帝襟アンリのささやかな嫌がらせ

 ――"青の監獄ブルーロック"にて。


「絵心さん……。やはり人材が足りません。このままでは私は過労死して、絵心さんも共倒れになると思うんです」

 くっきりと目の下に青いクマを作ったアンリが言った。
 メイクをしても隠しきれないそのクマは、むしろクマが個性になっている絵心といい勝負だ。

「じゃあ倒れる前にカップ麺を……」

 用意しといて、と言おうとして絵心は口を閉じる。
「…………」
 視野が広い絵心の視界に、据わってるアンリの眼が見えたからだ。この場合、下手なことを言ったら、彼女はぷっつんといくだろう。

「……それは、ここの運営の死活問題に関わるね。アンリちゃん」
「だから、私。不乱蔦会長に、直談判してきます」

 なんとしてでも人材確保を……!

 この時絵心は、あの銭ケバ狸が簡単に聞き入れるか?と思ったが、意気込むアンリにまかせることにした。


「――不乱蔦会長。少しお時間をよろしいですか?」
「え〜ちょっとだけだよ」

 今月の定例会も終わり、アンリは絵心に宣言したとおり、早々と退出しようとした不乱蔦を捕まえた。
 他の職員は不思議そうな表情をしながら、会議室を退出する。

「単刀直入に言います。"青の監獄"ブルーロックに、職員を回していただけないでしょうか……!?」
「でもね〜アンリちゃん。そっちには多額の予算をかけてるのに、人材もというと、さすがにそれはちょっと欲張りじゃないかな?」

 真剣な顔で言ったアンリに対して、不乱蔦はすっとぼけた顔をする。
 なーにが欲張りだ!喉まで出かけた言葉をぐっと呑み込む。この狸が渋ることなど想定済み。

「では、こちらで新しい人材を雇う許可をください」

 アンリの本当の狙いはそっちだった。使えない人材を回されてもむしろ困る。
 そして、この不乱蔦という中年男ならやりかねない。

「そうねえ……」

 返答をじらすような不乱蔦に「せめて一人でも……!」と、懇願するアンリに「まあ、一人なら……」と、やっと不乱蔦は首を縦に振った。


 ◆◆◆


「絵心さん、やりましたよ!一名ですが雇用の許可をもらいました!」
「あの銭ケバ狸を説得するなんてなかなかやるじゃないか、アンリちゃん。まあ、問題は人材の方だ。俺はこの"青の監獄"ブルーロックに支障がでなければ誰でもいいけど、なるべく優秀な人材がいいよね」
「……優秀な人材はどこにいるんでしょうかね」
「……。無計画は、時に何も行動しない時より事態が悪化するよ、アンリちゃん」


 ◆◆◆


(……優秀な人材……)

 喫茶店でコーヒーを飲みながら「はぁ」と大きめなため息を吐く。
 やって欲しいことは、アンリが主に行ってる"青の監獄ブルーロック"の業務補佐だ。
 仕事に対して必要なスキルはそこまでない。
 ただ、特殊な環境および変人こと絵心甚八に適応できる能力が必要だ。
 そして欲を言えば、自分のサポートをしてもらうので、相性がいい人がいい。

(人材派遣会社に相談?)

 ノートパソコンとにらめっこしていると、側の窓からコンコンと音が鳴った。

「……!」


 窓の向こうには、にっこり笑う、アンリの高校時代の後輩がいた。


「久しぶりね、なまえ!こんなところで会うなんてすごい偶然!」
「アンリ先輩だってすぐにわかりました!お元気でしたか?」

 前の席に座った彼女は、変わらない人の良さそうな笑顔をアンリに向けた。
 名字なまえ――彼女は後輩としてでなく、アンリが所属していた女子サッカー部のマネージャーでもあった。
 優しく、他人に気遣いができる性格のなまえは、部員たちから好かれていたが、中でもアンリはとても可愛がっていた。

 自分が一足早く社会人になってからは、忙しくてなかなか連絡を取り合うことができなかったが、それまでは一緒にサッカー観戦に行ったり、よく遊んでいたほどの仲だ。

 一足早く……ということは、現役大学生の彼女の現在は……

「ねえ、なまえ。今って就活中?」
「あ、はい。まさにど真ん中です」
「ってことはまだ決まってないのね」
「そうですね……なかなか、難しくて……」

 苦笑いを浮かべるなまえに、ぐいっとアンリはテーブルに身を乗り出して言った。

「うちに就職しない!?」

 アンリはそれはもうなまえが入ってくれたら、いかに自分が救われるかを話した。
 それに、なまえもサッカーが好きだからこそマネージャーをやっていたので、きっとこの仕事にも興味を持ってくれるはず。

