喰らう

 月も中天に昇る頃、あづさと玄弥は大きな町に到着していた。鎹鴉に曰く、今夜はこの町にある藤の花の家紋の家で休息を取り、明朝早くに出立せよとのことらしい。
 夜更けに訪れたにもかかわらず家主は二人を快く迎え入れ、丁重にもてなしてくれた。
 翌朝、食事の用意ができたという主人のあとをついて屋敷の中を行けば、立派な膳が用意されていた。白米、味噌汁、焼き魚、小鉢に入った漬物。どれもおいしそうだ。玄弥の膳は、玄弥が骨折していることを気遣ったのか、匙でも食べられる丼ものになっている。
 どうやら家の者はまだ起きてもいないらしく、案内されたのはあづさと玄弥のみだった。向かい合って朝食とするが会話はない。玄弥は早く出立したいとでもいうかのようにばくばくと丼ぶりの中身を片付けていっている。

「玄弥、よく食べるのねえ。わたしのお漬物もあげようか」
「あ? いらねえよ。自分で食え」
「嫌いだから食べてもらおうっていうんじゃないのよ」

 もはやかき込むようにして食べている玄弥にあづさが追いつけるはずもなく、玄弥は先に部屋を出て行ってしまった。急がなければとあづさもあわてて食事を続けるが、なんたっておいしいので、早食いなどできるはずもない。
 結局、あづさは玄弥にかなり遅れて食事を終えた。急いで支度を整え、眉間の皺を渓谷のように深くしながらも指令だからとあづさを待ってくれていた玄弥と合流し、出立する。急いだために予定よりも一刻ほど早い出立となったが、まあ、早いに越したことはないだろう。

***

 森の中で小隊が鬼の討伐に当たっている。これに加勢せよというのが今回の指令だ。
 到着した森は異様に静かだった。夜だとはいえ、虫の声も、獣の鳴き声もしない。おかしい。あづさがぐるりと首をめぐらせると、森の奥のほうからかすかに人の声が聞こえた。先に来ていた小隊の誰かだろうか。刀を構え、あづさと玄弥はそちらに向かって駆け出した。
 木々の間を縫うように走り、急に開けた場所に出る。そこにあったのは死体の山。捩じ切られた人の体がそこかしこに転がっていた。地面は血を吸って黒くなっている。
 その中央にそびえる木が──木だと思っていたものが、ゆっくりと振り向いた。それは巨木のような姿をした鬼だった。あづさと玄弥の姿を認めると、木の瘤のような顔がにたりと笑う。

「おやあ、新しいのが来たな」

 鬼の体から生える何本もの枝に隊士の体が引っかかって揺れている。枝がびゅんと伸びてあづさと玄弥に向かってくるのをそれぞれ避け、二人は刀を抜いて鬼に向かって走る。
 この鬼は人型をしていない。巨木の幹に顔がついたような鬼だ。頚の位置がわかりづらい。けれど、鬼である以上急所は頚だ。ならばまず狙うのは顔の下、木の根元のあたり。
 一本一本が若木の幹ほどもあろうかという枝が自在に伸びて、あづさと玄弥を捕らえようとうねる。あづさは限界まで体勢を低くひくく保ち、枝をかいくぐり、その懐に飛び込んだ。ぼこりと足元から生えた枝を咄嗟に横へ回転して避け、その勢いを利用してに幹に向かって刀を振るう。

「夢の呼吸・肆ノ型 午睡ごすいばく!」

 ズズン、と重い音を立てて鬼の体が倒れた。けれど、なんだろう。手応えがなかったような気がする。あづさは再び刀を握り直し、地中から生えた枝の向こう側にいる玄弥に声をかけようと顔をそちらに向けた。
 ごく至近距離で鬼と目が合う。

「……ッ!」
「おいおいおい、おれはまだ死んでいないぞ? 油断しただろう、ガキめ!」

 全力で体を横に倒し、ぎりぎりのところで回避する。見れば、無数にある枝のすべてに鬼の顔が浮かんでいた。斬り倒した幹も、メキメキと音を立てながら根のようなものを伸ばしあって、絡まるようにしてもとの形に戻っていく。
 手応えがないはずだ。斬った箇所は頚ではなかった!
 枝の先に現れた鬼の顔のすべてが、くわ、と大口を開く。

