「っ、バカな……!」
「勝負あったな……ホメロス!」
苦痛に表情を歪め、片膝を地面についたホメロスにファーリスは言った。
肩で息をし、彼の方がボロボロだが、仲間のサポートもあり、なんとかファーリスはホメロスに一撃を食らわせた。
「グッ……この私に膝をつかせるとは……」
ホメロスは悔しげにファーリスを見上げた。最初はいかにも弱そうなポンコツ男だったのが……この成長スピード。やはり勇者だからだろうか。
(さらなる成長を遂げ、その刃が"あの方"に伸びる前にヤツを始末せねば……!)
そんなことをホメロスが考えているとは露知らず、ファーリスは「カミュ無事でよかった!本当によかった……!」と仲間の元に向かう。
「悪魔の子、ファーリスとその一味め!よくもホメロスさまを!」
「「!」」
一難去ったが、また一難が彼らに降りかかる。
捜索をしていた兵士たちが戻って来たのだ。
「イレブン王子は見張りの兵士を引きつけてくれたんだよな……?」
「うんっ……でも王子の姿が見当たらない……!」
カミュの問いに、ナマエは辺りを見渡しながら答えた。
王子は無事だろうか――。
皆が王子の身を案じる間に、兵士たちは彼らを追い詰めていく。
「……私を倒しても何も変わらぬ。貴様らはここで捕らわれる運命なのだ!」
「もう!どんだけ兵士たちを連れて来てるのよ!」
「お姉さま、このままでは後ろは海ですわ……!」
彼らの背後に広がるのは暗い海。
落ちたら二度と這い上がって来れないように見えて、セーニャはぶるりと背筋を震わせた。
「戦うしか……!」
意を決して再び剣を握り締めるファーリス――だったが。
「みんな、安心して!もう大丈夫よ!」
シルビアの明るい声がその場に響いた。響いたと思えば、続けて彼は「アデュー」と後ろの柵を飛び越えてしまう。無駄に華麗だ。
「はっはっは!ここで仲間に逃げられるとはな。ファーリスよ、貴様の仲間など所詮はその程度の繋がりだったということ」
愉快そうにホメロスは声を上げて笑い、勝ち誇った表情で彼らを見る。
「ずいぶん手間を取らされたが、今宵のショーもここでおしまいだ。ここでおとなしく私に捕まるか、海に落ちてサメのエサになるか……。今、ここで選ぶがいい!」
「ホ……ホメロスさま!あれをご覧くださいっ!!」
ホメロスの言葉に間を開けず一人の兵士が叫んだ。
差した指が動揺して震えている。
暗闇に動く大きな影。
雲が流れ、月が顔を出せば、その姿を彼らの目の前に現す。
それは、一隻の大きな帆船だった。
「みんな、おっまたせ〜!!シルビア号のお迎えよん♡」
その先端の舳先に立って、大きく手を振るのはシルビア。
「シルビア!それってまさか……」
「おいおい、予想以上にデカイ船じゃねえか!」
船を見上げ、ファーリスとカミュが驚きの声を上げた。
「アリスちゃん!あれがアタシの仲間たちよ!あの波止場スレスレに走ってちょうだいっ!」
「がってん!」
シルビアにアリスと呼ばれたピンクの覆面の男は、舵輪を右に切る。
「さあ、みんな飛び乗って!」
帆船が波止場に寄るなか、シルビアが叫ぶ。
五人は互いに顔を見合わせ、頷いた。
次の瞬間、勢いをつけて地面を踏み込む!
「っ逃がすな!」
ホメロスは慌てて兵士に指示を出すが、もう遅い。
彼らはすでに船に飛び乗っていたからだ。
「「ベロニカ!」」
その際、距離が足らず落ちそうになるベロニカだったが、ファーリスとカミュがそれぞれ腕を掴んで事なき得た。
「シルビア!イレブン王子が……!」
「大丈夫よ、ファーリスちゃん。お坊ちゃんはね……人一倍責任感が強いの」
『……わかった。けど、約束してくれ。王子、必ず後で落ち合おう』
『ああ……!約束するよ』
「ちゃんと約束は守るわ。……あら」
――噂をすればナンとやら。笑うシルビアの視線の先を見ると、何やら兵士たちの悲鳴が聞こえる。
「うわぁ……!」
「なんだ!?まるで突風が通り抜けているような……!」
兵士たちの間を、風のごとく走り抜けるのはイレブン王子だった。
「ごめんね。足場にさせてもらうよ――」
「へ……、いっ!?」
飛び上がった王子は、一人の兵士の兜を踏みつけて、さらに高く飛んだ。
「……!貴様はやはり……!」
宙を横切る姿を見上げて、目を見開くホメロス。
月明かりがフードの下の横顔を照らす。
青い瞳に聡明さを感じさせるその顔は紛れもなく、
サマディー王国のイレブン王子……!
