人生は小説なり

 求ム事務員、武装探偵社マデ。

 そう書かれた一枚の紙が風に飛ばされ、職探しをしていた私の目の前に落ちてきた。
 単純な者なら、運命的な出会いを感じるだろうが私は違う。
 思慮深く、聡明な私は思う。

 武装――変な名前だと。

 仕事内容等や賃金は詳細は書かれておらず、面接日時と場所のみ。

(……うさんくさ)

 丸めて塵箱に入れようかと思ったが、思い止まった。
 私が求職活動に切羽つまっているのは確かだ。そりゃあもう喉から手が出るかも知れないほどに。
 定職に着かないと集合住宅アパートも借りられないのだ。
 今の私が求めているのは平穏と安泰である。

(面接、受けてみるだけしてみようかな)

 巷で噂の鬼畜ブラック企業だったら辞退すればいい。
 私ならすぐに見抜けるだろう。
 何故なら私は、世界でも数が少ない側の人間。


 異能力者だ――。


 武装探偵社の事務所は横浜の港にほど近い坂道を登ったその先にあった。
 煉瓦造りの赤茶けた年季の入った建築物ビルヂング。潮風の影響か金属部分が所々錆びている。

「えっと……場所は四階っと」

 一階は喫茶処になっており、珈琲の芳ばしい薫りが鼻を掠めた。
 仕事終わりにここで息抜きするのもいいかも知れない――。まだここで働くと決まったわけでもないのに、そんな未来を思い浮かべながら昇降機エレヴエーター_に乗り込んだ。

 武装探偵社事務所のドアには手書きで『面接会場』と書かれた紙が張られている。

 ドアを控え目にノックする。男性の声が返ってきて、私は静かにそのドアを開けた。

「あのぅ、面接希望なんですが……」
「ああ、すまない。少し待っててもらえるだろうか。今、面接官のやる気を上げている最中だ」
「……はあ」

 面接官のやる気とは一体。既に微かな不信感を感じるものの「そこのソファに座って待っててくれ」と、眼鏡の見るからに几帳面そうな彼に云われ、仕方なく座って待った。

 その間、ぐるりと視線だけ動かし、室内を観察する。
 並べられた執務机に、その上には書物や電算筐体コンピユータと、至って普通の事務所だ。
 ……或る一つの机の上に置かれた大量の駄菓子以外。

「………………」


 ……乱歩さん、面接希望者がお待ちですよ。至急面接を行ってください!……
 ……えぇ、面倒くさーい。国木田が適当にやっといてよ〜……


(筒抜けてはあかん会話が聞こえる……)

 先程の眼鏡の男性が消えたドアの向こうから。
 私の中の不信感がふつふつと大きくなる。
 逃げようかなと思ったと同時に、見計らったようにお茶を出された。

「お茶菓子を召し上がりながらもう少しお待ちくださいね。あ、私は社長秘書の春野綺羅子と申します」

 こちらも眼鏡をかけた、穏やかそうな女性だ。にこにこと邪気のない笑顔を浮かべているが、その顔にはばっちり「逃がしません」と書いてある。

「……どうも……いただきます」

 わざわざ"読まなくても"分かる。

 ――逃げる瞬間タイミングを失った。
 笑顔とは恐ろしいものだ。知らぬ間にこちらを油断させるのだから。

「お待たせしました。こちらの部屋へどうぞ。これより面接を行わせて頂きます」

 心中とは裏腹に、私もまた笑顔を浮かべて部屋に入った――。

「不採用」

 ものの数分、顔を合わせただけで不採用とはどういうことだ。

「……ええと、まだ名前も名乗ってないんですが」
「あーごめんごめん。僕は江戸川乱歩。世界最高の能力を持つ名探偵だよ」
「私のです!」

 聞いてもない自己紹介をする彼は、確かに小説に出てくるような探偵の格好をしている。

「乱歩さん、さすがに話を聞かず不採用は……」

 後ろに立って見守っていた眼鏡の男性も困惑しながら口を開いた。
 採用されたいかはさておき。こちらとしてもいきなりそんな不名誉な事を言われた理由は知りたい。

「僕には全てお見通しだからね。理由は単純だよ。君は厄介事を抱えているから。僕は事件は好きだけど面倒事はごめんだ」

 厄介事……厄介事。思い当たる事がありすぎてどれを指しているのだろうと私は考える。

 江戸川乱歩と名乗った探偵の、眼鏡の下の飄々とした表情からは何も窺えない。
 例えその顔に、仮面を何枚被っていても、私の異能力を前にしては無意味に等しいが。

 異能力――『私だけの世界』

 これは、他人を「読む」ことができる能力だ。

(頭の中、読み解いちゃうんだから)

 覗くように意識を集中すれば、それは小説の中の会話文のように私の脳裏に浮かぶのだ。

 ――え。

 思考が膨大な文字の羅列となって頭の中に押し寄せる。
 洪水のようなそれに、とてもじゃないが読み切れない。
 圧倒されていると、頭が割れそうな痛みが走り、額を片手で覆った。

