守れなかった

 盗まれた虹色の枝を取り返すため、勇者一行は、グロッタの町からユグノア地方入りを果たした。

(……なんの感傷もないな)

 ユグノア地方の景色を眺めながら、ファーリスは淡々と思う。それもそのはず。ここが生まれ故郷だとしても、自分はまだ赤ん坊の頃で、記憶なんて残っているはずがない。

「ファーリスさん……」
「あ、ああ、王子。大丈夫だ。少しぼーとしてしまっただけさ」

 心配そうな王子の視線に、ファーリスはなんてことないと笑顔で答えた。

 その様子を見ていた仲間たちは……

「お、座り心地のよさそうな岩があるぞ」
「ファーリスさま!そちらは岩じゃなくて魔物ですわ!」
「うわぁ!」

 ストーンマンに腰かけて、転げ落ちるという相変わらずのへっぽこでも。彼の心情を心配し、今日は早めにキャンプ地で休むことにした。

「今夜はファーリスちゃんが好きなシチューを作るわよ〜!」
「やった!」

 ナマエが狩りをして、カミュが捌いた鶏肉入りのあつあつシチューを食べて、皆はゆっくり身体を休ませた。

(イシの村と変わらない星空だ……)

 ――そして、夜が明けた。彼らは身支度を済ませ、キャンプ地を出発する。
 瓦礫が転がる道を歩き、いよいよユグノア城跡へと足を踏み入れる。

「こ…こいつは……」

 かつて城下町だったその場所は、荒れ果て、かつての栄華が失われていた。
 魔物の襲撃の爪跡が、今も生々しく残っている。

「ここがファーリスちゃんのユグノア王国ね……。ウワサでは聞いてたけど……ひどいありさま」

 言葉を詰まらせたカミュの後に、悲しげにシルビアが呟いた。
「……16年前」
 苦く顔を歪めた王子が、重々しく口を開く。

「世界一の歴史を誇るユグノア王国は、魔物の大群生に襲われ、たったひと晩で滅びたと聞いた……」

 話を聞くだけと、実際に目にするとではこれほどまでに違う。

「ユグノア王や王妃……そして、偶然訪れていたデルカダールの王女さまも魔物に殺されたと聞いてるわ。もしかして……その王と王妃ってファーリスちゃんのお父さんとお母さん……?」
「……ああ。僕を産んでくれた両親だ」

 二人は、どんな人だったんだろう。イシの村で幸せに育ち、本当の両親に会いたいと思ったことはなかったが、会いたくても会うことはできない。

「……にしても、あのじいさんと女武闘家はどこにいるんだ?呼びつけておきながらもったいぶりやがって」
「魔物の気配はするけど、人の気配はないみたい……」

 カミュに続き、ナマエはきょろきょろと辺りを見渡しながら言った。

「あっ!奥のほうにかがり火が見えるわ!」

 ベロニカの指差す方向に、かがり火が風に揺れるのが見える。

「もしかしたら、あそこにいるんじゃない!?ちょっと行ってみましょうよ!」

 ベロニカの言葉に同意し、歩き始めた彼らの後ろで、ファーリスは異変に気づいた。
 ……頭上から生暖かい風を感じたのだ。なんだ?振り返るファーリスは、悲鳴を上げる。

「ド、ド、ドラゴン〜〜!?」

 生暖かい風は、ドラゴンの鼻息だった。
 ドラゴンが大きく口を開けると鋭い牙が覗く。ひぇっと腰を抜かしたファーリスの横を、王子が飛び出す!

「ドラゴン斬り!」

 対ドラゴンに効果抜群の剣技と、王子の攻撃力で、ドラゴンは一撃で倒れる。

 さ、さすが王子!

