饗宴


「魔界の美しい山中にある洋館……ね。ベースのセンスは悪くないけれど、この外観じゃあエレガントとは言えないわね」

ふわり、と鮮やかな深緋に染まった長い髪を優しく撫でるそよ風を感じながらぽつりと呟く。
私は今、とある依頼を遂行するために依頼書に記載された地図の場所へとやってきていた。
広大な魔界の地で大きく外れた場所にある山の奥地。周囲の植物や樹木……確か広葉樹と呼ばれる種類のものだったろうか、それらは昼間の強い日光を浴び活き活きとしている。
何より樹木同士の間隔が広いため木の葉で空を遮られているというような事が無く、道無き道を歩かなければいけないことを除けばとても居心地が良い場所だ。
しかし、そんな心地良い僻地で目の前に存在しているロココ調の洋館。それだけは、その周囲一帯だけは異様な雰囲気に包みこまれていた。
まるで枯葉の様に首を垂らし、黒にも近い茶色に変色している植物。生気を感じることのできない重たい空気。図々しくも中心に鎮座するのは窓が割れ、壁は剥がれた廃屋の如き洋館。
この場の清々しい空気を台無しにするには十二分すぎる要素である。出来ることなら今すぐ解体して撤去してしまいたい程だ。

「でも、この洋館で目標が生活してるみたいなのよね。任務とは言え中に入りたくないわ……」

そしてよりにもよって今回の依頼の抹消目標となっている存在はこの洋館を住処としているとのこと。
外側から破壊して中身ごと抹消してしまうということも不可能では無いが中にいなかった場合や逃走された場合の対処が面倒臭い。
確実に対象を確認し抹消を遂行するためにはどうあがいてもこの廃屋になりかけている洋館にお邪魔しなければいけない。

「気が進まないけれど、仕事は仕事よね。行きましょうか」

覚悟を決め、近付く度にその場の空気に呼応して重くなる脚をどうにか引きずりながら、今にも外れてしまいそうな洋館の扉に手を掛ける。
そのままゆっくりと扉を引くと、やはり、と言うべきか。生活感が無く埃っぽい、いかにもホラーチックな光景が広がっていた。
広々としたエントランスには複数の窓もあり、まだ時刻は真昼間だと言うのに太陽の光を拒絶しているかの如く薄暗い。

「こんな場所で生活するとか何考えてるのかしら」

思わず思ったことがそのまま口から洩れる。その時だった。

「他人の住居に勝手に上がり込んできてその台詞は失礼じゃありませんこと?」

唐突に頭上から女性の声が落とされた。状況的に当然だが歓迎してくれているわけでは無さそうだ。
声の聞こえる方向に顔を向けると、エントランスから続く二階部分からこちらを見下ろすドレス姿の影が見て取れる。

「あら、ごめんなさいね。まさかこんな場所に誰かが住んでるだなんて思いもしなかったわ。手入れも何もされていないんですもの」
「残念ね。まだ初対面だというのに既に貴女とは気が合いそうな気配がありませんわ」
「そうね、私もそう思っていたところよ。私には廃墟で暮らす趣味なんてないもの」
「そう?以外と居心地が良くってよ?そうだわ、折角ですもの、この洋館のダンスホールに案内して差し上げましょう。貴女も良いドレスを身に着けているんですもの、その紅と黒のドレス、きっと似合うはずよ」
「はい?」

突然の提案に一瞬戸惑う。ダンスホール、恐らく戦闘面で相手が有利になるような仕掛けが施されている可能性が高い。
しかし、このエントランスで戦うのもあまり品があるとは言えないだろう。
一拍置いて、答えを返す。

「そこまで言うのなら案内されて差し上げるわ」
「存外、素直ですのね。案内している間に後ろから斬りかかるとかは無しでしてよ?」
「そんな無粋なことするわけないじゃない。美しくない」
「ふふ、このあたりのセンスは似たものがあるようね。何だか嬉しくなりますわ」
「貴女と似ていても何も嬉しくなんてないわよ」
「全く、つれない方ですのね。今そちらへ向かうわ、少々待っていらして」

