんなんだよこいつ。
しかし一番嫌なのは、たぶんあづさの言っていることが丸々ぜんぶ本心で、それをわかっていながら嫌だと思ってしまう自分なのだ。
***
次の任務も玄弥とあづさの二人で向かえとの指令が下りた。出立は翌朝。それまで藤の花の家紋の家で休息をと鎹鴉に促され、あづさと玄弥は町の端にある屋敷を訪れていた。
あづさは屋敷の人が敷いてくれた布団に転がって天井を眺める。ふかふかだ。寝巻きもよい香りがする。なんだか悪いわ、鬼殺隊というだけで、こんなにもしてもらえるなんて。だけどありがたいなあ。そんなことを考えているとふわふわとした眠気がやってくる。ああ、ちゃんと布団に入らなきゃ。そうは思っても、任務が終わったばかりで疲れた体はなかなか動いてくれない。泥にでもなった気分だ。
……誰かの声が聞こえて、あづさの意識は覚醒した。そもそも布団もかぶらずにおかしな姿勢で寝ていたせいで眠り自体が浅かったらしい。体を起こして耳を澄ます。ううん、ううん、と唸る声がする。隣の部屋からだ。玄弥にあてがわれた部屋。
「玄弥? ……起きてるの? もしかして怪我をしてるの? 大丈夫……?」
「うるせえ」
襖越しに声をかけると、苛立ったような声が返ってきた。起きている。そして、やはり唸り声は玄弥のものだったようだ。押し殺すような声。怪我をしていたようには見えなかったが、どこか痛めていたのかもしれない。
「怪我をしてるなら、こっちの部屋に薬箱があるから、貸してもらおう。わたしも包帯なら持ってるわ。そっちの部屋に行っても良い?」
「うるせえ、来んな。怪我なんかしてねえよ」
声をかけながら戸棚から取り出していた薬箱をいちど床に置く。来るなと言われれば行けない。しかし心配なものは心配なのだ。襖の前でうろうろと歩いてみたり座ってみたり、襖に耳を寄せてみたり、無意味に薬箱を持ち上げてみたりしながら、どうしようかしらとあづさは考える。そうしている間にも、くぐもった小さなうめき声は途切れ途切れに隣の部屋から聞こえてくる。
そうしてあれこれと考えて考えて、はっと気づく。これが重篤な怪我だったら大問題だわ。見た目にはわからなくても大きな怪我をしていたということはままある。あづさも入隊前の修行中に「なんだか痛いなあ」と思っていた箇所の骨が折れていたことがある。案外気づかなかったりするのだ。放っておくわけにはいかない。
あづさは床に置いていた薬箱を手にスパンと襖を開いた。
「入るなって言ってたのにごめんなさい、でも心配だから様子だけ見るわ! なにもなかったらちゃんと戻るから!」
すぐには追い払われないことに安堵しながら、そっと部屋の様子を伺う。玄弥は頭から布団をかぶってちいさく丸まっていた。あづさは静かに布団のそばまでにじり寄り、薬箱をかたわらに置く。
「玄弥、布団取るよ。痛かったら言ってね」
声をかけながら掛け布団を掴んで剥がそうとするが、玄弥が抑えているのか布団が持ち上がらない。なるほど、布団を引っ張る元気と力はあるようだ。では、と足の方の布団をめくると、玄弥の左手が膝すねのあたりに添えられているのが見えた。
足。ねんざではなさそうだし、見た目にも折れているようには見えないが、けれど痛むのはきっとここだろう。「触るよ」と一言断ってから触れてみる。しかし熱は持っておらず、炎症が起きている様子もない。体を起こした玄弥がげしげしと蹴ってあづさを退けようとするのをいなしながら、足が動かせないわけでもなさそうだわ、と考える。ということは玄弥の言う通り、怪我をしているわけではないのだろうか。
「怪我してるわけじゃなさそうだけど……だとしたら、何が悪いのかしら」
「知らねえよンなもん! たまに痛むだけで怪我じゃねえってことはわかってんだから良いだろ、慣れてんだよこっちは!」
それを聞いて、あれ、とあづさは思う。前に似たようなことがあった気がする。なんだったか、と記憶を辿るが思いつかない。蜜璃のところではなくて、もっと前。育手のところにいたのよりも前。養父のところにいたころに、こんなことがあったような。