「いくら跡地といえ、凶悪な魔物を放置していくわけにはいかない。僕はドラゴンたちを片付けるから、君たちは先に行っててくれ」
「わ、わかった」

 ドラゴンは王子にまかせ、一行はかがり火を目指すが……

「う〜ん。崩壊が激しくて、ここからは行けそうにないな」
「他に道はないか探してみようぜ」

 彼らは手分けして他に道はないか探すが、どの道も崩壊しており、渡れそうになかった。

「上に続く道がない?……表の道が無理なら、どこかに有事の際の抜け道があるはずだ」

 ――あっという間にドラゴンを一匹残さず倒した王子は、皆と合流した。
 王子が言うには、城なら一つや二つ、抜け道が必ず作られているという。ただ、隠されているため見つけ出すのが困難だ。

「ピキー!にんげんさんたち、あそこにいきたいの?」
「なんだ、スライム!?」
「かわいい!」
「ボク、わるいスライムじゃないよ!ドラゴンたちを倒してくれたお礼に、お城へ続く道を教えてあげる!」

 スライムはドラゴンが住み着いてのびのび暮らせなかったから、王子がすべて倒してくれて感謝しているらしい。
 青い身体をプルプルさせて喜んでいる。

「そこの井戸に入ってごらん。少し前に来たにんげんさんたちも入っていったよ」
「あの二人だ!」
「ああ、入ってみようぜ」

 ファーリスとカミュを筆頭に、皆は井戸の中に入る。そこに水源はなく、通路になっていた。

「どうやら道が続いているみたいだわ」
「王子がドラゴンを倒してくれたおかげだ!」
「お役に立ててよかったよ」

 ファーリスの言葉に、王子は照れくさそうに笑った。
 通路を進み、再び井戸から外に出る。

 階段を上がった先で、白い鳥たちが一斉に飛び立ち、ファーリスは驚いて目を瞑った。
 目を開けると、白い羽根が舞う向こうで、老人が一人待ちわびていた。

「ふぉっふぉっふぉっ。おぬしらが来るのを待っておったぞ」
「一緒にいた姉ちゃんの姿が見えないが、じいさんひとりだけか?」

 すかさずカミュはロウに尋ねる。

「ゆえあって姫には席を外してもらっている。それにしても、よく来てくれたのう」
「さあ、来いと言うから来てやったぜ。奪った虹色の枝を返してもらおうか?オレたちにはあの枝が必要なんだ」

 すぐさま本題を切り出したカミュの言葉に、全員がうんうんと頷いた。

「ふむ……。おぬしたちに必要とな……。それは、ファーリスが勇者であるからかの?」
「なっ……」
「じいさん、何者だ?」
「……16年前に死んだと思っておったぞ。だからグロッタの武闘会で手のアザを見た時は、心の臓が止まるかと思ったわい」

 16年前に死んだと思っていた――ロウのその言葉に、王子はすべて把握した。

「やはり、あなたは……」
「ファーリスにどうしても見せておきたいものがあったんじゃ。すこしだけ、この老人に付き合ってもらうぞ」

 王子の問いを遮るように、ロウは彼らに言った。今はまだ……というように王子に目配せしてから「こっちじゃ」彼は歩き出す。
 どうやら、彼なりの話の順序があるらしい。

「とりあえず、皆さん。あの方についていきましょう」

 王子の言葉もあり、彼らはロウのあとを追いかけた。

「おい、じいさん。あんた何者なんだよ?」
「あのころ、わしは隠居しておってのう。城下に降りては民と杯を交わし笑い合う。そんな毎日を過ごしておったのじゃ。じゃが、16年前のあの日……魔物たちがすべてを奪っていった」

 途中、しびれを切らしたカミュがロウの背中に問いかけたが、彼はその問いには答えることなく、自身について語る。

「今や、かつての栄華は見る影もない。たったひと晩でこうなってしまったんじゃ」

 眼下の廃墟と化した城下町を眺めていたロウは、そこで振り返った。

「おおっとすまんのう。ファーリスに見せたかったものは別にあるんじゃ。では、行くとしよう」

 訝しげに首を竦めるカミュに、皆は再び歩き始めたロウについていく。

 やがて、その足が立ち止まった。

「おじいちゃん。このお墓は?」
「この国の……ユグノアの国王夫妻の墓じゃよ」

 ベロニカの問いに、ロウは静かな口調で答えた。
 その言葉に皆は息を呑み、その質素に建てられた墓を見る。

 ユグノアの国王夫妻。つまり……

「それって、つまりファーリスちゃんの……」
「さよう。勇者、ファーリスのじつの両親。すなわち、16年前に亡くなったわしの娘とムコ将軍の墓じゃよ」
「えっ?ということはあんた、ファーリスのじいちゃん……?」