「どうだ、ガキども!」「どれがおれの頚かわかるかね?」「わからんだろう」「わからんまま死ね!」

 わんわんと鬼の声が響く。蛇のようになった枝がぐるぐるとのたうってあづさに襲いかかる。それを何とかいなしながら、あづさは声を張り上げた。

「玄弥! 玄弥、無事!?」
「うるッせえな、なんともねえよ! クソ、頚なんか増やしやがって、コイツ!」

 よかった、と息をつく。玄弥は無事だ。
 ──しかし失敗した。見事に騙された。この鬼を倒すのには、本物の頚を探し出して斬るしかないだろう。しかし、総当たりでは無限の体力をもつ鬼のほうが圧倒的に有利だ。きっと先に来ていた小隊もこれでやられたに違いない。
 ならばまず頚のありそうな箇所にアタリをつけていくのが良いはずだ。頚は急所だ。急所なら厳重に守っているところがきっとそうだ。それなら、攻撃に使っている枝はおそらく偽物だろう。幹も違う。
 あづさは迫り来る枝や鬼の牙を刀で弾き、斬り落としながら、鬼の動きを注視する。動かしていない枝はあるか? なにかを守るようなそぶりを見せてはいないか? 巨木のようなこの姿で、守るべき頚はどこにあるだろうか。
 はっとしてあづさは上を見上げる。幹から枝が分かれていく箇所。木の股の部分。高さのために地上からは見えづらく、仮に上から狙おうとしても蠢めく枝に阻まれるだろうそこ。よくよく見れば、なにか隆起した瘤のようなものがある。

「玄弥、木の上! 枝分かれしてるあたりに、なにか見えない!?」
「アァ!? どこ……ッあああ枝が邪魔だ、見えねえ!」

 あづさは自身を目がけて伸びてきた枝を刀で抑え込むと同時に飛び乗り、その上を駆けた。枝はあづさを振り落とそうとうねるが、日頃の訓練のおかげで体幹には自信がある。あづさは襲い来る枝を斬り裂き、牙を弾き返し、枝から枝へと飛び移って上を目指す。トンと枝を蹴ってさらに上へ跳ぶ。
 ……見えた! うじゃうじゃとする枝の中心。瘤のように見えていたそれはやはり頭だったようだ。ぎょろりとあづさを睨む鬼と目が合う。瞬間、鬼は枝をそこに集めて頚を隠し、同時にあづさに向けてびゅんと枝を伸ばしてきた。この守りようなら、あの瘤が本物の頚である可能性は高い。
 あづさは近くの枝を蹴って体の向きを変え、さらに空中で体を捻る。深く息を吸い込む。

「陸ノ型! 千紫万虹せんしばんこう!」

 捻った体の回転を利用して全方向から来る枝を斬り払い、崩れるそれを足場にして強く踏み込む。肺いっぱいに空気を入れ、熱くなった血液を身体じゅうに回す。あとはあの塊になった枝まで飛び込んで、枝ごと頚を斬る! グ、とあづさは脚に力を込めた。

「夢の呼吸・肆ノ──」
「あ、がッ!」

 悲鳴。反射的にあづさの意識がそちらに向く。うねる枝が獲物を捕らえる蛇のように玄弥を締め上げているのが見えた。その肘の関節が本来の向きとは逆向きに曲がっている。折られたのだ。一瞬の逡巡ののち、足の向きを変え、あづさは玄弥のほうへ向かって枝の上を駆ける。
 しかし、その一瞬の隙を見逃す鬼ではない。ドンと横から衝撃が来て、あづさはそのまま吹っ飛ばされ、近くの木の幹にぶつかって地面に落ちた。視界がぐらぐらとする。まずい、判断を誤った。脳まで揺れるような感覚のなか、気づけば膝が地面についていた。まずい。玄弥、玄弥は。

***

 ギチギチと締め上げられるせいで玄弥は呼吸すらまともにできない。げほ、と肺の中の空気が出て行く。なんとか先に引き抜いていた右腕はいまも刀を握っているが、玄弥の力では枝を片手で斬り落とすなどできるはずもない。それでもなんとか突き刺してみてはいたが、枝の締め付けが緩むことすらないまま、そろそろ力が入らなくなってきた。どうする。どうしたら良い。わからない。
 ひゅうひゅうと喉から空気が漏れる。そのさまを見て鬼が笑った。玄弥の体を締め上げている枝についている顔だ。