会話を続けながらエントランスに向けて階段を下りて来る影。
距離もあり、薄暗かったこともあり今まで確認出来ていなかったがとても整った顔立ちをしている。
外見的には人間で言う20代程度だろうか。
艶やかな紺色のロングヘアーと、洋館の寂れた内装に見合わず綺麗に取り繕われた深い蒼色のダンスドレスが視界に光る。

「どうか致しまして?」

つい凝視してしまっていたようだ。こちらの視線に気が付いた彼女に声を掛けられる。
その深く冷たい濡羽色の瞳と視線が交差する。

「どうもしてないわ。ただ、ドレスだけは綺麗なのねと思っただけよ」
「直接身を包む物ですもの、綺麗じゃなければ嫌でしょう?」
「それもそうね、正論よ。そこまで言うのならこの洋館も綺麗にしてほしいところだけれど」
「残念ながらそれはできませんわ。私の趣味ですもの」
「悪趣味」
「そうかもしれませんわね。うふふ。さあ、ダンスホールはこちらよ、ついていらして」

とりあえず今のところ戦闘する意思は無さそうだ。安心するわけでも警戒を解くわけでもないが一応は言葉に従うことにする。

「失礼な発言はされましたけれど、随分と久しぶりな来客で嬉しいですわ」
「こんな僻地にあるんじゃ誰も来るわけないわよ」
「でも、貴女は訪ねに来てくれましたわ」
「前向きな理由で尋ねたわけじゃないことくらい、貴女もわかっているんじゃないかしら」
「分かっていますわ。それでも嬉しいものは嬉しいんですの」
「どこまでも悪趣味ね。貴女絶対友達いないでしょう」
「ええ、いませんわ。私はずっと独り。友達は欲しいとも思ったことはありませんわね」
「来客は欲しいのに友達はいらないって、ちょっと不便すぎないかしらその思考」
「自分でもそう思うことはありますわ。でも変えることはできませんし、変える気もありませんもの。これで良いのよ」

どうやら彼女は趣味だけではなく思考思想まで捻くれたことになっているらしい。
何をどうしたらこんなことになるのだろうか。私も人のことは言えないのかもしれないが。
他愛の無い、捻くり返った会話を挟みながら案の定頽廃の進んだ廊下を歩んで行く。
ところどころ崩落してしまってはいるがその名残からは恐らく元々煌びやかな装飾が施されていたであろうことが伺い取れる。

「もったないわね」
「何がかしら?」
「この洋館のことよ。きちんと手入れを続けていればこんなにならなくて済んだのに」
「手入れならしていますわ。この私が」
「どんな手入れをしたらこんなことになるのか不思議でしょうがないわ……」
「お聞きしたいかしら?」
「聞く気にならないし聞く気もないわ」
「聞きたそうにしたのは貴女ですのに……まあいいですわ。そろそろダンスホールに到着いたしますの」
「いい加減綺麗な場所に出たい……」
「安心して頂戴、貴女にならきっと気に入って頂けるもの。今開けますわね」

先を歩いている女性が目の前に現れた大きな観音開きの扉に手を掛ける。――そして。

「へえ……」

思わず洩れる吐息にも近い感嘆。
大きく開かれた扉の先にはここまでの退廃的な道のりからは想像のし難い世界が広がっていた。
上質な白と金で塗装された内壁、深紅に染め上げられた毛長の絨毯、頭上に輝く巨大なシャンデリア。
恐らく魔力が動力源になってるのであろう白いグランドピアノが自動的に奏でる優雅なクラシック。
まさしく絢爛と呼ぶに相応しい造りの煌びやかなダンスホールだ。

