――凛。お前も、人間だったんだな。
その日、糸師凛の思わぬ姿を見て、潔は声に出さずその言葉を口にした。
……ひっく。
凛の肩が僅かに揺れ、その口から聞いたことのない声が出た。
声というか、ひゃっくりだった。
「……なに見てんだ」
その眼は相変わらず冷ややかで鋭く、潔をギロリと睨んだ。潔は咄嗟に目線を外し、再び合わせたときには弁解の言葉を口にする。
「あ、いや……凛もひゃっくりするんだなって思って」
「ひゃっくりぐらい…ひっく…するだろ」
当然という風に凛は言ったが、その間も引き攣った音が飛び出て、ちょっと面白い。いや、だいぶ面白い。
「笑うな……」
「笑ってない!見間違いだって!」
寸前のところで笑いを堪えたというのが潔の言い分だ。だが、それは凛には通用しない。潔は見下ろされるように凄まれる。
……と、その時。
「わぁーー!!」
場違いのような声が響いた。同時にどこからか蜂楽が飛び出してきて、二人は無言で蜂楽を見る。
…………ひっく。
「ありゃ?驚かしたのに、凛ちゃんのひゃっくり止まんないね」
「……驚かせ方がぬるいんだよ。オカッパ」
「うんうん。ひゃっくりしててもいつもの凛ちゃんだ♪」
恐い顔は健在だった。そして、それに怯む蜂楽でもない。
「たかがひゃっくりだ。ひっく。そのうち止まる……ひっく」
「でも、練習中とか気が散らない?」
「あーだよな」
「お前らには関係ねえだろうが」
そう言ってトレーニングルームに向かおうとした凛だったが、新たな登場人物たちが行く手を塞ぐ。
「おい、凛。お前、しゃっくりが止まらないそうだな。それはオシャではない。由々しき事態だ!」
「凛さん!大丈夫ですか!?」
「凛くんもしゃっくりするんだね……。ちょっと安心したよ。あっ!深い意味はないからね!?」
蟻生、七星、時光だ。
何故か集まってきた三人に、凛はチッと舌打ちをする。
ちなみにここ、"青の監獄"は……
「おーマジで凛がしゃっくりしてんじゃん」
「並の驚かせ方では凛は驚かんやろ。誰か首もげる非凡なヤツおらへん?」
「それできたら人間ちゃうで、烏」
噂話が広まるのがめちゃくちゃ早い。
続いて現れたのは、千切、烏、氷織の三人だった。
さらにそこに「息は止めてみた?」「水、飲め飲め!」雪宮と黒名も参戦。
只でさえ止まらぬひゃっくりにイライラしていたのに、凛の苛立ちは加速する。
「お前ら俺は見せもんじゃねー!」
ひっく……!
「怒ってもひゃっくり止まらんなぁ」
「凛くんもひゃっくりには勝てへんね」
ニヤニヤと笑う烏と対照的に、氷織は人が良さそうに眉を下げて笑った。
そんな中、黒名がふと思い出すように口を開く。
「そういえば……。ひゃっくり100回すると死ぬっていう都市伝説があったよな。俺、小さい頃信じてた」
「あれ、本当のことじゃないべか!?」
「100回したら死ぬんじゃないの?」
「えっ、ひゃっくり100回しても死なないの?」
そして、続々と上がった疑問の声たち。七星、蜂楽、いつの間にかそこにいる斬鉄からだ。
「信じているヤツ、まだいるんだな……」
「納得のトリオだけどな」
「はは、むしろ純粋で羨ましいよ」
驚く潔に、千切がおかしそうに笑って言い、雪宮は微笑ましそうに三人を見る。
「……お。みんな、集まってなにしてんだ?え、凛がひゃっくり?はは、マジか!」
「へぇ、アンタでもひゃっくりするんだ」
――だから、ワラワラと集まってくんじゃねえよ、モブどもが!
今度は玲王と凪だ。凪はひゃっくりをする凛を物珍しそうに見ており、一方の玲王はなにやら冷静に考えている。
「なあ、凪……ちょっと面白いこと思い付いた」
「ん?」
その頭脳明晰な頭に、ピコンと閃きが。いや、これは御影コーポレーションの教育の賜物かもしれない。
玲王が凛のひゃっくりを止めるのに思い付いた秘策は――……
「誰が凛ちゃんのひゃっくりをいち早く止めるかゲーム!」
「こら蜂楽……」
「オカッパ、いい加減に……」
「俺のオシャなポーズで止めてやる」
「あわわ、蟻生くん……!凛くん、ブチギレ寸前だから止めた方が……!」
「……あれ。速報?糸師冴が電撃結婚だって」
……!?!?
スマホを見る凪の口から出た何気ない言葉は、その場に衝撃を走らせた。
「結婚!?」
「これはビックニュースだね」
「ホンマかいな」
「相手は有名人とか!?」
「誰誰!?」
気になるのはそのお相手。皆が凪の周りに集まる中、一人呆然自失のように立ち尽くすのは……凛だ。
冴が結婚、……だと?
いつの間にかひゃっくりも止まっていると――その姿を確認して、玲王はニヤリと笑う。
予想通りだぜ!
「はーい、凪くん。ネタばらしぃ」
「……は?」
「ネタばらし……?」
「うん、今の嘘。玲王が、これなら凛も驚いてひゃっくりが止まるんじゃないかって」
あっさりと白状した凪から、全員、凛に視線を移す。
確かに、凛のひゃっくりは止まっているようだ。
むしろ、息しているか凛!?
「こりゃ一本取られたわ」
「凛の感情を揺さぶるのに、一番は兄貴だと思ったからな」
「さすが玲王。人間の心理がわかってるよね」
「よくわからんが、ひゃっくりが止まってよかったんじゃないか?これぞ一件楽々」
「一件落着な、バカ」
「バカって言うな、おじょー!」
びっくりしたー、とその場は和やかに緩むも、凛は和やかではない。
「――モブどもが。サッカーで全員、殺してやるよ」
宣戦布告という名の殺害予告を全員にして、凛は颯爽とその場を去った。
……実際のところ。
(冴が結婚って、マジでビビったじゃねえか!)
内心、めちゃくちゃ動揺していた凛だった。