代替不可


再会は偶然。もしくは彼がつくりだした必然だった。

「」
「赤井さん!」

数年前に、彼の仕事上の都合から別れた恋人が、自分が立ちよった喫茶店にいるなんて誰が思うだろうか。複雑な思いもあったが、想っていた相手との再会は私の心を躍らせた。

そこから話はとんとん拍子に進み、今夜私の家で久しぶりに一緒に飲むことになったのだ。
机を挟んで、向かい合う。からんからんと小気味よい音を立てるロックグラスを片手に乾杯。
喉を伝い、流れていく彼が好きだったバーボンと彼の存在が、私の心を癒すようだった。


ふわり。

紫煙が宙を舞い、霧散する。いつの間にか、自分の中で落ち着く香りとなったその苦い香りを肺いっぱいに吸いこんだ。

「…おい」
「ああ、ごめんね」

数年ぶりに出会った元恋人が、目を瞬かせているのに気付く。その表情の意図を考え、自分のしくじりに思い至った。手元の灰皿に煙草を置いた。立ちあがって、食器棚の奥から彼専用の灰皿を取り出す。付き合っていた頃は彼が来る前から出していたが、数年のブランクは私の習慣を消してしまったようだ。

私のお気に入りの赤い灰皿を机に置くと、彼は頬を緩めた。

「ありがとう。まだとっておいていたのか」
「物を捨てられない性分なのよ、私もたまに使っていたし」

そういうと、彼はまた目を瞬かせ、視線をふらふらさせた。物をはっきりと言う、米国式の彼には珍しい所作に首を傾げる。他に何か忘れていたかと頭を巡らせるが、思いつかない。

机上にはバーボン、おつまみ、チェイサー、氷。換気扇よし。彼お気に入りのジャズミュージックよし。指さし点検してみるが、全くわからない。

そんなことを考えていたら口寂しくなり、席に戻って一服。ふう、と息を吐くと彼が「 」と私の名前を呼んだ。


「どうしたの」
「 、お前、喫煙家だったか?」


その言葉に、はた、と手元を見る。そして記憶を遡れば、確かに彼がまだ私の近くにいた頃は吸っていなかった。彼と別れてから、その悲嘆や仕事のストレスやなんやかんやで吸うようになってしまったのだ。ぽっかりと空いた心の穴を煙草の煙で埋める習慣がつき、今は立派な愛煙家。家にはカートンでの煙草ストック。

「数年前からね」
「…あんまり、良いものじゃないぞ」
「赤井さんにとってもね」

苦い顔をする彼に、くすくす笑ってその手元を煙草で指す。そうすれば、彼の眉間の皺がより深くなった。自分の煙草をくゆらせつつ、彼は物憂げに宙を見つめている。膝に置いた片手の人指し指をとんとん、悩んでいる時の仕草だ。

優しい赤井さんはきっと、何で私が煙草を始めたのかとか、自分のせいじゃなかろうか、とか悩んでいるに違いない。こう言った時の私の勘、特に赤井さん関係では外れたことがない。

「口寂しいのをごまかすために始めたの」

へらり、と笑って自分のロックグラスをあおると、彼と目があった。


「飴ばっかり舐めて体重が増えちゃってさ、困ったから代わりに煙草。」


「昇進して多忙になって、疲れた勢いもあったけどね」と、肩をすくめる。冗談みたいな言い訳に、彼はまた笑みをこぼした。


「お前は変わらないな」
「赤井さんもね」

そういうと、どこかくすぐったい心地がして、お互いにくすくすと笑った。彼が煙草を私のお気に入りの赤い灰皿に置き、立ちあがった。もう帰るのか、予想外に早かった。目を伏せ、心の中で嘆息した。恋人でも何でもない自分では、次会うのは数年後か、もしくはもう一生相まみえることはないかもしれない。視線を上げれば、彼が自分の横にいた。

「送るよ」
「本当に変わらない」

立ちあがろうとすると、彼の大きな掌が私の頭をくしゃりと撫でた。
予想外のことに、目を見開いて赤井さんを見やる。ゆるく微笑む彼の、節くれだった指が私の髪を梳く。その指の感覚に、心臓が鼓動を速める。


「何でもかんでも抱え込むなと、言っただろう」

その直後、彼の大きな腕が私を包み込んだ。柔らかい、優しい抱擁、そして胸を焼く彼の煙草の匂いがふわりと香った。懐かしいその匂いに、目頭が熱くなった。彼の優しさに絆されて、封じ込めていたはずの言葉が堰を切ったようにぼろぼろと出てくる。

「心配したよ」

「ああ」

「仕事も大変でさ」

「ああ」

「会いたかった」

「ああ」

彼の胸に顔を埋めるようにして言葉を吐き出す私に、赤井さんはしっかりとした首肯をくれる。人の温かさ、彼という存在から来る安心感に涙がこぼれた。

「なあ、」

「うん」

「自分勝手に別れを切り出した俺が、こんなことを言うのはまた自分勝手なことなんだが」

「うん」

「また、俺の傍にいてくれないか」

彼の言葉に驚き、顔を上げる。そこには、眉尻を下げ、困ったような表情の彼がいた。

「いっとう好いた女を忘れられない、どうしようもない男でな。お前なしじゃ、ただの木偶の棒だ」

選んでくれ、という一方で、私を抱く腕がより強く私をその中に閉じ込める。選択なんてさせてくれないのだろう。そして、私の中にも選択肢はなかった。

「私も、赤井さんなしじゃ、口寂しくて駄目」

目を丸くした後に、彼は溢れんばかりの笑みを浮かべて私を抱きしめた。

「もう、口寂しくさせやしないさ」

数年ぶりの苦いキスが、私の心を埋めた。

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