「気に入って頂けまして?」
「ええ、これは素晴らしいわ」
「それは良かった。案内した甲斐がありましてよ。……ねえ、ここまで来たんですもの。私と1曲、踊って頂けませんこと?」
「……一応聞いておくわ。それはお互いにとって最初で最後の1曲、ということで良いのかしら」
「隠すつもりはありませんわ。寂しいけれども、そうゆうことになりましてよ。貴女もそのつもりで私を訪ねていらっしゃったのでしょう?」
「どう見たって隠すつもりなんて最初からないじゃないの、特に“あれ”は」

皮肉交じりの言葉と共に私が指差す先にあるのは、ダンスホールの中心に置かれたスタンドに景観を崩さない様に装飾され立てかけられている純白の大鎌だ。

「そうですわね。あれが私の鎌、私が死神である象徴。そして罪咎の証。貴女も同じ死神ですものね。言わずとも気づかれてしまうに決まっていましたわ」
「あれだけ露骨な配置をされていたら同業者じゃなくても大抵は気付くと思うのだけれど」
「そうなのかしら。気付かれてしまった割合はあまり高くありませんのよ」
「なるほど、この洋館まで訪ねてきた、或いは迷い込んだ相手を今と同じようにダンスホールまで案内して、そこで魂を狩り取っていた。ということで良いのかしら」
「ええ、そうでしてよ。そしていつの日か私は堕ちていた。消されるべき死神として」
「理由に興味は無いから聞かないけれど、職務上これだけは聞いておく。貴女、これからその罪を償うつもりはあるかしら」
「ありませんわ。私は踊ることが好きですの。命を掛けて儚く踊ることが」
「そんなことだろうと思っていたわ。貴女の最期の1曲、付き合って差し上げる」
「うふふ、貴女の最期かもしれませんわよ?……どちらにせよ、素敵な1曲をお願い致しますわね」
「……そのつもりよ」

会話を終え、互いにダンスホールの中心へと向かう。
相変わらず優雅に奏でられ続けるピアノの旋律のせいで、これからこのダンスホールで繰り広げられる行為が命の奪い合いであることを忘れさせてしまいそうにもなる。
とは言え、嫌いなシチュエーションではない。むしろ私の好みである。
一方彼女は大切そうに立てかけられた大鎌に手を触れ、こちらに微笑み掛けてきている。

「私、同業者と踊らせて頂くのは実はこれが初めてなの。だからとても楽しみですわ」
「知っているわ。貴女の罪歴に死神は載っていなかったもの」
「あら、そこまで知られてしまっているのね」
「当然よ、罪を抱えた死神は抹消の目途が立つまで監視され続けるのだから」
「そうでしたの、知りませんでしたわ。つまり貴女……同じ死神が来たということはその目途が立ったということで良いのかしら」
「白々しいわね。わかっていたのではないの?」
「まさかそこまでとは思っていませんでしたもの。流石ですわね」
「道さえ違わなければ貴女も十分こちらの立場にいたはずなのだけれどね。さあ、そろそろ立ち話も飽きてきたわ。始めましょう」
「ええ、そうね。残念だけれど始まりがあれば終わりもある。開かれたカーテンは閉ざされるまでが物語ですものね」

切なそうに綴られる言葉と同時に、スタンドから外される純白の大鎌。
それに合わせて光となって消失する大鎌が置かれていたスタンド。
広々としたダンスホールにはグランドピアノと、私と彼女の二人だけが取り残された。

「洒落た表現ね。嫌いではないわ」

それを見て、こちらも大鎌を“精製”する。
私達の界隈では所謂“魔力鎌”と呼ばれる存在だ。
魔力の扱いに長けている者や高水準の魔力を持つ者が自己の魔力により精製することが可能な武器。そのひとつがこの魔力鎌である。
その場で精製することが出来るため嵩張らないという利点があるが、魔力鎌の性能は精製者に強く依存するため誰でも扱えるというわけでは無い。
安定して、普通の実体ある鎌……“物理鎌”と並ぶか、それ以上の性能を発揮するためには相応の練度が必要なのだ。
そして、私の目の前に精製されたのは私が着ているドレスと同じ紅と黒に染められ、装飾が施された身の丈程もある大鎌。
自分で言うのもどうかと思うが、上級クラスの魔力鎌である。

