「もう7月かぁ。今年は花火見に行きたいなー」
「おー花火か。俺も久しぶりに見たいかも。近くの花火大会に行ってみねぇ?」
──そう約束した日から、ずっとその日を楽しみにしていた。
今日がその待ちに待った日。
お母さんに手伝ってもらって、浴衣を着るのに朝から大忙しだった。浴衣は私にしては珍しく、可愛いらしいタイプのものを選んだ。髪には小さな花の飾りもつける。
ミラーの前で何度も確認して、ようやく準備完了。
初めての……豹馬との花火デートだ。
待ち合わせ場所は改札前。約束の時間に遅れないように急いで家を出る。
って言っても、マイペースな豹馬が待ち合わせ時間にきっちりに来たことはないから、急がなくてもいいんだけど。
逸る心が自然と行動を速めた。
心臓がドキドキして、まるで自分の鼓動が聞こえそうだ。サッカーで忙しい豹馬とのデート自体が久しぶりだし、浴衣を着て会うのも初めてだから、柄にもなく緊張する。
(可愛いって思ってくれるかな……?)
改札前に行くと、すでに豹馬の姿がそこにあって驚いた。
いつも、待ち合わせは私の方が早く着くのに。
遠くからでも豹馬はすぐわかる。
目立つ赤い髪だからというだけじゃない。
ずっと、走るその姿を、広いサッカーコートの中から探して見てきたから──私は見つけるのが得意なのだ。
(!豹馬も浴衣着てる……!)
冗談っぽく「豹馬、浴衣着てきてよ」と言った時は……
「家族で浴衣着て夏祭りに行ったら、姉ちゃんとさんざん美人姉妹って勘違いされていい思い出がねえんだよ」
って、気乗りしない言い方だったのに。
(豹馬の浴衣姿……)
やばい、すごくかっこいい。そして、女の私より色気がある。長い髪をシンプルにポニーテールしただけなのに、様になってるし。(こっちは髪型に1時間かけたのに!)
豹馬と付き合うことになって、格差は覚悟してたけど、ちょっとくやしい。くやしいから……
「そこの綺麗なお嬢さんっ!一緒に花火大会行かない?」
からかうように後ろから声をかけてみた。
「お前なぁ、ふざけんな、よ……」
振り返った豹馬の顔は、綺麗な顔が台無し──
「……」
「?どしたの?」
言葉尻が不自然に切れて、豹馬はじっと私を見つめる。(浴衣姿、変なのかな?)黙ったままの豹馬に、ちょっと不安になってきた時だ。
「馬子にも衣装ってやつか」
「もうっ!」
さっきのお返しと言わんばかりに言われた。
「似合っている豹馬が言うとシャレにならないんだからね」
「似合ってんのはなまえの方だろ」
「本当にそう思ってる?」
「マジマジ」
笑って言った豹馬は、不意にまっすぐ視線を投げかけて。
「可愛いよ、浴衣姿」
……不意打ちに言ってくるもんだから、自分の顔が赤くなっていくのを感じてしまう。
時たま、欲しかった言葉を言ってくるのが、豹馬のずるいところだ。
***
「どうして浴衣着ることにしたの?」
乗り込んだ電車は満員電車とはいかずとも、混雑している。同じように花火大会へ向かう浴衣姿の人たちも大勢いて、その中で一番美人なのもかっこいいのも絶対に豹馬だ。
「姉ちゃんに花火デートなら着てけって、無理やり着せられた」
「豹馬もお姉さんには敵わないよね」
諦めの入ったうんざりとした口調に笑う。お姉さんとの関係が微笑ましいと思いつつ、何より豹馬が今日のことを家族に「デート」って話していたことが、すごく嬉しい。
「……なにニヤニヤしてんだよ?」
「別に」
隠すように電車の窓の外を眺めた。ゲリラ豪雨の心配があったけど、今日は綺麗な夕陽だ。
電車に揺られ、数分の距離。
最寄りの駅に着くと、車内以上に駅構内は人でごった返しになっていた。
「あっ」
人に押されて、慣れない下駄に前に倒れそうになる。「っと……」腕を掴んで倒れるのを阻止してくれたのは、豹馬の手だった。
「あ、ありがとう」
「危なかったな。ほら、掴まっとけ」
今度はその手のひらを差し出される。
「うん」
恋人同士なんだってわかる、この距離感が照れくさい。
手を繋いで、花火大会の会場へ向かう。
道中、屋台の美味しそうな匂いや、子どもたちの楽しそうな声が辺りから聞こえる。
「なまえ。なに食いたい?」
「たこ焼きでしょー、焼きそば、かき氷、わたあめ、林檎飴……」
指折り数えて答えていると、すぐ隣から豹馬の笑い声が響いた。
「いいんじゃね。屋台、全制覇!」
ノリ気なその言葉に、私も楽しくなって「うんっ」大きく頷いた。目に入った屋台から並んでいく。
「あふっ」
