ナマエはとある港町の酒場の娘だ。
気立てが良く、働き者の彼女は亭主の自慢の娘である。
素朴な美しい容姿も相まって、娘はきっと、素晴らしい男に見初められて幸せになるのだろうと信じて疑わなかった。
――この男が現れるまでは。
「つれねえ態度をされると、ますます燃えるんだがな」
酒が注がれたグラスを傾けながら。
続いて氷がぶつかるカランという音と、周囲の男たちの笑い声が響く。
「船長をフるとはなかなか見所ある姉ちゃんだな!」
「このロトゼタシアで、船長より顔も力も財力もある海の男はいねえぜ?」
彼女を熱心に口説く男は――大海賊と名が高い男であった。
名はカミュ。
海賊"青き狼"の若き船長。
まさかそんな男がこんな小さな港町に訪れるとは。
亭主はハラハラとしながら見守ることしかできない。
町を襲ったなどの噂は耳にしないが、所詮は海賊だ。何か揉め事が起きて、報復しないとも限らない。
「惚れた男でもいるのか?……いねえならそれはそれで結構」
娘であるナマエは、大物を前にしても毅然とした態度を取ってはいるが……。
「どうしたらオレのものになる?」
単刀直入。冗談のような口許とは裏腹に、眼帯に隠されてない片目がナマエを捉える。
その海のような瞳は真剣な眼差しだった。
これには彼女も困惑を隠せない。
しばし悩んだ後、口を開いた。
それは「ある宝を手に入れたらあなたのものになりましょう」という話だった。
昔読んだ異国のお伽噺の本のように。
「へぇ……その宝ってのは?」
今度は面白いというように片目が笑う。
宝は『七色の枝』というもの。
ロトゼタシアのシンボルともいえる大樹の枝という伝説の代物だ。
亭主は、娘があからさまに無理難題を吹っ掛けたのでハラハラしたが「いいぜ」カミュの返答は二つ返事のものであった。
「プロポーズの花束の代わりにちょうどいいな」
彼は不敵に笑う。
「期待して待っててくれ――」
その言葉を最後に彼は店を後にした。
ナマエは驚くやら、緊張の糸がほどけたやらで出て行ったドアの先をただ見つめる。
七色の枝なんて、噂程度の伝説の代物なのに――。
彼は手にする気満々であった。
コートを羽織り、自信に満ちたその姿が、何故かとても目に焼き付いた。
月日は流れ――その出来事が思い出になろうとしている頃。
ナマエは白いドレスに身を包んで、青く輝く海を眺めていた。
大きな町の豪家の息子と結婚が決まり、この景色も今日で見納めと――感傷深くある。
これが所謂マリッジブルーだろうか。
望んだものではなく、まるで外堀を埋められて決まった婚約だったからかも知れない。
とうとう、この日までカミュは現れなかった。
あれ以来、海賊として噂も聞かない。
伝説の代物を探すなんて無茶をして、彼の身に何かあったのではないかと、彼女はずっと心配して、後悔していた。
例えば、この綺麗な海を彼の隣で眺めたら。
自由に海原を一緒に旅をしたら。
自分は一体どんな感情を抱くのだろう。
……そんなことを考えてしまうのは、やはり自分はマリッジブルーなのかも知れない。
「――想像してた通り、よく似合っている」
海風に乗って、涼やかな声が彼女の耳に届いた。
驚き、振り返ると、そこには――
「ずいぶんと待たせちまったが、結婚式の手間が省けたってわけだ」
最後に見た姿とは変わらない、自信に満ちた海賊の姿。
ナマエは驚きに目を見開く。
目頭が熱くなって、涙が溢れそうなのは何故だろう。
カミュはナマエの前に片膝を着くと、懐から一本の美しい枝を取り出した。
神秘的に七色に輝くそれは、間違いなく伝説の"七色の枝"だと、彼女は分かった。
「お姫さま。お望みのものを手に入れました。どうかオレと結婚してください」
粗暴といえる海賊らしからぬ恭しい口調と仕草。
差し出された枝をナマエは受け取ろうとして、手が止まった。
脳裏に父の姿や小さなこの港町のことが過る。
この結婚が破談になったら――
「…事情は知っている。安心しろ。海賊が花嫁を奪ったとなりゃあ、そりゃあ不可抗力だ」
カミュはそう笑うと、有無を言わさずナマエを横抱きにする。
ちょうどそこで、式の準備は整ったと呼びに来た女性が悲鳴を上げた。
その声に続々と集まる人々。
そこにも新郎の姿も――。
「なっなんだ、お前は!?彼女をどうするつもりだ!?」
「あんたにはこいつは勿体ねえよ」
新郎に向かってカミュはニヤリと笑うと、すぅと息を吸い込み、その場に宣言するように。
「この花嫁は、海賊"青き狼"の船長であるオレが頂く!!」
唖然とする場で――ナマエの父と隣に並ぶ母だけが、何かを悟ったように、娘の晴れ姿とその光景を穏やかな顔で眺めていた。
「なっ……!?そいつを捕まえろ!」
新郎が叫ぶと、護衛の男たちが飛び出す。
カミュは後ろに下がると、そのままひょいっと崖から飛び降りた。
「「!?」」
ナマエは思わずカミュの首に手を回ししがみついた。
海の中に落ちたのではなく、カミュの足は小舟に着地。
反動で船が左右に大きく揺れる。
「おわっ……危ねーなぁ!いちいちかっこつけすぎなんだよアニキは!」
そこにはカミュに似た少女が乗っていた。
揺れが収まったところで、カミュはナマエを下ろす。
「いいからお前は船まで漕げ」
「へーへー、後でこの分の手間賃請求すんからな!」
二人のやりとりもだが、急展開にナマエは唖然としていると「オレの妹のマヤっつんだ。まあお前の妹にもなるわけだが、よろしく頼むぜ」そうカミュが笑いながら説明した。
声がくすぐったい。
気づけば至近距離で見つめあっている。
まだプロポーズの返事も何もしてないが、それより先に。
誓いのキスのように――カミュの唇が彼女の唇に触れた。
「…ったく。イチャつくなら二人の時にしろっての…」
マヤの小言も耳に入らない。
ナマエはやっと、今、自分の気持ちに気づいた。
「…ちゃんとこの口から返事を聞いてなかったな」
吐息が唇にかかる距離でもう一度カミュは言う。
今までよりずっと優しげな声で。
「あの日より、ずっと昔から好きだったんだ。オレと結婚してほしい」
その言葉に、幼い頃の記憶も甦る――……
『ナマエ、大きくなったらオレとけっこんしてくれ!』
『うんっじゃあ大人になったらむかえにきてね、カミュ』
今度こそ、ナマエは返事を口にした。
「私も、カミュのことがずっと好きだったの」
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