「死神ってそんなこともできますのね」
「何よ、貴女知らなかったの?というよりも、さっき消失したスタンド、あれも魔力じゃなくって?」
「そうなのだけれど、私にはあれが精いっぱいですわ。武器にするだなんて高度なこと、できませんの」
「器用なのか不器用なのか。わからないわね」
「良く、言われましたわ。……ダンス用の曲に変更いたしますわね」

パチリッ、と彼女が指を鳴らすとピアノが奏でる旋律はこれまでの淑やかなものから、優雅さを残したまま激しいものへと切り替わる。円舞曲だ。


「そういえば、名前を名乗っておりませんでしたわね。私の名はマリア、それ以上でも以下でもないわ」
「マリア、ね。私の名前はあんり、“暗い”に“淋しい”で暗淋」
「暗淋……和名なのね。良い名前ですわ」
「その言葉、素直に受け取っておくわ。短い時間だろうけれど宜しくお願いしようかしら」
「素直なのは良いことよ。そして、こちらこそよろしくお願い致しますわ」

自己紹介を済ませた私達は武器を構え、互いの正面に立つ。

「シャル・ウィ・ダンス?」
「ええ、喜んで」

互いにくるりと身体を回転させ、強く刃を叩きつけ重ね合う。甲高い金属音がピアノの旋律を斬り裂き。それが合図となって甘美な“狂演”が幕を上げた。
重ね合わせた刃を強く弾き飛ばし彼我の距離を詰める。それに反応して彼女はすぐに私の刃の道筋を塞ぐ形になるように自分の鎌の柄を移動させながら受け身の体制を取る。
私の刃は見事に防がれてしまった。

「なかなかやるじゃない?」
「お褒め頂き光栄ですわ。でも、まだまだ終わりませんことよ」
「そうじゃないとつまらないものね」

次の瞬間、今度は私の鎌が弾かれる。彼女の刃が狙っているのは私の首だ。
弾かれたばかりの鎌でそれを受けることは‥‥できなさそうだ。弾かれた鎌をそのまま錘に使いその場にしゃがみ込む形で刃を避ける。
そしてしゃがみ込んだ勢いバネに利用して追い抜かすような形で彼女の脚に刃を水平に向けながら駆け抜ける。無論この間も限界まで彼女のことを視界に捉えたままだ。
彼女も瞬時にそれを判断し、自らの鎌を床に叩きつけ身体を無理矢理跳ね上げ回避する。
彼女も彼女で自己が跳ね上がった衝撃を利用して空中で鎌ごと身体を捻り追撃を加えようとしてくる。
それに応える様に私も身体を反転させ、向かってくる刃を受け流し、即座に反撃を行う。
交叉する紅と蒼。旋律の中刹那に繰り広げられる一進一退の“円舞曲”。

「嗚呼、とても楽しいわ。これほどまでに楽しいのは初めて」
「私もよ、優雅に踊れるのは素晴らしいわ」

宙を舞い、地を滑り、空を斬る。
実力の拮抗した紅と白の刃が互いの斬撃を撫で合い。鼓動が絡まり合う。
眼にも止まらぬ速度で限界まで濃縮された高密度の攻防は優雅さの中に鋭利ささえも孕んでいた。
いつまでも終わることなく続いてしまうかのような錯覚さえも与えられる。
――だが、現実は非常だ。

「どうしてなの?どうして貴女には傷ひとつ付けられませんの?!」
「私の方が円舞曲が得意なだけよ」

長く、けれども短い時間の中続けられた攻撃の応報。
その中で少しずつ裂かれる蒼のドレス、傷どころか汚れひとつ付かない紅のドレス。
拮抗しているかの様に見えた実力にも、確かに差はあったのだ。

「そんな!だって私はこれまでに何度も……!こんなことおかしいですわ!」
「貴女の円舞曲は足りないのよ」
「何が、何が足りないと言うんですの?!」
「自分で考えなさいな。最期まで」
「っっ!!」

