流浪の旅芸人、シルビア。
ド派手に装飾された愛馬、マーガレット号に乗って、彼は次の町を目指していた。
その道中、ある娘との出会いを果たす――。
「ちょっとアナタたち。よってたかって一人の女の子に何をしているのかしら?」
シルビアは馬から颯爽と降りると、武骨な男たちに言った。
「ああん?なんだテメェ」
男たちは娘からシルビアに意識を向ける。
ゴロツキ集団――全身からそう自己紹介をしている彼ら。
「アタシは通りすがりのただの旅芸人よ。でも、この状況を見過ごすわけにはいかないわ」
「変なしゃべり方しやがって!」
「こいつオカマかよ!」
「アニキ!やっちまいましょう!」
意気込むゴロツキたちにシルビアはやれやれとため息を吐く。
「しょうがないわね。いつもは穏便に済ますのだけど、お仕置きが必要かしら?」
そう言ってシルビアが手にするのは剣……ではなく、鞭だ。
空気を切る音が響いたと思えば、男たちは全員、あっという間にその場に伏せていた。
「……っ!」
驚きにぽかんとする娘に、優しく微笑み、話しかけるシルビア。
「大丈夫?怪我はないかしら」
「あ…はい、助けていただきありがとうございます」
フードをずらすと、可憐な顔立ちが現れた。
彼女は上品に微笑してお礼を言う。
「貴女みたいな可憐なお嬢さんが一人旅なんて危ないわよ」
「そう…ですよね……あの、それで……貴方にお願いがあります…!」
「お願い?」
たった今、出会ったばかりで、お願いとは一体なんだろうか。
彼女の真剣さに、シルビアは不思議そうに目を瞬きした。
彼の長い睫毛が飛んでいきそうだ。
「お金ならちゃんと払います。どうか私の用心棒になってくれませんか」
「用心棒、ねえ」
「この港町までで構いません」
彼女は地図を取り出し、白魚のような指で示す。
「あら、結構距離があるわね。さっきのこともあるし、確かにここまでお嬢さんが一人で旅するのは心配ね」
「なら……!」
「でも……今初めて会ったばかりのアタシを信用していいのかしら?本当は悪い人かも知れないわよ」
シルビアの言葉に彼女はくすりと笑って答える。
「自分から疑われるようなことを言う人に悪い人はいません。何より貴方は先ほど見ず知らずの私を助けてくださったじゃありませんか。あのまま通り過ぎても良かったはずです」
試すような言い方をしたシルビアだったが、毅然として答える彼女に少し面食らった。
……どうやら、"タダのお嬢様"ではないようだ。
「これはこれは、大変失礼しました」
シルビアは畏まるように腰を曲げ、執事のように礼をする。
「アタシでよければ、目的地までの用心棒を務めさせていただくわ。もちろん料金はきっちり頂くけど」
「ありがとうございます!」
彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「アタシはシルビア。風が吹くまま気の向くまま、旅芸人をしてるの」
「旅芸人…!素敵ですね。私の名前は――ナマエです」
お互い自己紹介をする二人。
ナマエと名乗った彼女は、それ以外の旅の目的も何も語らなかったが、シルビアは構わなかった。
言いたくないことは誰にでもある。
ましてや彼女がワケありなのは人目で分かった。
「さあ、ナマエちゃん。お手を。乗馬はできるのかしら?」
「ええ、乗れます」
先にマーガレット号に跨がったシルビアが手を差し出す。
ナマエはその手を掴んで、その後ろに乗った。
シルビアの手は大きく、その手の平は固く――女性らしい言葉遣いや仕草とは反対に、男らしさと頼もしさを感じた。
「あの、最初に確認してもいいでしょうか」
