初めての一人旅は広島と決めていた。
神社巡りが好きな私は、厳島神社にはずっと行ってみたいと思っていたから。
(楽しみだな――)
早めのお昼に名物のアナゴめしを食べてから、宮島フェリータミナルに向かう。
10分ほどの短い船旅。
島に近づけば、フェリーから朱色に塗られた大鳥居が小さく見えて、さらに心が浮き立った。
フェリーから降りると、その足で厳島神社へ向かう。
道には何故か普通に鹿が散歩していて驚いた。
鹿なんて、修学旅行に奈良に行った以来かもしれない。
「うわぁ……!」
目の前に、海に立つ朱塗りの大鳥居が現れた。
間近で見ると感動がすごい……!
海に立つ姿は他の鳥居にはない神秘さ。
何枚かスマホで写真を撮って、後で干潮の時にもう一度来よう。
念願の厳島神社を参拝し、次は紅葉谷駅からロープウェーで、弥山を登る。
弥山は1200年も昔から御神体と崇められてきて、今ではパワースポットだという。
私は神社巡りは好きだけど、それは歴史や建築物の視点からで、スピリチュアルはあまり信じてはいない。
「紅葉が綺麗……」
秋に狙ってこの山に来たのは、宮島の紅葉を見たかったから。
まさに"名木紅葉"とはこのことを指すのだろう。
燃えるように赤く染まった葉が印象的だ。
「……祠?」
そのまま山道を散策していると、ぽつりと寂しげな祠に出会した。
ガイドブックを見ても、それらしい情報は載っていない。
不意に風が吹いて、落ち葉が舞い上がった。
辺りは人気はなく、葉の音が揺れる音だけ。
「………………」
なんとなく不安感が生まれて、元来た道を戻る事にした。
「あれ、こんな所に鳥居なんてあったっけ……」
いや、なかった。鳥居なんてものがあったら気づくし、通った記憶もない。
「………?」
「――やあ、珍しいね。この場に人の子が迷い混むなんて」
頭上から響いたその声に、はっと見上げた。
「私の声が聞こえるだけでなく、姿も見えるなんて、珍しいこともあるものだ」
――天狗だ。天狗が鳥居の上に座っている。
絶対に人間じゃない。まず、背中に黒い羽根を生やしているし。紅葉のような団扇を持って、格好だって創作で見る天狗の服装そのものだ。
これは、あれだ。
「天狗だなんて、夢見てるのかな私……」
「ふふ。そう…私はこの山に棲む天狗。そしてこれは夢じゃなくて、現実だ。ただ少し、君がいる現実が揺らいでいる場所だけど」
――微笑みを浮かべ話す天狗が、私の中の天狗像と違うとすれば。
「貴女の名前を教えてほしい……。可愛いお嬢さん」
ふわりと天狗は降り立って、私の手を恭しく取った。
「あ…、みょうじなまえです……」
――見惚れるぐらいに顔面が整っているという事だ。
「では、なまえ。――私とデートしないかい?」
「はい。…………はい!?」
デート!?!?
「――どうだい?これなら、どこからどう見てもそこら辺にいる眉目秀麗の人間の男の姿だ」
――眉目秀麗の男性は滅多にそこら辺にはいないけど。
そう言った彼の姿は、黒い羽根は消えて、シャツにベストにベージュのトレンチコートを羽織った、ちょっとレトロだけど秋に似合う装いだ。
背が高く、スタイルがいいので様になっている。
「あの…でも、その包帯はおかしいと思います」
襟下や袖口からちらりと覗く、巻かれた包帯を私は指摘した。
「この包帯かい?これは私のアイデンティティなのだよ」
包帯がアイデンティティ……?
「他は観光したかい?私のおすすめは近くの水族館かな。スナメリという可愛いイルカがいる。その後は揚げ紅葉饅頭でも食べようか。私は生牡蠣食べながらお酒を呑みたいねえ」
さすが宮島に棲む天狗だけあって、見所をガイドブック並みに熟知している。
……フレンドリーな天狗の彼に、つい流されちゃったけど。
「本当に…その…デートするんですか?」
「もちろん」
そう笑って、彼は私の手を取って歩き出した。
「おっと、私の名前をまだ名乗ってなかったね。これは失礼」
「名前、あるんですか?」
「太宰治という立派な名前がね。私のことは「太宰さん」と語尾にハートを付ける感じで呼んでくれたまえ」
「…はあ…」
太宰さんは少し……だいぶ変わってる人だ。
いや、人ではなく天狗なのだから変わってるのは当然か。
「ちなみに、なまえ。私は人間界のお金は持ち合わせていない」
「……チケット代、私が払いますね」
元は天狗だから納得っていえばそうだけど、そんなにキリッと言わなくても。
「では、この埋め合わせは体で……」
「誤解を招くことを言わないでください!」
人が見ている。無駄に太宰さんの顔が良いので、ヒモを連れていると思われそう……。
水族館に入館すれば、そこからは楽しくて時間を忘れそうなほどだった。
本当に素敵な彼氏が出来て、デートに来たみたいで。
「なまえは恋人はいるのかい?」
「あー……ご想像におまかせします」
「ふむ。良い感じの人がいるみたいだけど、その人と付き合うのはおすすめしないね。社会人になったらすぐに別れる」
「……。想像しすぎです」
社会人か――その言葉に、泳ぐ魚を見ながらぼんやりと将来の自分を考える。
自分探しじゃないけど、この旅で何か自分がやりたいものを見つかれば良いなって思っていたけど。
「向こうでイルカショーがやるみたいだ。見に行ってみるかい?」
「…はい!」
今は忘れて、目一杯楽しみたい。
「やはり広島といえば生牡蠣だね!プリプリして獲れたて新鮮!ああ、お酒と一緒に食べたいなあ」
「……奢ってあげますね」
「悪いねえ、なまえ。この埋め合わせは体で……」
「いらないですから」
もしかして私、妖怪に化かされるならぬ、天狗にたかられてる……?
「太宰さんって、こんな風によく女の子を引っかけてるんですか?」
さっきだって写真撮るのに、スマホの操作慣れてたし、一緒に映ろうって自撮り上手かったし。
「酷いなぁ。私はそんな軟派な天狗ではないよ?」
「本当ですか……?」
じゃあ、どうして私とデートなんて。
「――君だったから」
「っ…」
色素の薄い茶色の瞳が私を捉える。
「あの場所に迷い混んで私の姿を見れる子は滅多にいないからね。先月の修学旅行に来た少年以来かな」
「って。つい最近事例があったんじゃないですか」
(ドキドキして……何かを期待して損した)
これは、どうやら化かされてるんじゃなくて、からかわれているな……。
「君とこうしてデートして楽しかったよ。もうすぐお別れとは寂しいね」
太宰さんの言葉にはっと腕時計を見ると、もうこんな時間。
フェリーの最終便が迫っていた。
「フェリー乗り場まで送っていくよ」
そう言って、太宰さんと何度目かの手を繋ぐ。
包帯越しに感じるぬくもりもこれで最後だ――。
「では、なまえ。道中気を付けるんだよ。……君なら、自分が進みたい道を見つけられるさ」
最後にそう言った太宰さんは、私の悩みもお見通しだったようだ。
さすが、この宮島に棲む天狗というべきか。
「また……会えますか?」
「会えるよ」
君が会いに来てくれたなら――……
遠くなる宮島を眺めながら、私は自分の将来を考える。
(広島に就職しようかな)
おかしな天狗との出会いがきっかけで。
我ながら何とも単純な決断だ。