(なぜ、王子が悪魔の子と共に……!)
ファーリスが王族衣装を着ていた理由が判明した。
服を交換して、王子は囮になったのだ。
明らかに彼らを手助けしている行為である。思わぬ味方の存在に、ホメロスは苛立つように歯ぎしりした。
「王子……!」
「王子!手を伸ばすんだ……っ!」
波止場を離れようとしている船に、王子が飛び乗るにはぎりぎりの距離。
ファーリスは船から身を乗りだし、限界まで手を伸ばす。
彼が落ちないように横から支えるカミュとシルビア。
「……っ!」
王子も限界まで手を伸ばした。
届け……!!
全員がそう祈る。落ちる王子の身体。その一瞬、二人の手が強く握りあった。
「やったわ!」
「……っく」
ぐんっと一気に王子の体重がファーリスの片手にかかる。
「……ファーリスさん……」
絶対に離すもんかと両手で自身の手を掴み、歯を食いしばるファーリスの姿が――王子の目に焼きついた。
「お坊ちゃん!そっちの手でアタシの手を掴んで!」
「一気に引き上げるぞ……!」
――せーの!
「……ありがとう。ファーリスさん、皆さん」
「お礼を言うのはこっちの方だよ、王子」
「ああ、おかげでオレは助けられたしな」
「王子さまがご無事で何よりですわ」
全員無事な状況に、皆の顔に笑顔が浮かぶ。
「じゃーね、ホメロスちゃん♪今宵のショーはなかなか楽しかったわ。アデュ〜♡」
最後に投げキッスを対岸のホメロスたちに贈るシルビア。
「どうしましょう、ホメロスさま……このままではヤツらに逃げられてしまいます……」
彼らを乗せた船はどんどん遠ざかっていく。
「フッ、薄汚いドブネズミ共が。このホメロスから逃げられると思うなよ……」
ホメロスの口角は不気味に上がっていた。
「――……もう大丈夫みたいだな。一時はどうなることかと思ったが、おっさんのおかげで助かったぜ」
「シルビアさんが海に飛び込んだときはびっくりしたけどね」
「ウフッ。お礼はアリスちゃんに言ってあげて♪あの子はウチの船の整備士でね。船の操縦もお手のモノなのよん♡」
シルビアは皆にアリスを紹介した。
見た目はあらくれ者だが、性格は気のいい船乗りのようだ。
「お礼なんてとんでもねえがす。あっしは、ただ……」
ふいにアリスの言葉が途切れた思えば、彼は悲鳴を上げる。
「……ひっ!なんでえ、ありゃあ!」
アリスの視線の方向を、素早く彼らは見た。
「プギシャーーーーーッ!!」
激しく水飛沫を上げ、海から現れた巨大なイカの魔物。
その波に、ぐらりと船が揺れる。
「イヤーッ!何よこの化け物イカ!いったいどこからわいて出たの!?」
シルビアは両腕を擦りながら、カミュの後ろに隠れる。ギョロリとした目と視線が合って、シルビアの肌に鳥肌が立った。
「海にはこんな化け物がいるのか!?」
ファーリスも同様にカミュの後ろに隠れた。
「お前らな……」
カミュは片手で頭を押さえながら呆れる。
「クックック……私に逆らったことを海の底で後悔するんだな!さあ、クラーゴンよ!思う存分その船をいたぶり、ネズミ共を海のもくずにするがいい!」
魔物が船を襲う光景に、前髪をかき上げながら高笑いをするホメロス。
このクラーゴンこそ、ホメロスが直接取引をして操っていた魔物だったのだ。
「ひいいぃっ!こっちに来るでげす!あっしはまだ死にたくねえでがすよ〜っ!」
泣き叫ぶアリスの声が船上に響く。
近づいたクラーゴンは、長い腕を船に向かって振り落とそうする……!