止むことの無い斬撃。途切れ途切れに続けられる会話。
時間に比例して朱の面積が広がっていく蒼。
純白だったその刃にも、深い傷が付き始めていた。

「そろそろ諦めたら、どうかしら!」

彼女の動きに隙が出来始めたのを確認し、彼女の傷つきボロボロになった純白の刃に紅の刃を叩きつける。

「っ!きゃあ!」

悲鳴と共にこれまでに無い程強く弾かれる蒼。

「まだ、まだ終わらせたくありませんの!!」

彼女は一度強く弾かれた身体を無理矢理立て直しこちらに向けて刃を振り上げた。

「もう、遅い」

私はそれを、振り上げられた刃を、無慈悲に彼女の手から叩き落す。

「……そんな……私が……」
「円舞曲の時間はおしまいね」

手にしていた鎌を失った彼女は力無くその場に崩れ落ち、完全に戦意を失っているようだった。
彼女が身に着けていた美しい蒼のダンスドレスは既に形を保っておらず、身体にまで届いた刃により傷ついた身体から流れる鮮血によりところどころが朱に染めあげられている。
流れ続けているクラシックは皮肉にも最大の盛り上がりを見せようとしているところであるようだ。

「ふふ……私の負け、ですわね。素晴らしい円舞曲でしたわ……」
「さっきまでは否定しようとしていたのに。潔いのね」
「これが事実ですもの。抗えませんわ」
「そうゆう考えは嫌いじゃないわ。この後のことはわかっているわよね」
「ええ。勿論、覚悟はできておりますわ」
「そう、それじゃあ最終確認。罪を償うつもりは?」
「ありませんわ。これが、私ですもの。暗淋、でしたわね。最期に素晴らしい円舞曲を踊れて幸せでしたわ」
「私もよ。悪趣味な部分を除けば貴女とはもう少し別の形で出会いたかったかもしれないわね」
「そう言ってもらえて光栄よ。……最期にお願い、宜しいかしら」
「命乞いは聞かないわよ」
「しないわ、そんなこと。今流れているクラシックあるでしょう?もう少しで曲が終了するの、それに合わせて私の幕を引いて頂けないかしら」
「……わかったわ。但し妙な動きをしたら即座に貴女の首を刈る」
「ええ。その条件で構わないわ。私はこの曲が好きなだけなの」
「……良い趣味ね」

そこから数分間、会話が続くことは無かった。
静寂の中真っ白なグランドピアノが奏でる旋律は楽譜通りの盛り上がりを見せ、ゆっくりと落ち着きを取り戻して行く。
私はそれに合わせ手にする鎌を大きく振り上げ――そして踊り子を失った円舞曲は終焉を迎える。

「暗淋、有難う」
「どう致しまして」

曲の終わりと共に、微笑む彼女の首に向けて勢い良く刃を振り下ろす。
蒼の残っていたドレスは全体が鮮血に濡れ、元の色が何だったのかわからなくなった。
踊り子を失い、伴奏者までも失ったダンスホールは静けさを取り戻し、これから先ここで新たな狂演が行われることは無いであろうことが見て取れる。

「任務完了」

仕事を終え。鮮血が付着した大鎌を魔力に戻し、目の前に広がる朱の海を見つめながら決まり文句を呟く。

「変わった目標だったわね」

これまでにも様々な依頼をこなしてきた私だ。最後に残った感想はそれだけだった。

「でもまあ。円舞曲はそれなりに楽しかったかしら」

そろそろは帰るわ。と、最後に少しだけ残った蒼に視線を落としながら、誰に向けたわけでもない言葉を零す。
またあの埃っぽい廊下やエントランスを抜けなければ行けないのは少し憂鬱ではあるが、外にさえ出てしまえばまた心地良い空気を感じることができるだろう。
それを楽しみに、私は時間の止まったダンスホールを後にした。

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