長船
〈長舩派…正系と応永備前と寛正備前と末備前〉備前
正系→光忠(開祖)、長光、景光、兼光、倫光、基光、政光、義光、義景
応永備前→盛光、康光、家助、師光、経家
寛正備前→則光、祐光、盛重
末備前→忠光、勝光、祐定、(勝光)、宗光、清光、晴光、法光、賀光、幸光
※勝光さんはどっちかな?
江戸前期※正系か応永か末なのかわからないので。
七兵衛祐定、上野大掾祐定、河内守祐定
江戸後期
祐包、祐永、祐平、祐定、祐盛
備前、鎌倉時代中期〜安土桃山時代
《正系》
・開祖 光忠
「燭台切光忠」
「生駒光忠」
長光
「大般若長光」
景光
『号 小竜龍景光』(楠公景光、のぞき龍景光)
由来、のぞき竜景光
刀身が摺り上げられために元来刀身にあった彫りが茎の中に入って剣に巻き付いた龍の頭が上からのぞきこんでいるようにみえたから
持ち主
楠木正成→???→明治天皇
現在→東京国立博物館、国宝
刀工
表、備前国住長船景光
裏、元享二年(1322)五月日
刃長は73.2。摺り上げられたことがある。
経歴
江戸時代末期以前の伝来が不明。
江戸時代末期、大阪府(河内国)の農家に発見されたが「景光」として認められずに偽物とされた。
弘化三年(1846)広儀御用御用(こうぎおためしごよう)の山田朝衛門吉昌
明治六年(1873)山田家→明治天皇に献上。大変お気に召されてサーベル拵を付けられて常に佩用されたという
ちなみに山田朝衛門良昌から彦根藩主の井伊直中・直弼父子がほしいと言ったが振ったそうだ。
写しが二振あり、摺り上げ以前のもの、摺り上げ後となっている。どちらとも固山備前介宗次。
兼光
「大兼光」
『藤丸拵(ふじまるこしらえ)』
持ち主、足利義政
作成年代、延文年紀
刀工、備前長船兼光
分類、短刀
メモ
足利義政自ら工夫して〈藤丸拵〉の言われる拵をつけた。
黒漆の刻鞘の合口拵で、金銀螺鈿で藤の花を配し、柄は藤巻きで、目貫は金の藤の花丸風、藤の図柄で統一した拵。
鐺に孔をあけて、菖蒲皮の犬招くをつけ、白革に草花文を染皮にした火打袋(火打がへの火打石を入れる袋)を下げている。
本科は行方不明で、現在は江戸時代の模造品が多く残っている。
兼光の拵=藤丸の拵と言われるほど流行した。
…作ったのは兼光さんじゃなくて足利義政さんなのにな。
倫光、基光、政光、義光、義景
長舩祐定→「安宅切」…名前(祐定)が数ヵ所にあるため。