任務完了――スナイパーライフルのスコープから視線を外し、すぐさま腹這いから体を起こす。
向かいの車は一分後に裏手通りに到着する手筈だ。
ちょうど私がその場から逃げるように離れてたどり着く時刻。
――ジャスト。
「……どうもです」
軽く黒服の人に軽く挨拶して、後ろの座席に乗り込む。
「……みょうじです。無事任務完了しました」
すぐさま上司に連絡して電話を切った。ふぅ……一区切りのため息を吐いて、窓の景色に視線をやる。
あとはこの車に揺られるまま、帰るだけだ。
ポートマフィアへ――。
政府も恐れる闇組織。それが今の私の生きる居場所だ。
元々親が暗殺業を営んでいて、その娘の私もまた、狙撃を得意とする暗殺者だった。
生まれる前から決まっていた生き方。
生まれて、ずっとこの世界で生きてきて、それ以上の暗い場所に行く事などなんの抵抗もない。
何よりも、あの人が導いてくれたのだから。
――数ヵ月前。
「良い腕してんじゃねェか。俺じゃなけりゃあ脳天一発、確実にあの世逝きだ」
私の放った銃弾を地面に落とし、それを指先で挟んで眺める男。
(異能力者……!)
すぐに男が何者か分かった。この世界にいて、その存在を知らない者はいない。
何故なら出逢ったら、自分の命の保証はできないから。
ポートマフィアの重力遣い。
この時、私は死を覚悟して、同時に「この人になら殺されてもいいかな」なんて思っていた。
靴が汚れぬよう血溜まりを避け、一歩一歩、重力でふわりとこっちに近づいてくる姿があまりにも優雅で……
「よくもまァ、一人で全員殺ったもんだ」
不敵に笑ったその笑みに、見惚れてしまったから。
「お前、名前は?」
「……みょうじなまえ、です」
そこに殺気はなく、その問いに口が素直に答えていた。
「よし、なまえ。お前、俺の傘下に入れ。その腕、俺が買ってやる」
そう言って、彼は私に手を差し出した。
一目で判る上等な黒い革の手袋。
引き寄せられるように、私は自分の手を伸ばす。
血溜まりは避けていたのに、私の手から流れる血は気にも止めず、彼は掴んだ。
「イイ子だ――」
この世界で見たことない笑顔で笑った彼に……中也さんに、私はついていこうと決めた。
単純な話で、私は彼に、初めての恋をしたのだ。
私がポートマフィアにいる理由なんてたったそれだけ。
(別に実らなくてもいいんだ。ただ、会いたい……)
中也さんは幹部だから、彼の傘下に入ったはいえ、下っぱの私はなかなか会えない。
もっと彼に会えるようになるには、出世をして、まずは実働部隊に入ることだろう。
私が仕事に精を出すのも、それが理由。
「みょうじ、任務ご苦労だった。次の至急の案件はないから、任務が入ったらまた連絡する」
「はい。お疲れ様です」
上司に挨拶をし、私は来た道を戻る。
次の任務が入るまでの暇な時間。
やる事もやりたい事もないので、私は雑用を引き受け小金を稼ぐ。
物欲はないけど、生きる為に金はあるに越した事はない。
昔、雑用ばかりを引き受ける凄腕の男がいたというが、その変わり者が今は私らしい。
来た道を戻ると、角を曲がった先にちらりと黒いコートの裾が見えた。
見間違えるはずがない。
(中也さんだ――!)
急いで追いかけ曲がると、ぼふっと何かにぶつかった。
「お前、なまえ……急に飛び込んできて、俺じゃなかったら殺されても文句言えねえぞ」
「ご、ごめんなさい……」
気配に気づいた中也さんが立ち止まって、そこに私がそのまま突っ込んだらしい。
(中也さんの胸に飛び込んだ瞬間、いい香りがした……)
香水かな。それだけで胸がドキドキする。
「まァ、久しぶりだな。どうだ?仕事は慣れたか」
「はい。元々やっていた暗殺業をさせてもらってますので……」
「ただ個人業と違って、うちは組織だからな。その辺の規則はちゃんと頭に入れておけよ」
「はい!」
「いい返事だ」
歯を見せて笑った中也さんはかっこいい。
姿を見かけただけでなく、こうして会話をできた今日はなんて運の良い日だ。
「お――そうだ。頑張っているお前にご褒美やるか。ついてきな」
「本当ですか!?」
(ご褒美ってなにかな……?)
気を付けないと頬が緩んでしまう。浮き立つ心を抑えながら、中也さんの後についていった。
(ここって――中也さんの執務室だ)
初めて訪れるその部屋に、心臓が高鳴る。
「今日は聖ヴァレンタイン日だろ?ポートマフィアと蜜月企業であるご令嬢から貰った猪口冷糖なんだが、俺は食わねえからお前にやる」
「良いんですか!?ありがとうございます!」
中也さんに貰ったものならなんでも嬉しい。
それにこれは滅多に口にできない高級猪口冷糖だ。
「さっそく食ってみろよ」
「はい、いただきます」
ラッピングを開けて、箱を開けると、中には見た事ないような美しい猪口が並んでいた。
どれにしようか悩んで、選んだ一つを口に放り込む。
とろけるような甘さとほろ苦さが口いっぱいに広がっておいしい。
「うまいか?」
「すごくおいしいです!」
「他のも食ってみな」
「はい!」
言われるままもう一粒口にする。
――その時の私は、なんの疑問ももたなかった。
「零点」
「……はい?」
「やっぱ基本がなってねえな」
(基本……?)
あ……あれ、なに体が……。
突然起こった体の異常。まさか。
「っ……毒、ですか……」
「外れ。即効性のある媚薬だよ」
「なん、で……」
「いいか?口にするもんは常に警戒しろ。それが上司であってもだ。まずは薦め方でおかしいと気づけ」
――無茶苦茶な。この縦社会では上司の命令は絶対ではないのか。
「身を持って勉強になったじゃねェか。それだけじゃ可哀想だからな。俺の教育方針はあの青鯖野郎と違って飴と鞭だ」
中也さんが妖艶な笑みを浮かべて近づいてくる。
媚薬が回った体では立ってられなくて、座り込む私に、手を差し出される。
最初に出会った時と同じように――。
「どうされたい?助けてやる」
同じように私は手を伸ばす。
(助けてほしい……)
そして、震える唇で必死に言葉を紡ぐ。
「あなたがほしいです……」
私の返答に何故か驚いたような顔をした中也さんは、やがてくっくっと喉で笑う。
「その口説き文句には普及点をやる」
だって、ただこの世界で、私がたった一つ欲しかったものだから。