 皆の視線がファーリスに移る。ファーリスはただただ驚いているようだ。

「娘も死に、ムコ将軍も死に……それでもわしだけが生き残ったことには意味があると、そう思わなければ、あまりにもつらすぎた」

 重く語るロウの言葉を、皆は黙って耳を傾けた。

「だから16年間、わしは追い求めたじゃよ。なぜ、ユグノアは滅ぶことになったのか……。その原因を探るのを、生きる目的としたのじゃ」
「…………」

 ロウを見つめていたファーリスは、彼の視線に促され、墓を見つめる。

『ユグノア王 アーウィンと 王妃 エレノア ここに眠る』

 ……そうか。二人の名前は……

 初めて二人の名前を目にして、ようやくファーリスは実感が湧いてきた。

(お父さん……お母さん……)

 しばし皆は、ここに眠る二人に黙祷を捧げる。

「……そして、各地を回り、わしは知った。勇者伝説の信奉者であった盟友、デルカダール王の変心をな……」

 黙祷が終わると、ロウは話の続きをした。

「16年前のあの日から……デルカダール王はまるで人が変わったかのように勇者を悪魔の子と呼び、非難を始めたんじゃ」

 ロウが悔しげに拳を握りしめているのに、ファーリスは気づく。

「あまつさえ、自分の娘の死まで勇者の仕業として世に広めている始末。わしには王が正気であるとは思えなかった。裏で何かが起きてる……。亡国の真相と盟友の変心……ふたつの謎を必ずや解き明かしてみせると誓ったのじゃ」
「……………」
「エレノアよアーウィンよ……。よろこべ、お前たちの息子じゃ。元気に生きておったぞ……」

 二人の墓にロウはそっと手を触れ、二人に伝える。そしてロウはファーリスに向き合い、二人の視線が重なった。

「よく戻ってきたな、我が孫よ。よくぞ……よくぞ、生きていてくれた」
「お……おじいちゃんん……!」
「孫よ……!」

 ひしっと抱き合い、涙するファーリスとロウ。
 受け入れるの早っ!
 と皆は正直思ったが、すぐによかったよかったと二人を暖かく見守った。

「こうして、16年ぶりに愛する孫と再会することができたんじゃ。このじいの頼みを聞いてくれんかの?」
「もちろんさ、ロウじいちゃん!」
「ユグノア王家には代々伝えられている鎮魂の儀式があってな。非業の死を遂げたエレノアたちを、共にとむらってほしい。儀式は城の裏山にある祭壇でおこなう。おぬしも祭壇まで来てくれ」

 ――城の裏山にたどり着いたときには、ロウの歩調に合わせてゆっくり歩いたせいもあり、すっかり辺りは暗くなっていた。
 ファーリス以外も参加していいようで、祭壇がある場所にいくと、そこにはマルティナの姿があった。

「お待ちしておりました、ロウさま」
「うむ。仕度は済ませてくれたようじゃな。ごくろうであった姫よ」
「あら、アナタは……」
「皆さん、下がって。鎮魂の儀式はユグノア王家のおふたりのみでおこなわれるので、こちらにどうぞ」

 シルビアが何かを言う前に、マルティナは両手で彼らを制止した。
 マルティナと共に、少し離れた場所からは見守る。

「あんた。じいさんに姫ってよばれてるけど、もしかして、あんたは……」
「静かに。儀式が始まるわ」

 カミュの問いにマルティナは人差し指を立て、しっと沈黙を促した。
 しんと静まり返ったなか、儀式は始まる。

「では、ファーリスよ。わしのマネをするのじゃ。よいな」
「はい」

 台座には香木の青々とした葉が供えられており、ロウから松明を受け取ったファーリスは、同じように松明の炎を枝葉に灯す。
 枝葉は炎に包まれ、生まれた白い煙が闇夜に昇っていく。

「人は死ねば、皆、命の大樹へと還ってゆく。あの大樹の葉、1枚1枚が人の魂と言われておる。されど……魔物によって非業の死を遂げた者は未練を残し、この世を迷うという……。そんな魂を救う儀式がこの地に伝わっておる」

