自分は家族に恵まれている。
そう気づいたことは、遅くはなかったと思う。
お父さんもお母さんも、お兄ちゃんも優しくて、暖かい家族が私の自慢だ。
「あ、なまえ。今日は雨降りそうだから、傘持っていた方がいいぞ」
「世っちゃんが言うなら傘持ってこう。天気予報より当たるもんね」
世っちゃんとは、私のわりと年の近いお兄ちゃんだ。物心ついた頃から、お母さんが「世っちゃん」と呼んでいたのを聞いていたので、私も気づいたら「お兄ちゃん」じゃなくて「世っちゃん」と呼んでいた。
たぶん、お兄ちゃんとは一回も呼んだことがないかもしれない。友達とかの前ではお兄ちゃんって呼ぶけど、世っちゃんは世っちゃんだ。
「じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃーい」
「はいはい、世っちゃん行ってらっしゃい」
私はまだ朝食を食べているけど、世っちゃんはサッカー部に所属をしていて、朝練があるので一足先に家を出る。
世っちゃんの将来の夢は、日本代表のエースになって、W杯優勝することだ。
妹目線を引いても、世っちゃんは才能があると思う。見た目は地味だけど、ポジションはサッカー部の花形のFWだ。
私も世っちゃんの影響でサッカーをやってみたことがあったけど、どうも向いていないようで、すぐ辞めてしまった。
『世っちゃんみたいにボールが飛ばない!』
『そりゃあ練習しなきゃできないって。俺だってたくさん練習したんだぞ。それこそ血ヘドを吐くぐらい……』
『それ、絶対嘘でしょ』
『ごめん、盛った。でも、そんぐらい練習が必要ってこと』
血ヘドは吐いてないけど、世っちゃんがたくさん練習をしていて努力家なのは確かだ。
サッカーに夢中だからか、高校二年生になっても彼女ができないことを、妹の私は密かに心配している。……いや、世っちゃんが変な女と付き合ったら嫌だけど。
「そうだ、なまえちゃん!この間、告白されてお付き合いした男の子とは上手くいっているの?」
「別れた」
パンを咀嚼しながら答えた。たぶん、交際一週間ぐらいだ。もはや交際といっていいのかわからない。
「え、もう?お母さん、紹介してもらおうと思ったのに……」
「だって、全然気が利かないんだもん」
家族に恵まれた私だけど、ひとつだけ困ったことがあった。
それは、人間性の基準が家族になってしまうこと。
例えば、優しくて気遣いレベルは世っちゃん基準だけど、それを世間の男の子に求めるにはどうも高いらしい、と最近知った。
ちなみにお父さんはお母さんほどではないけど、おっとりしていて少し頼りなく見えるので、私的にはもっとしっかりした人が理想だ。
それを友達に話すと……
『あんた、理想高過ぎ』
と、呆れられる。別に背が高いとか、イケメンとか、頭がいいとか、色々求めているわけじゃないのに。
「やっぱり、顔より中身だよね」
今回、学んだこと。別クラスだったからよく知らない人だったけど、顔がかっこよかったという軽い理由だけで付き合ってしまった。反省。
「顔も中身もいい人を選びなさい。お父さんみたいな♡」
「……お母さんとお父さんが羨ましいよ」
結婚ウン十年目で、子供二人いても仲良しなんだから。ごちそうさま、と手を合わせて、私も学校へ行く準備をする。
***
――その夜、幼い頃の夢を見た。
私が幼稚園に通っていた頃の、過去の夢。幼稚園で「お花を育てましょう」と、先生と一緒に花壇の水やりをしたその日のこと。
「っ!?冷たっ!なに!?」
「こらこら、なまえ。世一の頭にお水をかけたらだめだよ」
リビングで、世っちゃんとお父さんが座ってテレビゲームをしているとき、私は後ろから世っちゃんの頭にじょうろで水をかけたのだ。
「きょう、せんせいがはっぱにおみずをかけるとおはながさくっておしえてくれた!」
「え!?おれの頭のこれ、葉っぱじゃないから!」
「おはなさかないの……?」
幼い私には、世っちゃんの頭の上にぴょっこと跳び出た髪の毛は双葉に見えていたらしい。(ちなみに世っちゃんにとってはあの髪型はこだわりがあるとか)
しゅんとする私に、お父さんは「そうかそうか」と、それ以上怒らずに頭をぐしゃぐしゃと撫でてくれた。
世っちゃんはと言うと……翌日。
「ほーら、なまえ。昨日の水やりで、にいちゃんの頭に花が咲いたぞー」
「わああ!」
世っちゃんは折り紙で作ってくれた花を、パッと頭の後ろから出して見せた。
そのときの私は、ただ世っちゃんの頭から花が咲いたことと、その折り紙の花をもらったことがすごく嬉しかった。
その花は、今も勉強机の引き出しに大事に閉まってある。
昔から優しい世っちゃんが、私のお兄ちゃんでよかったと思う思い出のひとつだ。
「…………」
――どうして、そんな昔の夢を見たんだろうと目が覚めてぼんやりと考える。……きっと、そうだ。