首をかしげながらあづさは玄弥が伸ばした腕を避け、バンと蹴り上げた足をいなす。
「もう部屋に戻れよお前! 邪魔なんだよ!」
「あ、わかった」
あづさの言葉に一瞬だけ玄弥の動きが止まる。その隙にあづさは玄弥の痛むらしい膝からすねのあたりに手で触れた。「大丈夫!」と笑いかけ、そっとさする。なおもあづさを蹴り飛ばそうとしていた玄弥は面食らったようにぴたりと動きを止めた。なにしてんだコイツ。そんな感情がありありと玄弥の顔に浮かんでいるが、あづさは気にしない。
「前にね、おじいちゃん……ええと、育ての親のところで、兄弟子が同じようになったことがあったのよ。怪我してないのに足が痛いって。その時、おじいちゃんがこうやって撫でてあげてね。それから冷やして、ちょっと柔軟して、そしたら痛みが引いたって」
そんなことを話しながらあづさが玄弥の足を撫でさする。触れていることがわかるようにしっかりと、しかし痛くないように力は込めずに。かつて養父が兄弟子にやっていたように。
玄弥があづさを退かそうとしなくなったのでそちらを見れば、やはり「よくわからない」という顔をして、撫でさすられている自らの足を見ていた。
しばらくそうして、手の感覚が少し変になってきたあたりであづさは手を離す。
「ほんとは冷やすものをもらいに行きたいけど、今の時間じゃ迷惑になっちゃうから、柔軟だけにしたほうが良いかな」
「もう良い」
「でも」
「……もう痛くねえ」
玄弥が不機嫌そうに眉を寄せながら、確かめるように自分の足をさする。
「本当? なら良かった!」
あづさはホッと息をつく。「なに笑ってんだよ」と玄弥に悪態をつかれて、安心が顔に出ていたかと両の手で頬を引っ張った。
そのまま玄弥に追い出されて襖も閉められたが、つらそうな声はもう隣からは聞こえない。痛くなくなったというのは本当らしい。よかったよかったとうなづいて、あづさは自分の布団に潜り込んだ。
***
ぶん殴ってでも追い返そうと思っていたのだ。玄弥は痛いことに慣れているし、一人でもなんとかできる。実際そうして生きてきた。
だというのにあづさは玄弥が追い出そうとしてもぜんぶ避ける。呼吸を使えるから。剣技の才もあるから。なんだよコイツ、と思った。嫌味なやつ。俺にできないことがなんでお前はできるんだ! そんなどうしようもないことと、じんじんとする足の痛みとが、玄弥の頭を埋める。苛々する。もう全部いやになる。お前なんか嫌いだ。俺のことも嫌いだ。クソッタレだこんなのは。
けれど、あづさがなんの根拠もなく能天気な顔で「大丈夫!」などと言って笑って、今まさにあづさを蹴り飛ばそうとしていた足に、玄弥のより一回りも小さい手で触れたから、そんな苛々が気にならなくなったのだ。
なにしてるんだコイツ。なんの得もないのに、なんでそんなふうに笑うんだ。苛々が困惑で上塗りされていく。お前のじいちゃんの話なんか知ったことじゃねえよ。そう思っても声が出ない。あづさの手がゆっくりと玄弥の足の上を行き来するばかりで。
「体が大きくなってる証拠なんだって。あとは、頑張りすぎの証拠。無理しすぎちゃいけないわ」
あづさが高い声でゆったりと喋る。たいして温かくも冷たくもないぬるい手のひらの温度が寝巻き越しに伝わる。じわじわと痛みが引いていくのが不思議だった。しばらくそうして、あづさが手を離すと、温かくなっていたそこがすっと冷えていく。本来の温度だ。慣れている温度。そのはずなのに。
あづさがなおもあれこれしようとしてくるので「もう痛くない」と伝えれば、あづさはまるで自分のことのようにホッと笑った。変なやつだと思った。あづさに対してこれを思うのはもう何度目だろうか。その安心しきったような顔が無性に腹立たしくて、玄弥はふいと顔を背ける。
「なに笑ってんだよ」
「えっ、ごめん、笑っちゃってたかな!?」
ごめんねえと両頬を手で引っ張るあづさを玄弥はそのまま隣室に追いやって、バンと襖を閉める。そのまま布団に潜り込んで、小さくまるくなる。膝を抱えるようにして眠るのは癖だった。
する、と両の膝に手を添える。もう痛みはまったくなくなっていた。