海賊は月夜に笑う

「――お。起きたか」

 そんな声が届いて、彼女はゆるりと首を動かす。

(………海賊?)

 鮮やかな青髪に、片目には黒いアイパッチ。
 貴族のようなコートを羽織っているが、その姿は映画で見た海賊を彷彿させた。

「起き上がられるか?」
「あ、はい……」

 ベッドの上で上半身を起こす。
 ここはどこだろう?と室内を見渡していると。

「ここは俺の船の一室だ」

 彼女の考えてることを察したように男は答えた。

「船……?」
「ああ、海賊船」
「海賊船……じゃあ、あなたはやっぱり海賊?」

 男は頷いて「俺の名はカミュだ」と名乗った。
 ぴんと来ないという彼女の顔にカミュは「結構名の知れた海賊なんだが…」と苦笑いする。

「…日本に海賊っていたんだ…」
「…?」

 そもそも何故、自分は海賊船の中にいるんだろう。
 このカミュと名乗った男は名前からして外国人。
 もしや自分は知らぬ間に拉致されたのか。

「お前、名は?」
「あ…ナマエです…」

 ナマエは反射的に自分の名前を名乗る。

 変わった名前だな…とカミュは不思議そうに顔をしかめた。
 外国人からしたら変わった名前かも知れない。
 それにしても……流暢な日本語。

「…で。なんでお前はあんな小島の海辺に倒れてたんだ?」
「小島?」
「たまたま俺らが通りかからなかったら、そのまま死んでたぜ」

 目の前の彼が何を言ってるかわからなかった。

「…小島ってどこの小島ですか?」
「ここは、ロトゼシアの東海辺りだな」

 ロトゼタシア……?聞いたことがない国の名だ。

「ええと、私は見ての通りの日本人で日本にいたと思うんですが……」

 いつの間に外国に出国したんだろう。
 きっと不法入国だ。いや、そもそもこの人が拉致したのではないのだろうか?

「ニホン?世界の海を股にかけてきた俺も聞いたことねえ国だな……」

 今度はカミュが首を傾げる番だった。

「「………………………」」

 二人は顔を見合わせたまま、沈黙した。
 一つ一つ、確認していき、彼女が出した結論は。


「カミュさん。どうやら、私。別の世界からトリップして来たみたいです」


 ――んな馬鹿な。

 カミュは最初は彼女――ナマエは、頭を打って記憶が混乱してるんじゃないかと思ったが――彼女を見ていたらその話を信じられるような気がした。

 見たことない服装に、何より醸し出す雰囲気が。
 この世界と異質な存在に感じたからだ。


「あの時――水溜まりに落ちたんです」
「水溜まり?」

 どしゃ降りの雨が降っていて、急いでいたナマエは足場の水溜まりがあるのに気づかず、足を踏み出してしまった。

 あっと思った時にはもう遅い。

 濡れることを覚悟したナマエの足は、地面につかずにそのまま深く落ちていく――。

「てっきりマンホールの蓋が開いていて、その中に落ちたのだと思いました」

 マンホールが何か分からないが、とりあえず水溜まりは底無し沼のように深く、溺れたと思ったらしい。

「私は死んだのでしょうか?」
「いや、俺に聞かれても知らねえぞ」
「だとしたら…トリップは語弊になりますね。この場合、異世界転生です」
「……。まあ、どっちでも良いが」

 どうも噛み合わない会話からか、ペースが乱される。

「ナマエっつたな。お前、これからどうする気だ」
「そうですね……。とりあえず、トリップしたと希望を持って元の世界に帰る道を探そうと思います」

 そう言ってナマエは立ち上がる。
 カミュは思いっきり眉を潜めた。

「カミュさん、助けてくれてありがとうございました。本当はちゃんとお礼をしたいけど……すみません、一文無しで」

 鞄を持っていたはずなのに、身一つでトリップして来てしまったらしい。
 まあ、お金を持っていたとしても異世界のここで使えるか分からないが。


「――待て」

 どこに行くのか、立ち去ろうとした彼女をカミュは腕を掴んで引き留めた。

 どうやら倒れていた小島に、何か手がかりがないか探しに行く気だったらしい。

「外は魔物が出る。戦えるのか?」
「魔物……」

 ナマエは驚いたように目をぱちぱちさせた。
 武器も持ってないし、どう見ても戦えるようには見えない。

「それは…襲ってきますか」
「魔物だからな」
「瞬殺される自信があります」
「……だろうな」

 まるで、世間知らずのお嬢様だ。

 やれやれ、とんでもねえものを拾っちまったと――カミュは短くため息を吐く。


「帰り道が見つかるまでこの船に置いてやる。とりあえず、今は大人しくしとけ」


 ――こうして。


 世界の海を股にかける大海賊の船に、異世界からやって来たトリップ娘が加わった。



 ***


 
「――ってなわけだ。マヤ、こいつの面倒を見てやれ」
「何が「ってなわけだ」だ!全然わけわかんねーよ!おれに押し付けやがって」
「こいつはオレの妹だ。口は悪いが面倒見は良いから安心しろ」
「妹さん、カミュさんにそっくりですね」
「「あ?」」

