この世界には人とは別に、"あやかし"と呼ばれる存在がいる。
「あ……?酒がねえ……」
昼間から呑んだくれているこの男。数多の鬼の頂点に立つ――酒呑童子と呼ばれるあやかしの一人だ。
「仕方ねえ、人里にでも降りて調達してくるか……」
彼は重い腰を上げ、山を降りることにした。普段は下級鬼を従わせていたが、生憎、彼の横暴な態度に逃げられたところだった。
その行動が、後の出逢いに大きく関わることになる――。
「はあぁ……」
ため息と共に、道なき山道を往く女子高生がいる。私のことだ。でかい一升瓶を抱えて、私が何故こんな事をしなくてはならないのか。それは全て、御先祖様のせいである。
家の家系に代々伝わる言い伝え。
その昔、この山には酒呑童子という鬼が棲んでいて、ある日、酒を寄越せと人里に降りてきたとか。
酒を寄越すなら危害を加えぬという鬼の言葉に、村人たちは大人しく酒を差し出したのが始まりだった。
定期的に山の祠に酒の御供をする事になり、その役目を引き受ける事になったのが――うちの御先祖様というわけだ。当時、気が弱かった御先祖様はその役目を押し付けられたらしい。(子孫は大迷惑ですよ!)
そのせいで、私たち家系はこんな田舎から出る事を許されず、私が山道を酒瓶を持って登らされている。
まったく、この令和の時代に鬼とか馬鹿馬鹿しい。
(絶対、私は高校卒業したらこんな田舎から脱出――……)
……え?
祠近くの岩に腰掛ける人物がそこにいた。赤い髪に青い瞳。奇妙な格好をした男の人。……いや、その頭には二本の角が生えている。
まさか、本当に鬼……!?
呆然としていると、ゆるりとその人はこちらに顔を向ける。視線があった。
この田舎では滅多にお見に掛けられない、イケメンだった。
「……なんだ、お前。俺のことが見えるのか」
喋ったー!!……って、
「えっと……普通は見えないんですか?」
「ああ、俺のことが見える奴は久しいぜ。酒も持ってきてんし……ちょうどいい。酒酌みの相手しろ」
「え……ええーー!?」
その言葉に困惑していると、あれやこれやで酒ごとひょいっと肩に担がれる。
「私、絶対おいしくないですッ!」
「はぁ?食わねえよ」
――連れて来られたのは大きな屋敷だった。鬼って結構いい暮らししているんだ……。
「あ、あの……私は未成年なので、こういうことをさせるのは良くないと思います」
「人間界の常識なんて知らねえよ」
た、確かに……!言われるままに、しぶしぶとそのお猪口にお酒を注ぐ。
「お前、名前は?」
「あ、なまえです」
「良い名前じゃねェか」
「ありがとうございます……」
なんか鬼って言っても、普通に意思疎通できるんだ。もっと怖いイメージがあったけど。……よ、よし。
「あ、あの……じつはお願いがあるんですけど」
「ん?」
「その、お酒を供えるこの役割って、今もやらなくちゃダメですか?いや、このしきたりがあるせいで、うちの家系、ここから離れられないんですよ……」
「お前はここが嫌なのか?」
「はい。あ、いえ、嫌というか……まあ、嫌なんですけど。――私には、夢があるんです」
背筋を伸ばし、口を開く。
それは、私の幼い頃の夢だった。
「私……都会に行って、アイドルになりたいんです!」
歌って踊れる、キラキラした女の子に。
「それでグループのセンターを勝ち取って、武道館でライブするんです!卒業したらイケメンIT起業の社長と電撃結婚します!」
我ながら完璧な人生設計だと思う。彼の成功者も言っている――夢はでっかく持て、と。
「……人間って面白えよな」
「へ?」
「アホはこの世代まで遺伝されんのか」
「ア、アホ!?」
失礼な!……ん、という事は、私の御先祖様はアホだったってこと?
「お前は自分がアイドルになれると思ってんのか」
「そこは……頑張れば!おばあちゃんが私はその辺りの小石だけど、磨けばきっと宝石になるって言ってましたし」
「それ、あんまり褒められてねェぞ……」
「と、とにかく……!」
つまり――。私は、こんな田舎からおさらばしたいのだ。
「このまま田舎で大人になったら、働き口なんて田んぼとか牛の世話とか鶏の世話しかないんですよ!」
「いいじゃねェか。職業に上も下もねェ」
「よくないですよ!」
「あのなァ、どんな職業でも酸いも甘いもある。お前が目指すアイドルだって、表向きは輝いて見えてンかも知れねェが、裏じゃあ真っ黒だぜ。止めときな」
…………何故、私は鬼に論されているんだろう。
「詳しいですね?」
「伊達に長生きしてねェからな」
そういう問題……?
「……お、そうだ。なら俺の元で働かせてやる」
ちょうど下級鬼が逃げちまったところだ、と彼は付け加えて。
「は、働く……?」
鬼の元で働くって何するの……?
「なァに、そんな難しいことじゃねェ。身一つありゃあ出来る」
身一つ……?
「ハッ」
「?」
まさか……よくネットで見るイヤらしい公告みたいなことを……!?
『俺のモノになれよ……毎晩可愛がってやるぜ?』
みたいな……!「いや、お前、絶対おかしなこと考えてんだろ」
「男の人っていつもそうですね!」
「……アァ?」
「イケメンだからって何をしても許させると思ってるんですか!?」
「……。何言ってんだ、お前」
鬼の人ははあ、と大きなため息を吐いた。
「筋金入りのアホだな……」
「あっ、またアホって!!」
「安心しろ。お前みたいなチンチクリン、誰も襲わねェよ」
「チンチクリン!?」
なんて失礼な鬼なんだ!
「でもまァ、退屈しのぎにはなりそうだ。気に入った」
――俺の下僕にしてやる。
そう言って、悪い笑みを浮かべたその顔はまさに鬼だった。
「嫌です!なんか絶対嫌です!それならまだ鶏追いかける方がマシです!」
「ああ?さっきまで嫌がってたくせに……お前に拒否権はねェよ。お前が、俺に名前を教えた時からなァ――なまえ」
「へ!?なんですかコレ!?私の体、光りましたよ!」
「ちなみに俺の名前は、中原中也。酒呑童子なんて呼ばれてんが、名前はある。覚えとけ」
――こうして、強引に鬼の下僕になった私は。
アイドルではなく、主従関係逆転を目指し、奮闘する事になる。その日から私の日常は目まぐるしく変わった。
「君が逆に鬼の中也を従えればいい。私が協力してあげよう」
「本当ですか!?」
中也さんと仲が悪いという、九尾の狐の太宰さんと出会ったり。
「まあ、失敗したら君が中也に殺されるけどね」
「殺されたくないです!殺されないようにお願いしますっ!」
出会いは他にもあって……
「初めまして、今日から転校して来ました中島敦です」
こんな田舎町に来た謎の転校生の正体は、
「──悪霊退散!」
実は少年陰陽師だったり。
「まさか、君があの酒呑童子を従えていたなんて……」
「逆、というか……私が下僕というか……」
「……!?」
人はいつだって失ってから気づくのだ。平凡な田舎暮らしの毎日が、いかに幸せだったか――と。