「口ん中、火傷すんなよ」
「でも、おいしい」
半分こしたたこ焼きをフーフーしながら食べる。屋台の食べ物がおいしく感じるのは、このお祭りの雰囲気でだ。
会場に着くと、すでにたくさんの人が集まっていた。
「花火の見やすい、いい場所探そうぜ」
豹馬は私の手を引いて、人混みの中をスイスイと進んでいく。良さそうな場所を見つけて、あとは花火が打ち上がるのを待つだけだ。
やがて暗くなった空に、最初の一発が花開き、彩る。
大きな音と共に、赤、青、金色……色とりどりの花火が打ち上がる。その光景に目を奪われ、しばらくの間、二人とも無言で見入っていた。
「きれいだね」
「だな。夏って感じだ」
夏の美しい光景を、今この瞬間、一緒に豹馬と見られて何より嬉しい。
(豹馬も同じように思ってくれたら、いいな……)
花火を見上げながら、そんなことを思っていた。
「終わるとあっという間だったな」
最後に花火は一際派手に打ち上がり、終わりを告げる。終わった瞬間、我先にというように周りは帰り始め、夢から覚めたように寂しさが漂った。
私たちもその波に乗る。
「豹馬、今日はありがとう。すごく楽しかった!」
「ん。俺も。来てよかったな。……なまえの浴衣姿も見れたし」
……また唐突にそういうことを言うから、困る。
「豹馬の方が似合ってるけどね」
「照れ隠しが下手くそ」
「うぅ……」
そんな言い合いも楽しくて、駅までの道をまだ帰りたくないなぁと歩く。
「ねえ、もう一つの駅から帰らない?そっちの方が空いてるだろうし」
最寄り駅よりは少し歩くから、この人混みより混雑はマシなはずだ。……本当は豹馬ともう少しこのまま歩きたいからだけど。
「俺はいいけど、下駄で歩いて大丈夫なのか?」
「大丈夫!靴擦れもなってないし」
人の流れから外れた道を行く。歩いている人たちはいるものの、ぽつぽつとまばらだ。話し声も少なくなり、辺りは静かになった。
「夏の夜って感じだね」
「そりゃあ夏の夜だからな」
夜になってもまだ蒸し暑いけど、この雰囲気が好きだ。
「……来年も観に行きたいな」
「来年も、観に行こうぜ」
その言葉と共に、繋いだ手がぎゅっと握り締められた。
「……約束ねっ」
答えるように私も握り返す。なんだか照れくさくなって、お互い無言になってしまった。
「雨……?」
先に沈黙を破った私の言葉は、ほぼ無意識なものだった。頬にぽつりと感じたのは水滴だ。
「通り雨か?」
豹馬も繋いだ手とは反対の手のひらを空に向ける。最近の天気は不安定だ。強くならないといいねなんて、話している最中にも──
「めっちゃ降ってきた!」
「やべっ。どっか屋根の下、入るぞ!」
雨なんて降らなそうだったから、傘は持ってきてない。それは豹馬もだ。急いでちょうど公園にある屋根の下に避難したけど……
「うわぁ、びしょびしょ……」
短時間で急激に降るゲリラ豪雨では、数分でも全身濡れた。あーあ、せっかくの浴衣が台無し……。
「……ごめん。私が違う駅から帰ろうって言ったから……」
「なまえのせいじゃねえよ。俺も歩きたかったしさ」
薄明かりの中、微笑みながら豹馬は言った。
普段は気まぐれで、マイペースな遅刻魔だけど、豹馬は優しい。
「花火の時に降らなくてよかった」
「だな。……一時的っぽいし、このまま雨が止むのを待とうぜ」
雨雲レーダーを確認しているらしい。スマホの明かりがその顔を照らし出す。
濡れた前髪を手で払いのける仕草が色っぽい。
「……水も滴るいい男……」
「ん?」
「あ、ううんっ」
思わずそんな言葉が口から出て、笑ってごまかした。
首を傾げた豹馬は、そんな私を驚き顔で見てから何故か顔を反対に逸らす。
「豹馬?」
「……その格好はマズイだろ」
「え?」
今度は私が首を傾げた。
「雨で濡れた姿」
ぽつりと言った言葉に、はっと自分の格好を見る。す、透けてはいないみたいだけど……。
豹馬は「……他の奴らに見せたくねぇ。上着あったら着せてやれんのに……」なにやらぶつぶつ呟いてから──
「せめて、ちゃんと髪拭けよ?」
私の手からハンカチを奪って、濡れた髪を拭いてくれる。
恥ずかしいような嬉しいような、どう反応していいかわからず、されるがまま。
胸の高鳴りが近い距離に聞こえてしまいそう。
ただ豹馬を見つめていたら、目が合った。
「…………」
豹馬はなにも言わない。
徐々に縮まる距離。
その一瞬。時が止まったように。あんなにうるさかった鼓動も雨音も、消こえなくなった。