「何かしら?」
「シルビアさんは女性ですか、男性ですか」
直球の質問にシルビアは思わず噴き出しそうになった。
大体、皆口には出さずに気になる素振りを見せるだけなのだが。
「こんなはっきり聞かれたのは初めてだわん」
そして、笑みがこぼれる。
嫌みなどは見えず、純粋な質問だと分かっているので、シルビアに嫌な気はしない。
「ごめんなさい!女性としてか男性としてか、どのように接していいのかと……」
どうやら彼女は真面目な性格なようだ。
真剣に悩んでいるんだと、背中越しに伝わる。
「どっちでもいいわ。女でも男でも、ナマエちゃんの好きなように接して」
「…はあ」
シルビアが女性のような口調や仕草をしているのは、亡き母のような旅芸人になりたいたという憧れがきっかけだった。
別に自分の生まれ持った性を否定したいというわけではないし、他者からどう思われようとも彼は気にしない。
自分は自分と揺るぎない意思を持っているからだ。
「じゃあ、シルビアさんとして接します」
「ウフッ…いいわね、それ!」
風を切りながらマーガレット号は走る。
この辺りは平坦な道が続くので、シルビアはぐっと馬の腹に脚を押し付け、合図を送った。
「ここからもっと飛ばすわよ〜!ほら、もっとちゃんとしがみついて」
「……っ」
遠慮がちにしがみついているナマエの手を、シルビアは片手で掴むと、自身の腰に抱きつかせるようにぐっと引き寄せる。
密着する二人の体。
「あ、あの、シルビアさん……」
「ウフフ…照れてるの?可愛いわね。こういう時はアタシを女だと思えばいいのよ」
「……それは、ズルいです……」
不服そうにそう小さく呟いた彼女に、シルビアはご機嫌に笑顔を浮かべた。
最初の町にたどり着くと、マーガレット号を馬屋に預け、先に宿屋で部屋を取ることにした。
そこで、今度はシルビアが戸惑うこととなる――
「申し訳ございません。ただ今、お部屋が一部屋しかご用意がなくて……」
宿屋の受け付けの言葉に、あらまと呟いてから、シルビアはどうしようかしらと考える。
旅の中でキャンプや限られた宿屋で男女混合に寝泊まりするのは珍しいことではない。
だが、先ほど出会ったばかりの彼女と同じ部屋で寝泊まりするのは、色々とまずい気がした。
彼女もさすがに抵抗があるのでは…――
「構いません。そちらのお部屋でお願いします」
シルビアの横からナマエはそう受け付けに言ってのけた。
彼が慌てるのをよそに、あっさり鍵を受け取り。
「だって、シルビアさんは女性でしょう?なら、何も問題ないわ」
してやったりと綺麗に笑うナマエに、シルビアはまいったわと白旗を上げて降参した。
少し休む?というシルビアの言葉に観光したいとナマエは答えて、二人は町に出る。
楽しげに町を見回す彼女を、楽しそうに見るシルビア。
露店の帽子を被り「似合うかしら?」とポーズを取るシルビアに「とっても!」とナマエは笑顔で答え。
「大きなピアス…」と耳に当てる彼女に「それは武器にもなるキラーピアスね。ナマエちゃんにはこっちの花をモチーフにしたピアスの方が似合うわ」と、シルビアはその耳に当てる。
この町の特産物が売ってる露店を二人は見て回った。
ナマエの耳にはシルビアがすすめてくれた花のピアスが咲いている。
「――さあさ!よってらっしゃい見てらっしゃい!楽しい大道芸が始まるよー!」
「あらっ面白そうね!行ってみましょう!」
シルビアは自然にナマエの手をとって、人が賑わう一角に向かった。
色とりどりのたくさんの玉を、器用に宙に投げてジャグリングしてる大道芸人だ。
「たくさんの拍手、ありがとうございやしたー!さーて、次はお客さんにも飛び入り参加してもらいましょうか!」