「アンリ先輩の勤め先ですか……?ええと、私としては就職難なのでありがたい話ですけど……」
「ホント!?採用!」
「わぁ、ありがとうございます……ええ!?」

 もちろん、正式な手続きは後日ちゃんと改めてするとして。
 大学在籍中は研修期間として、彼女に手伝いに来てもらう。
 即戦力ではないが、可愛がっていた後輩が来てくれたのだ。それだけで、アンリの肩の荷はスっと下りた。

 問題は……

「やあやあ、君がアンリちゃんの後輩の新人くんだね。初めまして、絵心甚八です」
「は、初めまして、名字なまえといいます。まだ学生の身ですので、研修生という形ですがよろしくお願いします!」

 絵心については、先入観を持たせない程度に「ちょっと変わった人かも知れないけど、サッカーに関してはすごい人だから」と、事前に伝えてはある。果たして彼女の印象は……?

「絵心さんって、最初こわい人かと思ったら良い人で安心しました」

 良い人……?には、アンリは大きく首を傾げたが、なまえが絵心と上手くいきそうならよかった。

 そして、なまえを含めた三形態が始まる。

「……これが一日の流れなんだけど。大事なコトは……」
「……大事なコトは……」
「朝食、昼食、夕食にお湯を沸かすのを忘れずにね」
「お湯を沸かすコトを忘れずに、っと……。お湯?」
「絵心さんの食事は3食カップ麺だから」
「3食、カップ麺……?どんだけカップ麺好きなんですか」

 ちなみに今の絵心のマイブームは焼きそばらしい。

「確かにカップ焼きそばはたまに無性に食べたくなるほどおいしいけど……」
「私もむしろ好きだけど、ここまでカップ麺ラブだと、健康を害さないかちょっと心配になるわよね」

 なまえの呟きに悩ましげに答えるアンリ。仕事をしながらそんな他愛ない会話を挟んで。
 共感してくれる相手ができて、アンリの胸の内はスッキリする。


 そして、なまえは無事大学を卒業し、正式な"青の監獄ブルーロック"の職員になった。


「あ、やば!今日の分の選手の個人データまだ更新してなかった!」
「先輩、そちらはもう終わりましたよ」
「アリガト!もうすっかりなまえってば業務には慣れたわね」

 おかげでアンリの負担も減り、サポート業務は順調だ。

「でも、選手の皆さんはすごいですね。日々データの数値が上がってます」
「ええ、適切な運動プログラムと彼らの向上心も高いからね。あ、ねえ私たちも健康のために運動を取り入れた方がいいと思うんだけど……」
「"青の監獄ブルーロック"にずっと缶詰ですもんね」
「朝ヨガやらない?」
「いいですね!」

 お昼休憩には、二人で楽しく会話に花を咲かせる。

「でも、私たちより心配なのは、3食カップ麺で、ずっと椅子に座りっぱなしの人よね〜」
「あれでもたまにストレッチしているらしいですよ、甚八さん」

 …………ん?

「甚八さん……?」

 そう聞き返すと、明らかになまえは目を泳がせた。

「さ、先輩。お昼休憩が終わりますよ〜」
「ちょっと待ちなさい」

 席を立とうとしたなまえを笑顔で引き留めて。
 詰め寄ると、観念したようになまえは口を開いた。

 その口から出た言葉に、アンリは頭をハンマーで殴られたような衝撃を受ける――

「え、えっ、絵心さんと付き合ってるーー!?」
「は、はい……」
「正気!?」
「……え?」

 あの変人の絵心さんよ?……いや、人の好みは人それぞれ――絵心にではなく彼女に失礼だったと考えを改めるアンリ。(そもそも前に聞いた好みのタイプと違いすぎるよーな……)

「あっ、もしかして……!アンリ先輩も絵心さんのことを……」
「ええ!?」

 アンリの口から驚きの言葉が出たあと、次いでブンブンと顔の前で手を振る。

「ない。絶対ない!ありえないわ!」

 そこを勘違いされると嫌なので、強く否定した。
「そ、そうですか」
 どことなくほっとするなまえに、むしろどこに惚れたの……とアンリは思う。
 まあ、それは追い追い聞くとして、まずは……

「二人はいつからそういう関係に?どっちから告白したの?」
「なんか先輩、興味津々じゃないですか」
「だって……ねえ?」

 あのサッカーにしか興味なく、女っ気が少しもない絵心と、一体全体どうやって恋愛関係になったのか。想像つかん。

「そういうお付き合いの関係になったのは、本当にごく最近で……」
「うんうん。だから私も気づかなかったのね……。で、告白は?」
「二人で話してた時に、ちょっと恋愛みたいな話になって……」

 むしろ、その恋愛みたいな話にどう転がったのかを知りたい。
 今まで絵心と二人になったことは何十回もあるが、そんな話の雰囲気になったことは、アンリは一度もない。

「絵心さん、長年彼女いないみたいだったから……」

 でしょうね、といいますか。

「どういう人となら付き合いたいのかって聞いたんです――」


『そうだね……。なまえちゃんみたいな子かな』
『……っ!わ、私も絵心さんとなら……』

「そんな感じで始まったというか、なんというか……」
「…………」

 もじもじと恥ずかしそうに話すなまえに、アンリは絶句する。

(なにが「君みたいな子かな」だよ!絵心甚八――!)