「無様だなあ、鬼狩り。とくにおまえは弱いなあ。こんな腕じゃあ、おれを殺せるはずもなかろうよ!」
「あ、がッ、!」

 近くにあった枝が玄弥の右腕に巻きついたかと思えば、ベキンと音を立てて玄弥の肘が逆に曲げられた。刀がうねる枝の上を転がって落ちていく。

「次は足か? 腕のもう片方も折ってやろうなあ。惨めだなあ鬼狩り。ええ? 惨めなやつを見るのは楽しいなあ?」

 枝がさらに強く巻きついた。このままでは腕が引き千切られる。おそらくかなり正解に近い想像をして、さっと玄弥の血の気が引いていく。──そんなことになれば刀を握れない。刀がなくては鬼を殺せないのに。鬼を殺せなければ鬼殺隊にいられないのに。強くなって柱にならなければ兄に会えないのに!
 鬼はにやにやと笑いながらゆっくりと締め上げる力を強くしていく。時間をかけて苦しめようとしていると気づいて、なんだそれ、と玄弥は思う。なんだそれ。余裕ぶっこいてんじゃねえぞ。

「……、」
「うん? なんだ、聞こえんぞ。どうせつまらんことを言っているんだろうが……」
「返せ、返せ返せッ!! 俺の腕もとに戻せ馬鹿野郎がッ!! できねえなら、できねえならッ、」

 さっき引いていった血の気が倍以上になって戻って来たような感じがしていた。頭がかっかとして熱い。玄弥は自分が何を言っているのかもよくわからないくらいの怒りと混乱との中で、とにかく、取り戻さなければ、とだけ思っていた。奪われたぶんを取り戻す。奪われる前に奪う。
 手足が出せなくても、もっと原始的な攻撃方法がある。玄弥は大きく口を開いて、がぶりと自分を締め上げ続ける枝に噛み付いた。

「は!?」

 まさか自身が喰われるとは思ってもいなかったのだろう、枝の締め付けが緩くなる。しかし玄弥は気にも留めずにさらに噛み付いた。口いっぱいの鬼の肉を嚥下して、まだ喰らう。腐臭がきつい。木の皮みたいに硬い。灰や塵のような味がする。それでも喰う。枝の一本も食い千切ってやらなければ気が済まなかった。俺は腕を折られてんだ、刀が握れるようになるまで喰ってやる!
 しかし鬼もただ黙って喰われ続けてくれるわけではない。玄弥を振り落とそうとブンと枝を勢いよく振るう。それになんとか取り付こうと枝に爪を立てて、それががりりと食い込んだところで、玄弥ははたと気づく。爪が伸びている。これではまるで鬼の爪だ。尖っていて、釘のような。何が起きている? 心臓が激しく鳴っている。体が熱い。思考が鈍る。上手く頭が回らない。それでもなにか違和感がある。爪だけではなく、もっと、なにか。
 ──右腕が動かせる。折れていたはずの右腕が。
 冷や汗がこめかみを伝う。動揺して玄弥は取り付いていた枝から滑り落ちた。ドッと背中を地面に打ち付け咳き込むが、その痛みもすぐに消える。右腕が動く。治ったのか? ありえない、こんな短時間で。混乱しながらも目の前に落ちていた自分の刀を拾った。鋼色の刀身に玄弥の相貌が映り込む。

「小僧おまえ、おまえ、なんだそれは!? まるで鬼じゃあないか!?」

 尖った牙と獰猛に色の変わった眼球。コイツの言う通りだと玄弥は思った。これじゃあまるで鬼だ。鬼を喰ったせいか? あまりのことに刀を握る手に力がこもる。釘のようになった爪が食い込んだ。じわりと滲んだ血は、しかしすぐに止まる。
 しなる枝が玄弥に襲いかかった。しかしその動きは先ほどまでとは違って、なにか焦っているようにも見える。玄弥の変容に鬼のほうも動転しているらしい。滅茶苦茶な動きで迫りくる枝を、どうにか防ごうと玄弥は刀を打ち付ける。そこからぶつんと枝が両断された。止めるだけのつもりだった。本来の玄弥にはその程度の膂力しかなかったはずだ。つまり、膂力すらも鬼のようになっている。
 玄弥は枝の来るほうを見やった。先ほどのあづさの言葉を思い出す。木の上、枝分かれしているあたり。今の玄弥なら近づける。その首を取れる。