 どうやって魂を救うのだろう……そう考えていたファーリスの目に、輝きが飛び込んだ。

「見よ……。煙の香気につられて光り輝く蝶たちがやってきおった」

 光の蝶……?神秘的で美しい光景だ。光輝く蝶が辺りをひらひらと飛んでいる。
 
「この蝶を人の魂と見立て、命の大樹へと送る。それをもって死者のなぐさめとするのじゃ」

 だからか――光り輝く蝶たちが、煙に乗るように命の大樹へと向かっていくのは。

「エレノアは……ただ死んだわけではない。おぬしとデルカダールの王女を救うため、自らおとりとなったのじゃ」

 枝葉が燃え尽きようという頃、その光景を見守っていたファーリスにロウは話しかけた。

「かけがえのない、ふたりの命が救われた……。ありがとうな、エレノア」

 煙が空に消えていくのを見つめながらポツリと呟いたロウに倣って、ファーリスも心の中で呟く。

(ありがとう、お母さん……あなたのおかげでボクはこうして生きている)

「……そういえば、エレノアはおぬしに何か遺さなかったかのう?」
「えぇと……」

 ファーリスは大事なものを入れている腰のポーチから"母の手紙"を取りだし、ロウに渡した。

「おお!こ……これは!」

 ロウは受け取ると、さっそく封を開けて、書かれている文字を読んだ。文字は紛れもなくエレノアのものだ。

「そうか。そういうことじゃったのか……。この手紙があったからこそ、おぬしはデルカダール王のもとに……」

 手紙の内容を読んで、ロウは独り言のように呟く。

「ファーリス。苦労をかけたな……しかし、ならばこそ、こうしておぬしと出会うこともかなった。ひとえにエレノアの導きであろう」

 ロウの言葉にファーリスは深く頷いた。それから、しばらく一人にしてほしいというロウの願いを聞き、ファーリスは静かにその場を離れて皆の元に向かう。

「お坊ちゃんは、ロウちゃんの正体に気づいてたのね」
「うん。父上から聞いていた人物像と名前から薄々予想はしていたけど……彼女がデルカダール王女のマルティナ姫なのは驚いたよ」

 シルビアと王子がそんな会話をしており、近づいてくるファーリスに王子は気づいた。

「ファーリスさん。いろいろと気持ちの整理がつかないと思うが、マルティナ姫とも話してみるといいかもしれない」
「……そうだな。その彼女は……」
「そこの斜面を降りていったよ」

 ファーリスはマルティナを追いかけた。

 ――異変は、そのすぐあとに起こった。

「……あ、雨が」
「あら、本当ですわね」

 空に手を向けるナマエを見て、セーニャも空を見上げる。さっきまで見通しのよい月夜だったのに、いつの間にか星々は顔を隠し、暗い雲が空を覆っていた。

「……なあ、なにか聞こえないか?」

 耳のいいカミュが二人だけでなく、その場にいる皆に向けて言う。

「……足音……?」
「鎧の足音だ、まさか……!」

 そうカミュが気づいて叫んだときには、もう遅かった。

「!いたぞー!」

 暗闇から現れたのは、デルカダールの兵士たちだ。持っている松明で彼らは照らさせる。

「悪魔の子がいない!」
「近くにいるはずだ!探せ!」
「やつらは捕らえよ!」

 剣を向ける兵士たちに、皆も武器を手に取る。カミュは短剣を構えながら、ナマエに小声で言った。

「ここはオレとシルビアでなんとかするから、お前は皆を連れて逃げろ」
「カミュさん、僕は戦う!」
「王子は身元がバレたらまずいだろう」
「これなら大丈夫かい?」

 その言葉にカミュは王子を見れば、いつの間にか仮面武闘会で使用した仮面をつけていた。「まったく準備がいいこった」カミュは小さく笑った。
 ナマエは言われた通りに、ロウ、ベロニカ、セーニャと共に逃げて、残ったカミュ、シルビア、王子は殿を務める。

「カミュさん!この部隊、グレイグ隊の者たちだ」
「……だろうな」

 兵士たちと剣を合わせるなか、王子はカミュと背中合わせになりながら話す。

「僕はグレイグ将軍と面識がある。どうにか止められないか、彼と話をしてみたい」
「いや、でもあの野郎は耳を傾けるような……」
「行ってお坊ちゃん!ファーリスちゃんたちも心配だわ」