「ハイハ〜イ!アタシに参加させて!」
一番に手を上げてアピールするシルビア。背の高さもあって、目立つその姿に観客たちの目が一同に集まる。
「おっやる気満々の兄ちゃ…姉ちゃん?まあどっちでもいいや!じゃあお客さん、このボールをあいつに投げてくれ!え、これ以上ボールが増えて大丈夫かって?ド素人がボールを投げて失敗しないかって?大丈夫大丈夫!失敗したら優しい観客の皆さんは見なかったことにしてくれるって!」
口が上手い大道芸人にドッとその場に笑い声が起こった。
ナマエも一緒になって笑う。
シルビアはボールを受け取ると、ジャグリングしている男にボールを投げようとして――
「あらあら、どうしましょう。ボールが増えちゃったわ」
それは二つ三つと彼の手の中で増え、隣の男と同様に、シルビアもジャグリングをし始めた。
おぉ〜〜!と観客から驚きと歓声が上がり、大道芸人たちはシルビアの馴れた手つきに目を丸くする。
「どれがもらったボールだったかしら?ニセモノはナイフに変えちゃいましょう!」
ボールを高く上げて、シルビアが指をぱちんと指を鳴らせば、ボールは一つを残してすべてナイフに。
「危ない…!」
刃を下に落ちてくるナイフに、思わずナマエが声を上げ、観客が息を呑む。
シルビアは動じることなく、今度はナイフと一つのボールを交えてジャグリングをした。
拍手喝采――大道芸人たちも彼に拍手を送る。
最後に、ナイフを片手に集め、不意にボールをジャグリングをしている男に投げたシルビア。
「!?おわわっ……」
男は慌てながら、なんとかシルビアが投げたボールを交えたジャグリングを成功させた。
再び、拍手と歓声がその場に飛び交った。
「あんた、もしかして人気の流浪の旅芸人、シルビアさんかい!?」
「ウフフ♪ショーを邪魔しちゃってごめんなさいね」
「いやいや!おかげで大盛況だったよ!」
シルビアは笑顔で手を振り、彼女の元へと戻る。
「どうだったかしら、ナマエちゃん。アタシのショーは?」
「途中ハラハラしたけど、すごく楽しかった!シルビアさんは有名な旅芸人だったのね」
町の観光を終える頃、すっかり日も落ち、二人は酒場に向かった。
「シルビアさんはお酒に強そうね」
「ふふ、ご想像にお任せするわ」
二人は乾杯とグラスをかちんと軽く合わせる。
すっかり打ち解け、おいしく食事をしながら他愛ない会話をした。
「――ねえ、踊らない?」
酒も入って、浮き立つ心のまま、シルビアはナマエをダンスに誘う。
バックには音楽家が奏でる楽しげな音楽。
「私、踊りは苦手で……」
「大丈夫よ。…アタシに身をまかせて」
その手を取って引き寄せると、囁くようにシルビアはナマエに言う。
彼女の頬がほんのり蒸気したのは酒のせいだけじゃないだろう。
軽快な音楽に合わせて、二人はステップを踏み、回る。
二人の笑顔と笑い声が、絶えずその場に響いた。
――疲れもあったのだろう。酒に酔い眠ってしまったナマエを横抱きにし、宿屋の部屋に帰ってきたシルビア。
二つ並ぶ、ベッドの片方に彼女を寝かせる。
顔にかかった髪を優しく払いのけると、すやすやと健やかな寝顔。
「…アナタはいったい誰なのかしらね…」
眠るナマエに向かって、シルビアは静かに尋ねた。
「――……ナマエちゃん、起きて。ウフフ、まだ眠そうだけど、朝よ」
ナマエは今朝はシルビアの声で目が覚めた。
途中で自分は眠ってしまったらしく、ベッドにたどり着いた記憶がない。
「シルビアさんが運んでくれたのね……ありがとう」
「ふふ、気にしないで。それより朝食の前にシャワーを浴びてくるといいわ」