「ップキャア!」
――今度は魔物の悲鳴が響いた。
クラーゴンの長い足は綺麗に真っ二つになり、切り離された足がデッキに落ちる。
「イヤ〜〜〜!!」
「ひいぃ……!!」
切り離されたにも関わらず、ぴたんぴたんと跳び跳ねるイカの足。シルビアとファーリスは互いに抱きつき悲鳴を上げた。
なんなんだよ、こいつら……。さらにカミュは呆れて二人を見た。
「すごい、王子……太刀筋が全然見えなかった……!」
「さっすが王子だわ!」
「王子さま、お見事です!」
クラーゴンの足を輪切りにした王子に、歓声を上げる女子三人。
「この船を沈めさせたりはしない。海の王者よ……僕が相手だ!」
勇ましく再び剣を構える王子。
「……!プキャア!」
王子に「海の王者」と呼ばれ、心なしかクラーゴンは嬉しそうだなと彼女は思った。
まるで王子とクラーゴンの一騎討ちのようだが、その背後にはナマエは弓、カミュはブーメラン、ベロニカは杖、セーニャはスティックと――各々の武器を構えて控えている。
「お前らもせめて武器ぐらい持てよ……」
「お坊ちゃんがいれば大丈夫よ!」
「ボク、もうイカは食べられないかも知れない……」
そう青ざめてファーリスが言った直後、ドオォンという低い音が辺りに響いた。
「なんだ、この音は……?」
不思議そうに呟くカミュの目に――数隻の船の姿が、こちらに向かって来るのが見えた。
「あれはダーハルーネの商船……?まさか、あの船は……!」
その光景はホメロスの目にも。
船は一斉に空砲を打って、海原にその轟音を響かせる。
「見て……あの、でっかいイカが大砲の音に怯えて逃げていくわ」
「……そうか!イカは大砲の音が苦手なんだ!」
指差すベロニカに続いてファーリスが言った。
「イカじゃなくてクラーゴンがじゃないかな……?」
その言い方だとイカ全体を指す気がすると、ナマエは控えめに訂正した。
おーいという声が聞こえ、皆はそちらに振り向くと――。
一隻の立派な船が近づき、そこにはラハディオとヤヒム、ラッドの姿もある。
「良かった……ご無事なようですね。あの魔物は、この辺りの海をよく荒らすことで有名なクラーゴンなんです」
「ラハディオさん!」
「!イレブン王子……!?どうしてあなたがここに……!」
驚くラハディオに、王子は事のあらましを話す。
「お兄ちゃん!僕、みんなの薬のおかげで、声が出るようになったんだよ!」
「ヤヒムくん!よかった、キミは声が戻ったんだな!」
声が戻ったヤヒムに、ファーリスも嬉しそうに笑った。
次に息子からすべてを聞いたと彼らに謝罪するラハディオ。
誤解が解けてよかったと安堵する面々とは別に、真剣な顔で王子はラハディオに言った。
「ラハディオさん。一つ頼みたいことがあるんだ」
王子がどこからか取り出したのは、丸められた書簡。
「鋭いホメロス将軍なら、僕が何者かは気づいているだろう。きっと我が国に圧力をかけてくるはず……。だが、僕は彼らとの約束を果たすため、まだ旅を終えるわけにはいかない」
真摯な王子の言葉に「王子……」と、彼らもまた真剣に話を聞く。
デルカダールとサマディー王国は友好国だ。
その王子が悪魔の子と共に行動をしているとなれば、国同士の問題にも発展し、非常にややこしくなるだろう。
「なので、父上が対応をしくじらないようにこの書簡を届けてほしい」
対処方法がすべて書かれていると、王子は言った。
丸められたその紙の分厚さにいつの間に……!と皆は驚く。じつは王子。囮になって兵士たちを撒いたあと、この事態に急ぎ筆を走らせていたのだ。
先を見越しての対策――サマディー王国建国以来、もっとも優秀な王子というウワサが流れるのも納得である。
「……王子。必ずや私がサマディー王にお渡ししましょう」
ラハディオはしかと頷き、分厚い書簡を受け取った。
「……ファーリス!」
海の向こうから微かにホメロスが自分の名前を叫ぶ声が届き、ファーリスは振り返る。
「……ファー……よ、……いるか!貴様……いずれ……る!その……で……過ごすがいい!」
………………?
ここまでかなり距離があるので何を叫んでいるのかまではわからない。
首を傾げるファーリスに「どうせ負け惜しみだろうから気にすんな」とカミュは言った。
「……あんたもデルカダールに逆らったせいでこれから商売がやりづらかなるだろうけど、うまく立ち回ってくれよな」
ラハディオは大丈夫だというように頷き、彼だけでなくヤヒムとラッドも力強く頷いた。
「また来てねーー!」
「じゃーなーー!」
「また、会おう!」
ヤヒムとラッド、ラハディオがこちらに向かって手を振る。
彼らもそれに応えるように手を振り返した。
ラハディオたちに見送られながら、彼らを乗せた船は海原を往く。
「見てみんな、キレイな朝日よ。まるでアタシたちの船出を祝福してくれてるみたいね」
シルビアの視線の先にある地平線から、太陽が顔を出していた。
淡い暖かな色が空と海を染め上げる。
清々しい夜が明ける瞬間を、共に迎える勇者一行とイレブン王子。
虹色の枝を求めて、王子の期間限定の旅は新たな大地を目指す。