 気取った口調で私の大切な後輩を口説いてんじゃないわよ、ばかやろーー!

「アンリ先輩、すみません!職場恋愛ってよくないですよね……」

 心の中で絵心に対して不満を爆発させていたが、ふつふつとしている姿に、なまえは怒っていると勘違いしたらしい。
 はっとしてアンリは、慌てて口を開く。

「違うの!それはいいんだけど……。いや、むしろ、絵心さんでいいの……?」
「絵心さんって、かっこよくないですか?」

 かっこいいという言葉に衝撃を受ける。
 かっこいい……?そっか、一般的には絵心さんはかっこいいに入るのか……?

「でも、寝起きの顔はかわいくてきゅんっときたんです」

 眼鏡を外したのび太くんみたいで……と、恋する顔で言ったなまえ。
 確かに、寝起きはいつもと違うギャップがあって面白いなとは思ったけど……。

 ……んん!?

(待って……寝起きを見たってことは、そういうこと?え、嘘でしょう。二人はもうそういう関係なの!?)

 手え出すの早ぎだろ、絵心甚八――!!

『俺はこの"青い監獄ブルーロック"で天才を創る。これは、俺の人生を懸けた証明だ』

 って、かっこいいこと言っておいて、見損なったわ!

「……先輩?大丈夫ですか?」


 ※寝顔は仮眠を起こす際に見た。


 ◆◆◆


「絵心さん、私の後輩に手を出したんですね……」
「……人聞きが悪いよ、アンリちゃん。俺と彼女は合意の上での関係です」

 なまえが本気で絵心を好きなら、アンリはどうこう言うつもりはないが、高校時代から可愛いがってた後輩だ。
 横から見知らぬ男に(知ってるけど)突然かっさらわれたようで、さびしい。

「なまえを泣かせたら、タダじゃ置きませんからね」
「アンリちゃんには俺が非道な人間にでも見えてるかもしれないけど、これでもちゃんと将来のことは考えてるよ」

 将来のこと……?

「うん、まあ……。俺もいつかは所帯を持ってもいいと思ってたから。いいよね、なまえちゃん。いい嫁さんになってくれそう」

 嫁さん……?

(絵心甚八ぃ!私はお前の嫁候補を連れてきたんじゃないっつーの!)

 自分のサポートをしてもらうためになまえに来てもらったはずなのに、どうしてこうなった。


 ◆◆◆


「付き合うのはいいけど、絵心さんとの結婚は慎重に考えるのよ」
「せ、先輩、結婚なんてまだ早いですよ!」
 
 サッカーのコーチとしては優秀だし、日本サッカーを変えられるのはこの男だけだと、アンリは絵心を信頼しているが、生涯を共にする夫とするなら話は別だ。

 正直、なまえにはもっと素敵な男性がいると思う。

「今は私……。もっと絵心さんのサポートができるように頑張ります!」


 キラキラとしたその笑顔は、眩しかった。


(激辛ラーメンが食べたい……蒙古タンメン中本の北極が恋しい……)

 この消化不良な思いを激辛の刺激で発散させたい。
 ちょうど絵心の食料調達があるので、自分用の激辛カップラーメンも一緒に買うことにした。

(あ、そうだ……!)


 これは、可愛い後輩を奪われた、帝襟アンリのささやかな嫌がらせ。


「……。アンリちゃん、なにこれ。カップ麺、全部激辛なんだけど」
「たまにはいいじゃないですか。辛さの刺激で新しいアイデアが浮かぶかもしれませんよ」
「……小姑」ぼそっ
「……!?なんてこと言うんですか!」


 ――ぷんすか怒るアンリを尻目に、やれやれと絵心は思う。

 ……最初は、そんな関係になるつもりは毛頭なかった。
 だが、いつの間にかなまえにすっかり絆されてしまったのだ。
 アンリが怒るのも、まあ無理はないと思うが、恋愛関係になってしまえば、あとは二人の問題だ。

「別にいいですよ?君の可愛い後輩くんに手料理作ってもらうから」
「なっ……」
「代わりに、この激辛カップ麺は全部どうぞ」
「ありがとうございます……って、私も一緒になまえの手料理食べますからね!」


 どうやら、アンリのささやかな嫌がらせは不発に終わったようだ。



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