自分が昨日はシャワーも浴びずに寝てしまったと気づき、恥ずかしさにナマエはシャワー室へと急いだ。
朝食を取って、早々に二人はこの町を出発する――。
この日もマーガレット号は二人を乗せて、元気良く走った。
途中、景色の良い原っぱで二人は休憩する。
「綺麗な花畑……!こんな美しい景色が世界にはあるのね」
咲き誇る花たちを見ながら、深呼吸をするナマエ。
「ナマエちゃんは花は好きかしら?」
「ええ、とても」
「じゃあ、これをプレゼント」
そう笑顔で答えた彼女の目の前に、手を差し出すシルビア。
何もないその手を不思議そうに見つめていると、ポンッと突然赤い薔薇が現れた。
「すごい……まるで魔法みたい!」
「髪につけてあげる。きっと似合うわ」
そう言ってシルビアはナマエの髪に、髪飾りのように薔薇をつけた。
「……似合う、かな?」
「ええ、まるで花の妖精みたいに可愛いわ」
「褒めすぎね、シルビアさん……」
恥ずかしそうに、けれど嬉しそうにナマエははにかんだ。
――その日は、キャンプ地での寝泊まりになった。
シルビアは慣れてなさそうなナマエに気遣う言葉をかけたが「憧れてたの」と、彼女は笑顔でなんてことないというように答えた。
「……すごくおいしい。それに、なんだかほっとする味ね」
「お口にあってよかったわ。少しの間一緒に旅をしていたサーカス団の子たちから教えてもらった秘伝のレシピなの」
夕飯はシルビアのお手製の料理だ。
彼の旅の話を聞きながら食べる。
「シルビアさんの旅の話はどれもすごく楽しいね」
「アタシの夢はね、たくさんの人たちを笑顔にすることなの。だからアタシ自身も笑顔でいなきゃ」
「皆を笑顔に……」
「ええ」
シルビアは自身の夢を詳しくナマエに話した。
いつか大きなホールでショーを行い、世界中の人々を笑顔にしたい――と。
「素敵な夢……きっとシルビアさんだったら叶えられるよ。私……シルビアさんと出会って、たくさん笑ってるって気づいたの」
「じゃあこれからもたくさん一緒に笑いましょう。…アタシはナマエちゃんの笑顔が好きよ」
「……ありがとう」
ナマエはそう微笑んで答えたのに、感情はまったく違うとシルビアは気づいた。
その裏に見え隠れした悲しみ。
まるで、叶わない夢を見るような目だった。
「――さあ、夜更かしはお肌の大敵よ。おやすみなさい」
夜も深まり、ナマエに寝袋に入るように促すシルビア。
「シルビアさんは……?こういう時は交代で番をすればいいのかしら……」
「アタシのことはいいのよ。ナマエちゃんの用心棒なんだから」
「でも…、寝不足は一番の美容の大敵でしょ」
「そういう時は、アタシを男だと思えばいいわ。レディーファーストよ」
「……本当にずるい人……」
顔を近づけて言ったシルビアに、高鳴る心臓の音。
なるべく意識しないように――ナマエは寝袋に体を滑り込ませる。
意識をしたら眠れなくなるだろう。
ほら――目を閉じて。
横になったナマエに優しく声をかけ、シルビアはその軟らかな髪を撫でる。
しばらくして目を閉じたナマエから、穏やかな寝息が聞こえてきた。
それを確認すると、シルビアは彼女が深い眠りに入るように『ゆめみの花』を近くに置く。
これから起きる事で、起こさぬように。
「――出てきなさい。いるのは分かってるわ」
シルビアは腰の剣をいつでも抜けるように、手を添え。暗闇の向こうを凝視するように言った。
「それとも、アタシの方から出向いた方がいいかしら?」
「……………」
問いかけに返答はない。
「…!」
代わりに小型のナイフが飛んできて、シルビアは剣を素早く抜いて、弾き返す。