 シルビアは王子の背中を押すように言った。「すまない!」王子は素早くその場を離脱する。


 ……――その少し前。


 ファーリスはマルティナを追いかけ、斜面を下っていた。

「エレノアさま……」

 彼女が悲しげに呟いたと思いきや、

「誰っ……!?」

 気配に気づき、ばっとマルティナはこちらに振り返った。驚くファーリスの目に、きらりと月光に光ったのは……
 マルティナはさっと顔を背け、目元を拭う。

「これは……恥ずかしいところを見られたわね」
「あ……いえ、ボクの方こそ驚かせてしまい申し訳ない」

 ファーリスはマルティナを追いかけてみたものの、なにを話せばいいのかわからなかった。
 彼女は王女で、母によって共に助けられたそうだが、それ以外の接点が見当たらない。
 少しの沈黙のあと、先にマルティナが口を開く。
 
「エレノアさまのことを思いだしてたの。そう、キミのお母さまのことよ」

 名前を口にしたその声で、彼女はきっと母を慕っているのだとファーリスは気づいた。

「ボクの母は……どんな人だったんですか?」
「……歩きながら、すこしお話でもしましょうか」

 マルティナの言葉に、ファーリスは頷いた。二人は並んで山道を歩く。

「私の母は病弱でね。私が生まれてすぐ亡くなったの……」
「あ……」
「エレノアさまは、そんな私を気遣って絵本を読んでくれたり、花摘みに誘ってくれたり、本当に優しい方だったわ……」

 ちらりと見ると、その横顔は穏やかな笑みを浮かべていた。

「だから、そのエレノアさまが子供を授かったと聞いて……私、心の底からうれしかったの。自分に、兄弟ができたような気がして……」

 ――その時。ファーリスの頬にぽつりと雨粒が落ちた。

「雨が降ってきたみたいだ」
「そう……。エレノアさまと最後にお会いした16年前のあの日も、こんな雨だった……」

 だんだん雨足が強くなっていき、空から視線を戻した二人の目に、松明の灯りが入る。

 ハッと、二人は岩影に隠れる。

「どうやら、キミたちの追っ手のようね。かなりの数だけど……あれだけの追っ手を出せるとしたら……」

 デルカダール王国……!

 あの鎧は間違いなく、デルカダールの兵士のものだ。

「新手の兵士が来る前に早くここから逃げなければ……!ファーリス!急いでみんなのもとに戻りましょう!」
「は、はい……!」

 ファーリスとマルティナは、見つからないように仲間の元へと向かうが、皆の姿はなく、すでに兵士たちに包囲されていた。

「よかった……みんなは逃げられたようだ」
「ええ、私たちも早くここから離れて、みんなと合流しましょう」
「あ……悪魔の子!」
「!」

 岩影に隠れていたが、別方向から捜索していた兵士に見つかってしまった。

「み……みんな!ここに悪魔の子がいるぞー!」

 兵士が集まる前に、二人は来た道を駆けて戻る。
 前方から向かってくる別の捜索隊に、足が止まる。挟み撃ちにされた。

「仲間の女がいるぞ!どうする!?」
「グレイグ将軍からは悪魔の子を捕らえよとしか言われておらん!女のほうは殺してしまえ!構わん!あいつも悪魔の子の仲間だ!」

 殺してしまえって……なんてやつらだ!

「こんなところで終わるワケにはいかない……」

 はあああ……!マルティナは気合いの入ったかけ声と共に、兵士たちをまとめて回し蹴りで吹っ飛ばす。

「つ、強い……!」

 自分が動く前に終わってしまった。

「た…大変だ。グレイグ将軍を呼びにいかないと……」
「あっ、待て……!」
「くっ!新手を呼びにいったようね。急いで山を下りて、みんなと合流しましょう」

 ファーリスはマルティナに腕を掴まれ、引っ張られるように走った。
 ――雨音に交じって、馬の蹄が駆ける音がする。

「そこまでだ、悪魔の子よ!デルカダールの将、グレイグ推参!」
「グ、グレイグ……!」

 飛び上がった馬は、二人の目の前に立ちはだかった。
 グレイグだけでなく、兵士たちも集まり、完全に逃げ道を断たれた。

「デルカダールで脱獄した貴様を追いつづけ、グロッタの町でようやく足取りをつかんだ。よくもここまで逃げのびたものだな」

 グレイグの合図に、兵士たちがぐるりと二人を取り囲む。
 馬から降りたグレイグに、マルティナはファーリスを庇うように手を伸ばした。

「悪魔の子は私が相手をする。その女はお前たちにまかせた」

 狙いはあくまでも自分らしい。ファーリスは覚悟を決めて、剣を構える。正直、怖いが戦うしかない。
 
「ゆくぞ!!」

 かけ声と共に振り落とされた大剣を、必死にファーリスは受け止める。

 ――ガキン!!