「やっぱり、君は彼の異能力者だね」
「異能力者だと……!?」

 読むのを止めても、ズキズキと痛む頭に顔をしかめながら彼を見る。

「私のこと、知ってたの……?」
「君の噂は耳にしたことあるよ。でも、僕は君を一目見て判ったね。何故なら僕も異能力者であり……僕の能力は『超推理』」
「……私を推理したってこと?」
「ほう。理解が早いじゃないか」

 あの膨大な思考の量が物語っている。
 瞬時にあれだけの思考をするなんて人間技ではない。異能力だと考える方が自然だ。

「君は『読む』能力の持ち主だね?」
「読む能力……?」

 眼鏡の男性が怪訝に首を傾げた。
 私は素直に頷いた。この名探偵を前にしたら隠しても無駄だと悟ったからだ。
 同時に両手を上げて、白旗をあげたいぐらい。
 私の異能力を上回ったのは初めてだ。

「そうだよ。私は見ただけで、他人の思考・感情・過去。読むという行為ができる」
「……!まさか、俺たちの事も読んだのか……!?」

 慌てる国木田と呼ばれたその人に「見ただけって言っても簡単にホイホイ読めないから安心して」と伝える。

 他人を読むには相手に意識を集中しなければならない。

「「なんだ……驚かせやがって。いや、俺は人に知られて困ることなど考えていないがな」――今読んでみたけど、当たってる?」
「お、お前……!」

 べっと舌を出す。意識を集中すると言っても、思考を読むぐらいは簡単に出来る。
 一連の様子から、国木田さんは素直な人だなという印象を受けた。

「……待て。過去も見えると言ったな。俺の過去も見たのか?」
「見えるじゃなくて『読める』です」

 "見える"のと"読める"では全く異なるので訂正する。

「過去を読むのは時間がかかるから、あまり使いたくないけど」
「文字となって頭に浮かぶのか」

 どこまでもお見通しの名探偵だ。

「その人の過去が小説のように話として頭に浮かぶの。平々凡々な人生を送っていれば小説の長さも短くて済むけど、波瀾万丈の人生だとその分大長編になるから読むのが大変」

 それも構成も起承転結もなくただ時系列のように流れていくだけだから、つまらない人生なら読み手の私も飽きるのだ。

「人の人生にケチを付けるんじゃない」
「試しに国木田さんの人生も読みましょうか?」
「止めろ!」
「その異能力で君は、彼方此方あっちこっちに敵を作ってるってわけか」
「……生きてく上で情報を売ってただけですよ」

 物乞いするより、盗みを働くより、女を売るより――何よりも情報に高く値がついたからだ。

「まさか……乱歩さんが先程、厄介事を抱えていると言ったのは」
「彼女の頭の中にあるのは金銀財宝よりも価値があるものだよ。人によってはパンドラの箱。各勢力が血眼になって探すわけだよ」

 まあ、僕はそんなものに興味ないけどね!
 そう打って変わって名探偵はカラッと笑った。そんな反応をされたのは初めてかも知れない。

 探偵事務所か……。

「興味が湧きました。私、ここで働きます」
「いや、待て待て。そんな面倒な人材、うちでは置いておけんぞ。そもそも乱歩さんから不合格と言い渡されただろうが」
「募集かけても応募は全然来なかったんでしょう?私ならきっと役に立てますよ。事務処理頑張ります!」
「おっお前、また心を読んで……!」
「どうしても働きたいなら社長に相談すれば?僕は社長が決めたことなら従うよ」


 そして、第二次面接に参る。


 ***


「明日から事務員として、働くみょうじなまえです。宜しくお願いします!」
「どういう手を使ったんだ……?まさか、社長を脅して……!」
「そんな事しません。ちゃんと事情を話して働く意思を見せたら、社長は採用してくれました。これから一緒に働くんですから、妙な勘繰りは止めてくださいね、先輩」
「なら、お前も人の心を読む事は禁止だ。個人情報プライバシーの問題だからな」
「了解しました。国木田さんは顔に書いてあるので問題ないですしね」
「顔に書いてあるのか!?」
「こりゃ、とんでもない娘が入って来たねェ」

 そう笑うのは与謝野女医せんせいだ。
 彼女はこの探偵社専属の外科医師だという。探偵社に専属医がいるなんて、不思議だ。

「そういえば、社長の名前は福沢さんだったし、武装って誰なんですか?」

 そう尋ねると、国木田さんも与謝野さんもきょとんとした。

「何か勘違いしてるようだが、武装は人名ではなく武を装うの武装だ」
「へ?何で探偵社が武装するんですか」
「そりゃあ……」

 与謝野さんは艶っぽく唇をニイッと横に引いて、云う。

アタシら、武装探偵社が専門とするのは斬った張ったの荒事だからねェ」
「……わお」


 ――もし、私が自分の過去の記憶を読めたのなら。
 それはきっと、辞書のように分厚い、大作になるだろう。



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