(世っちゃん、今日からいなくなっちゃうんだ……)
世っちゃんは、日本フットボール連合から届いた手紙の、強化指定選手として今日から招集に行ってしまう。合宿みたいなものらしく、高校も休学して、しばらく帰って来られないという。
サッカーのことをよく知らないお父さんとお母さんはお気楽に「いいことよね」って、笑っていたけど、とってもすごいことだ。
だって、日本フットボール連合は日本サッカーの界を統括している総本山みたいなもの。
そこに、世っちゃんは選ばれたのだ。
その少し前に全国高校サッカー大会での、埼玉県大会決勝に敗退して世っちゃは落ち込んでいただろうから、私も嬉しかった。
世っちゃんは私の自慢のお兄ちゃんだから、絶対夢を叶える――そう信じている。
「世っちゃん、ハンカチ持った?ティッシュは?」
「母さん、遠足に行くんじゃないんだから……」
「世一、サッカーのことはわからんが、お前ならできる!頑張ってこい!」
「うん!ありがとう、父さん」
玄関で世っちゃんが出掛けるのを、お父さんとお母さんと三人で見送る。
世っちゃんがいなくたって寂しくないよ、だって一生会えないわけじゃないし。
そう、言おうと思ったのに……。
「うぅ……」
「あらあら、なまえちゃんったら」
「ほら、なまえ。笑顔で世一を送り出そうな」
「世っちゃ〜〜ん」
目から涙がポロポロ流れた。こんなに泣いたのは、映画を観て以来だ。
「なまえ、泣くなって。永遠に会えないわけじゃないだろ?俺、頑張ってくるから、お前も受験とかいろいろ頑張れよ。父さんと母さんを頼んだぞ」
「うっ、うん……っ」
世っちゃんとが優しく頭をポンポンするから、涙が止まらなくなる。頷くだけで精一杯だった。
「世っちゃん、絶対……っ夢、叶えてね!日本代表になった世っちゃんを、みんなに自慢するのが私の夢だから!」
「もっとまともな夢持てっつーの。でも……俺、ここで目指してくるよ!ぜってー叶えてやる!」
世っちゃんは、そうニカッと笑って行ってしまった。
――それから数ヵ月。
連絡はなくて、お父さんとお母さんは「便りがないのは元気な証拠」ってのほほんと笑っていたけど、今回は私も同じように思っていた。
きっと、"青い監獄"という場所で世っちゃんは頑張っているんだ。
だから、私も頑張ろうと思えた。
世っちゃんほどの夢はないけど、将来なりたい職業を見つけて、今は受験勉強に本腰を入れている。
第一志望は今の自分のレベルじゃ難易度高いけど、諦めずに目指したい。
そんな中、再びフットボール連合から手紙が届いた。それは、U-20日本代表戦との試合開催のお知らせだった。
(世っちゃんの試合が観られる……!)
家族ということで招待されて、お父さんとお母さんと三人、観客席で世っちゃんを応援した。
試合は、手に汗握る激戦だった。
日本代表チームに食らいつくのは、みんな世っちゃんと同じ世代の選手で驚いた。
そして、成長した世っちゃんの姿にも。
試合は、世っちゃんのシュートで勝利した。その日の夜は、興奮と歓喜でなかなか寝つけなかった。
「お母さん、早く録画!」
「ええと、録画ボタンっと……」
翌日には世っちゃんのインタビューがテレビで流れて、急いで録画した。もちろん私は友達に自慢した。
そして……休暇をもらったと世っちゃんが二週間だけ家に帰ってくるという。その日はお祝いだと、お母さんがご馳走を作るのを私も手伝った。
――玄関のドアが開く音がする。
「世っちゃん!お帰りっ!」
***
「ねえ、世っちゃん。今度、凪選手のサインもらってきて!」
「え?凪?」
「だってかっこいいし、サッカーもすごかったもん!」
「悪いことは言わん。凪はやめとけ。付き合ったら絶対苦労する」
「え、付き合いたいとかじゃないけど……」
凪選手は究極のめんどくさがり屋だという。サインをお願いしても、描いてくれるかさえわからないと世っちゃんは言った。サッカーしている姿からは想像できない一面だ。
「しょうがないなぁ……」
私は後ろから色紙とペンを取り出すと、世っちゃんに差し出す。
「潔世一選手のサインで我慢しますかっ」
「……お前。サイン第一号で、将来プレミアつくからな」
世っちゃんはそう言って笑うので、私も一緒になって笑った。
「世っちゃんのサイン、かっこいいー!」
「え、そう?そう褒められると嬉しいな」
「世っちゃん、お母さんにも描いて!」
「父さんにもお願いします!世一選手!」
「え、えぇ……」
さらさらと描いてくれたサインは、密かに練習していたのか、世っちゃんのトレードマークでもある双葉っぽいものが描かれている。
『ほーら、昨日の水やりで、にいちゃんの頭に花が咲いたぞー』
世っちゃんの夢が花咲く日は、きっとそう遠くない日だ。