暗い森の中にカキンと金属音が響いた。
「……あら、姿を現す気になったの?」
影が動くように姿を現したのは、黒ずくめの間者のような者だった。
「その娘をこちらに渡してもらおう」
ぐるぐるに巻いた布の下から男は静かにシルビアに言う。
「い・や・よ。……て、言ったら?」
「……力づくで奪うだけ」
殺気と共に剣を引き抜く男。
「そう。――やれるものならやってみなさいよ」
シルビアは低く言って、男に向かって駆け出した。
剣と剣がぶつかり、再び何度も金属音がその場に響く。
シルビアは相手の太刀筋を見極め、受け流せば、切っ先が男の腕を掠めた。
「ぐっ……」
一緒に切れた黒い布も繊維となって宙を飛ぶ。
「その剣の腕前……只者ではない……。何者だ……?」
「アタシはただの旅芸人で、あの子の用心棒よ」
「用心棒……?」
「そっちこそ何者なの?見た目は暗殺者みたいだけど――」
男の剣が宙を飛び、地面に刺さった。
シルビアが弾き返したからだ。
そのままシルビアは、自身の剣を男の喉元に突きつける。
「……俺は雇われの身だ。その娘を探しだし、連れ戻して来いと命令されただけだ」
「…ふぅん。誰に?」
「……いずれ、分かる」
男はその言葉を最後に、後ろに飛び引き、闇へと消えていった。
「………………」
シルビアは深追いはしなかった。
どちらにせよ、眠るナマエの近くから離れるわけにはいかない。
――そして、世が明けた。
「おはよう。昨日はよく眠れたかしら?」
シルビアは何事もなかったように、ナマエに振る舞った。
「――いよいよ、港町ね。港町ってことは船に乗るのかしら?」
マーガレット号に乗って、走りながらシルビアは、自身の背中に今ではしっかり抱きつくナマエに尋ねる。
「……この大陸を離れたいの」
「…理由を聞いても?」
「……………」
「こんなアタシじゃナマエちゃんの力になれない?」
「そんなことは……!」
しばらくの沈黙。
「……会いたい人がいるの。…私の母」
「お母様……?」
「……シルビアさん、私は……!」
意を決してナマエが何かを言いかけたその時――
「いたぞ!!」
「あそこだ!!」
複数の蹄の音が周囲に響く。
「貴様、止まれ!!」
「…!」
兵士を乗せた馬たちが、加速し、シルビアたちを左右から取り囲んだ。
「――私の旅も、ここで終わり」
ナマエは額をシルビアの背中につけて、静かに呟く。
「……シルビアさん、ここまでありがとう。兵士に従って…私を下ろして」
貴方ともっと一緒にいたかった。旅をしたかった――悲しげなその声に、シルビアはマーガレット号に合図を送った。
ぐんっと馬は加速する。
この数を振り切るつもりだ――
「どうして…っ」
「それはナマエちゃんの本心じゃないでしょ!?アナタを港町まで送り届けるのが契約のはずよ!大丈夫、アタシが必ず――!」
直後、シュンと矢が放たれて「マーガレット号ッ!」ナマエの悲鳴と同時にマーガレット号が嘶いた。
シルビアは手綱を引き、急停止される。
見ると、マーガレット号の尻に矢が。
「酷いっ……!」
「貴女が悪いのですよ――名目だけの姫よ。その矢には毒が塗られてます。貴女がこれ以上我々の手を煩わせず大人しく従うなら、この解毒剤を渡しましょう」
「なんて下劣な手を……!」
シルビアは彼らをキッと睨みつけた。
彼女が選ぶ選択肢は一つしかない。
「シルビアさん…マーガレット号…本当にごめんなさい。私のせいで傷つけて……っ」
ポロポロと涙を溢しながら、頭を下げるナマエに「貴女のせいじゃないわ…!」とシルビアは間髪入れずに否定した。
「騎士長、この男。誘拐犯として捕らえなくていいのですか?」