 ぶつかり合う金属音が、何度も闇夜に響いた。
 マルティナは他の兵士の相手をするのに精一杯だ。自分でなんとかするしかない。大丈夫だ。自分だって少しずつ強くなっている。――そうファーリスは、自分を鼓舞した。
 
「ぐう……!」

 だが、英雄とも呼ばれるグレイグの実力に、ファーリスの力は太刀打ちできなかった。
 
「どうした!貴様の実力はそんなものか!」

 いつの間にか追いつめられていた。彼の足元で、小石が転がる。
 ひっ……後ろを振り返ると、そこは崖で、下は渓流だ。

「やああ………!」
「うあっ!」

 無防備のファーリスに、グレイグは剣を落とした。大きく弾かれて、ファーリスは後ろに倒れる。
 剣を握ろうにも、今しがた下の川に落ちた。自分もすぐにああなるんだろうか。

「もう逃げ場はない。ここまでだな、悪魔の子よ」

 絶体絶命を横切るファーリスに――声が聞こえた。

「ファーリスさん!!」
「王子……!」
「王子……?」

 グレイグは振り返ると、そこには――

「イレブン王子……何故ここに……」
「グレイグ将軍、おやめください!彼は悪魔の子なんかじゃない……彼は我らの敵ではないのです!」
「まさか、あなたが協力者とは……。なにを唆されたかしりませんが、奴らを庇うということは、国際問題にもなりかねますぞ」
「かまいません」

 はっきりと力強く答えた王子に、ファーリスはじーんと胸を打たれる。

「私はファーリスさんたちと旅をし、この目で彼らを見て、この心で彼らを知りました。ファーリスさんは悪魔の子じゃない。彼は世界を救う勇者だ。あなたたちこそ、誰に唆されたのですか。目を覚ましてください――!」

 王子の渾身の説得だ。グレイグは一瞬、目を伏せ……

「目を覚ますのは、あなたの方です。イレブン王子!!」
「……っ」

 グレイグの強い反論に、王子はショックを受けた。愕然とする王子をよそに、グレイグはファーリスに剣を向ける。

 暗闇に稲光が走った。その剣が、振り落とされる――!

「まっ……!」
「やめなさい、グレイグ!」

 雷鳴をかき消すような、力強い声がその場に響いた。

「なんだと?」

 グレイグは再び振り返る。拳を握り締め、堂々と立つマルティナの姿に――……

 何故か幼い姫の姿が重なった。

「ま…まさか、マルティナ姫なのか……?」

 そんなはずはない。マルティナ姫は16年前に……

「あの方は本物のマルティナ姫だ!彼女の生きている意味を!考えてください、グレイグ将軍!」

 王子の言葉にグレイグは声を詰まらせる。彼が狼狽えている隙に、ファーリスは立ち上がろうとした――が、わずかな体重移動で、岩に亀裂が走った。

 それにマルティナが気づいたと同時、岩は音を立てて崩れる。

「うわあぁあ!」
「ダメ!!絶対に!!」

 落ちるファーリスを見て、慌ててマルティナは駆け出す。
 そして、一寸の躊躇もなく、彼女は崖から飛び降りた。

「姫さま!!」
「――マルティナ姫!!」

 落ちる勢いで手を伸ばした、王子の身体を、咄嗟にグレイグは掴む。自身も王家に仕える身だ。さすがに他国の王子を見殺しにできない。

「……ファーリスさん……」

 下を覗き込んだ王子の足が、力なく折れた。そこにはすでに二人の姿はなく、見えるのは雨で勢いが増した、川の流れのみ。

「……そんな……」

 悲しみに打ちひしがれる王子に、グレイグは静かに声をかける。

「……イレブン王子。自国に戻られるがいい。本来の立場をお忘れなきよう……。今回はデルカダール王には黙っておきましょう」

 自分を憐れんだのか、グレイグはそう言った。そして、兵士を引き連れて立ち去る。
 王子はうずくまり、地面に両腕をついた。

 ……二人を、助けられなかった。


「うっ……あぁああっ……!」

 
 どしゃ降りの雨に、王子の慟哭の声が交じる。



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