***

 がくんと頭が揺れて、はっと意識が戻る。あづさは慌てて周囲を見回した。意識が飛んでいた時間はそう長くないようだが、あづさの周りに枝がない。なぜ? 鬼の本体、巨木のようなそれに目をやって、あづさは枝の上を走る玄弥に気づいた。あの状況からどうやって抜け出したのかはわからないが、先ほどあづさが見つけた頚らしき箇所を狙っているようだ。なるほど、攻める玄弥への対処のためにあづさの周りにあった枝すら総動員してかかっているらしい。
 玄弥の背にびゅんと枝が伸びる。あづさは近くの木の枝に飛び乗り、そこから、玄弥に襲いかかろうとする枝に向けて跳んだ。とんとんと枝を飛び移りながら刀を振るい枝を斬っていく。

「夢の呼吸・伍ノ型! 極光きょっこう天衣無縫てんいむほう!」

 ざんと枝を斬り払い、勢いを殺して着地する。少し前を玄弥が走っている。それを追いかけながら、あれ、とあづさは眉を寄せた。
 身のこなしが玄弥のそれではない。それではない、というか、動きの癖などは玄弥の動きであるが、動き方が玄弥の力量を超えている。折れていたはずの右腕で、明らかに膂力のみで刀を振って襲い来る枝を斬り裂いている。そんなことができるだろうか。そもそも仮に腕が折れていなかったとしても、呼吸を使えない玄弥があれだけの動きをすれば、骨や筋肉に負担がかかりすぎてすぐに動けなくなってしまうだろう。最悪、筋が千切れて使い物にならなくなる。しかし玄弥はそれをやってのけている。突然呼吸が使えるようになった……なんてことがありえないのはあづさもよくよく知っている。
 なにか嫌な予感がして、あづさは走る足に力を込めた。玄弥に並んでその顔色をまず確かめようと視線を向け、彼の変貌を知る。
 どうして。どうやって。その疑問はすぐに払拭される。玄弥が力いっぱいに打ち付けた刀が半端にめり込んで枝から抜けなくなる。玄弥はもはや躊躇うことなく枝に噛みつき、齧りとり、無理やりに開けた隙から刀を引き抜いた。鬼を喰っている。そのために鬼のような力を得ているのだとあづさは理解する。膂力と、おそらく再生力も。

「玄弥! それ、」

 大丈夫なの、と聞きたかった。しかし言葉が途切れる。あづさの声になんの反応も返さず、ただ鬼の首を取ろうと駆けていく玄弥の姿が、藤襲山で見た鬼に似ていた。
 鬼なんか食べて大丈夫なわけがない。あづさはぶるぶると頭を振って、迫る枝を斬り払い、玄弥の後を追う。

***

 玄弥は無数の枝の中心、鬼の頚のある箇所までたどり着いていた。こじ開けようとドンと刀を突き刺す。しかし、ギチギチと絡み合う枝はそれだけでは斬れない。玄弥は右手で刀を持って枝を突き刺し、左手で枝を掴んで力を込める。尖った爪ががりがりと枝に食い込んだ。

「やめろ、クソガキ!」「離さんか!」「殺してやる殺してやる」「あの方の血も頂かずに鬼になるなど」「許さんぞ鬼狩りめ!」

 襲い来る枝が口々に叫ぶが、玄弥には聞こえていない。ただかっかと熱い頭のなかで、目の前の鬼を殺せと、そればかりがぐるぐるとしていた。それだけの簡単な思考。今、そのためだけに体が動く。
 ギギ、と枝の塊に隙間が空いた。中に守られていた鬼の顔が見えて、目が合う。瞬間、枝に込もる力が増し、せっかく開いた枝の隙間が閉じようとした。力で押し負ける。それなら、もっとだ。もっと力があれば負けない。目の前の枝を食い千切り、嚥下し、空いた隙に手を突っ込んで鬼の頚を晒す。
 びゅんと玄弥の視界の端から枝が迫る。同時に桃色が閃いて、その枝を斬り落とした。鬼の顔に焦りと怯えの色が浮かぶ。どうでも良い。これを斬る。これを斬って、──斬れば、

「返せ、ぜんぶ」

 玄弥は刀を鬼の頚に叩きつけた。断末魔が響く。