「ッ!この方は関係ありません!勝手に私が護衛をお願いしたいだけです!」
弁解するナマエの言葉を信じたわけではなく「姫を連れて帰れればよい」と、面倒くさそうに呟く騎士長。
「金輪際、家出娘などという庶民の真似事はしないでいただきたい。下等な村育ちとはいえ、今は王族の末端なのですから」
「………………」
「さあ、王がお怒りです。帰りますよ」
「……解毒剤を」
感情の見えない声で言ったナマエの言葉に「ああ、そうでしたね」と思い出したように騎士長はぽいっとシルビアに小瓶を投げた。
シルビアは彼を睨みつけたまま、その小瓶を受け取った。
最後に――ナマエは振り返って。
涙で濡れた顔で、精一杯の作った笑顔をシルビアに向ける。
――シルビアが一人、目的地であった港町に着いた頃には、もうすっかり夜になっていた。
解毒剤とシルビアの覚えている呪文のリホイミで、マーガレット号の矢の傷は回復したが、あまり負担をかけないよう引馬で来たからだ。
大きな港町なので、夜でも明るい。
その中でも一際に目立つ白と赤のテントを見つけ――シルビアはマーガレット号を引き連れてそちらに向かった。
「……ん!!お前!シルビアじゃないか!こんな所で会うなんてな!」
「ハァイ。お元気だったかしら?」
団員の一人が声をかけると、騒ぎを聞き付け、次々とテントの中で派手な格好をした者たちが現れた。
「おぉ、久しぶりじゃないか!」
「あらぁ、シルビアちゃん!ますます綺麗になったんじゃないの!え、あたしも綺麗になったって?やーねーこんなオバチャンに向かって!」
「ここで会ったら100年目!もちろんまた俺らのショーに出てくれるよな?」
彼らは、一時期一緒に旅をしていた流浪のサーカス団だ。
「アナタたちと一緒にショーを出たいのは山々だけど……やらなくちゃいけないことがあるの。馬を一頭借りられないかしら?」
マーガレット号は怪我をしたので、預かってほしいと続けて言う。
「お姫様を悪い王国から助けに行ってくるわ――」
サーカス団に借りた黒鹿毛の馬に乗った彼は、まるで騎士のような顔だった。
「ハッ――!」
合図を送ると、そのまま馬は駆け出す。
目指すはこの大陸にある王国。
旅をするシルビアはあの王国のよからぬ噂を耳にしていた。
昔、王の子を身籠ってしまい、国を追放されたメイドがいた。
だが、その娘が美しく育ったと知ると、政略結婚のために強引に母親から引き離し、国の王女にしたという――。
立ち振る舞いからどこかのご令嬢ではとシルビアは考えてはいたが、まさかその王女がナマエだったとは。
(アナタの笑顔を、誰にも奪わせたりはしないわ)
馬を走らせ――シルビアが王国にたどり着いたのは、三日目の夜であった。
――欠けた月が空に浮かぶ頃、婚約の日まで幽閉の身となったナマエにとって、唯一の自由と呼べる場所がこの窓から見える景色であった。
シルビアさん――彼のことを思い出して胸が痛む。
マーガレット号は大丈夫だったかしら……。
この空の下、今も彼らは旅を続けているのだろうか。
きっと、あの人にはもう二度と会えないだろう。
「こんな思いをするのなら……出会わなければ良かったのかな……。……お母さん……」
――その時、窓の隙間からひらりと赤い花びらが入ってきて、差し出すナマエの手のひらに落ちた。
薔薇の花……?この辺りには薔薇は咲いては……
彼女ははっとして、慌てて両開きの窓を開ければ――。
「……ナマエちゃんには、そんな顔は似合わないわ」
眼下に、赤い薔薇を持って立つシルビアの姿が目に飛び込む。
「……っ!」――シルビアさん……っ!