 ナマエの何気無い一言は同時に二人の反感を買った。何故だろう。褒めたつもりだったが。

 最初は不本意そうなマヤだったが「マヤさん。ナマエっていいます。どこの馬の骨と分からない者ですが、よろしくお願いします」と、彼女が丁寧に挨拶すれば。

「ま、まあ…分かんないことがあったらおれに聞きなよ」

 と、態度を軟化させた。
 この船の船長の妹といえ、幼いマヤは周りから下っぱ扱いされていたからだ。
 マヤさん。悪くねえ。

「事情がなんにせよ、この船に乗るなら働く者は食うべからずだぜ!まあ、あんたは雑用係だな」
「もちろんです。何でもやります!」

 そうやる気満々で意気込むナマエだったが……トリップ娘にとって、船での生活は困難なものだった。

 この世界の常識ももちらん分からなければ、ごく普通に育ったナマエは船についての知識もない。

「あんた、本当になんも知らないんだな……」
「面目ないです……」

 呆れるマヤの言葉にさすがの彼女も落ち込む。
 だが、落ち込んでばかりもいられない。

「じゃあ、嬢ちゃん。このジャガイモの皮を向いてくれ」
「ピューラーってありますか?」
「ピューラー?なんじゃそりゃ。包丁でこうやって皮をむくんだよ」

 何故、ジャガイモはあるのにピューラーはないのか。

「私がむいたら中身がなくなると思います」
「…………はあ?」

 料理に関してナマエはポンコツであった。

 どうやら、自分は神様に特にチート能力を与えられずトリップして来たらしい。
 ……嘆いても仕方ない。


「あの娘、何もできねえな……」
「船長もなんで船に乗せたのか」
「どっかの箱入りお嬢様でも拐って来たんじゃねえか?」


 そんな不満の声は、ナマエの耳にも届いていた。
 ほんの少し、泣いた夜もあった。
 凡人はどこにいっても凡人なのだ。

 でも、ダメな人間はダメな人間なりに生き抜くしかない。

「――よしっ!」

 今日も彼女は自分に活を入れて働く。
 自分にできることをやって、皆に教えをもらって、できることを増やしていく。


「…………へぇ」

 誰かが見ている見ていない関係なく。
 けれど、その様子をカミュは見ていた。
 面倒はマヤに任せていたが、ちゃんと様子を伺っていたのだ。

 ――やがて。ひた向きに頑張る姿は、周囲の評価を変えさせた。


「嬢ちゃん、これがこの間言ってたホカホカストーンだ。夜は冷えるだろ?これを布に包んで足元に入れりゃあいい」
「あったかいです!ありがとうございます。湯たんぽみたい」
「ほら、ナマエ。サマディー地方のサンドフルーツだぜ。食べてみろよ」
「…甘くておいしいです!パイナップルとマンゴーの間みたいな味がする」


 数ヵ月も過ぎると、ナマエは武骨な海の男たちに受け入れられていた。



「――すっかりこの船にも馴染んだようだな、ナマエ」
「あ、カミュさん」

 月夜の甲板で、スライムつむりと戯れている彼女に声をかけたのはカミュだった。

「皆さん、良い人たちですから……。さすがカミュさんの船の人たちですね」
 
 そりゃあどういう意味だとカミュが笑うと「拾われたのがカミュさんで良かったという意味です」と、若干ずれた答えをナマエは返す。


 ――拾われたのがオレで良かった…か。


「…今度、ソルティコという町に立ち寄る。綺麗な港町だ。一緒に連れてってやるよ」

 その言葉に、初めて町に降り立つとナマエは胸を踊らせた。
 嬉しそうな顔にカミュも柔らかく微笑する。
 
「最近は武器の扱いも教えてもらってるそうじゃねえか」
「はい。カミュさん、私……魔物と戦えるようになったら、一人立ちしようと考えてます」
「……は?」

 一人立ち?唐突な告白に、カミュはすっとんきょんな声を上げた。

「いつまでも皆さんのお世話になるわけにはいかないし……。このままここで暮らしてたら、別れが来た時に辛くなるから」

 そう言ったナマエの横顔は、寂しさが見えつつも覚悟を決めた顔。

 儚いとも、凛々しいとも、美しいとも言えよう。

 月明かりに照らされたその横顔に目を奪われると同時に――

 カミュは憤りを感じていた。

 あんなに楽しそうにしていたのに、帰ることを考えていたのか。

 自分の側から離れようとするのか。

 そんなことは許さない――。

 カミュはこの時、自分が目の前のナマエに特別な感情を抱いていることに気づいた。

 驚きつつも納得する自分がいる。
 そして、気づいてしまったらカミュが取る行動は一つだ。


「ナマエ…危険なのは魔物だけじゃねえ。今、お前を船から降ろしたら船員たちにオレが怒られる。世話になることは気にすんな。まずは帰る手がかり、だろ?」

 衝動をぐっと抑えて、カミュは論すように優しく彼女に言った。
 ナマエは納得したのか「カミュさん、ありがとう」と微笑む。


 彼女が帰る手がかりはこの世界にあるのだろうか。
 まずは、それを探しだして――握り潰さなければ。


(――どこにも帰さねえ。誰にも渡しもしねえ)


「あ……」

 カミュのただならぬオーラを感じ取ってか、スライムつむりはナマエの手から慌ててジャンプして、海へ逃げて行く。

「なあ、お前の世界の海賊はどんな存在なんだ?」
「私の世界の海賊は……」


 ――可哀想に。拾われたのがオレでなければ、元の世界へ帰れたのかも知れないのに。

 こんな悪い海賊に惚れられたばかりに。


「ふぅん。オレたちの世界の海賊もそんなに変わらないぜ。特にオレは、欲しいものは必ず手に入れるんだ――」


 月明かりの下、海賊は楽しげな笑みを浮かべた。



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