「アタシの夢は世界中の人々を笑顔にすることだけど、惚れた女の子さえ笑顔にできないなんてそんなの無理な話じゃない?」
シルビアは下から見上げ、ナマエに向かって言う。
深呼吸をして、昔の自分を思い出す。
旅芸人になっても、彼の中から消えなかった原点。
いや、むしろ自分らしい"それ"を追い求めて彼は旅芸人になった。
「――僕は、アナタが好きだ。アナタの笑顔が……。この胸に掲げた騎士道にかけて、その笑顔を守りたい」
一斉一代のシルビアの告白に、ナマエは気持ちと共に溢れた涙を拭い。
「私も……あなたのことが好きです。シルビアさん。あなたといると自然と笑顔になれるの。もっと、あなたと旅をしたい…!」
「……待ってて、今そっちに行くわ」
彼女の返事を聞いて、迷いはなくなったシルビアは、腰のムチに手を伸ば――
「!?えっちょっ……!?」
その目に、窓の縁に足をかけ、飛び降りるナマエの姿が映った。
慌ててシルビアは両手を拡げ、落ちるナマエを受け止める。
「…アタシのお姫様はお転婆ね」
「シルビアさんなら絶対に受け止めてくれるってわかってたから……」
見つめ合う二人は、やがて引き寄せられるように自然と唇が合わさった。
「もう離さない――」
愛おしく、甘く囁くシルビアの声。
再び口付けを交わそうとする二人の唇は、
「貴様……!またしても……!」
触れる寸前で止まる。
「……せっかく良いムードだったのに。とんだ邪魔が入ったわね」
集まる兵士たちを呆れて見ながら、シルビアはナマエを地面に降ろした。
「…向こうに馬を止めてあるの。先に乗っててちょうだい」
「っシルビアさんは……」
「大丈夫。彼らをやっつけてから行くわ。――二人で愛の逃避行をしましょ!」
最後の言葉はパチンとウィンクをしながら言い、シルビアは腰の剣を抜くと、兵士たちの群れに飛び込んだ。
彼は兵士たちの攻撃を身軽に避け、素早く隙をついて斬り倒していく。
「キリがないわね……。そこのアナタ、ちょっと借りるわよ」
「え!?うわっ」
シルビアは兵士から剣を奪い、二本の剣で次々と兵士たちを倒していった。
「二刀流だと……!?」
「つ、強い……!」
「貴様、何者だ……!?」
「アタシはただの旅芸人で、あの子の用心棒……いいえ。今は愛の騎士ね!」
ナマエが待機していた馬に乗り、シルビアの元へ向かうと、華麗に兵士を次々と倒す姿がそこにはあった。
兵士を上回る剣の技術。彼には旅芸人以外にも、もう一つの"顔"があるようだ。
「シルビアさんっ!」
「――じゃあね、兵士ちゃんたち!王様に伝えて。お姫様は、アタシがもらっていくって」
最後にアデュ〜と、シルビアはナマエの後ろに飛び乗った。
馬は二人を乗せて勢いよく走り出す。
「シルビアさん、マーガレット号は…」
心配そうに聞く彼女に「大丈夫よ」と答えるシルビア。
「傷の手当てもしたし、念のため預けてあるの――アタシたちの心強い味方に」
「味方……?」
「町に着いたら紹介するわね。きっとナマエちゃんも気に入ると思うわ。やり過ごしたら船に乗って、ナマエちゃんの故郷に行きましょう。きっと、お母様もアナタに会いたがってるわ」
「……っありがとう……シルビアさん」
「その後はどこに行きましょうか――。どこへだってアタシが連れてってあげる」
――二人を乗せた馬は闇夜を駆け抜け。
やがて訪れた日の出は、朝日より眩しい二人の笑顔を照らした。
愛し合う二人の旅は、始まったばかりだ。
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