「……おい、これは怪奇現象か」
「ええ?なに言って……」
隣を歩いていた凛が立ち止まったかと思えば、冷静さを装うような声で言った。
――え。
ワンテンポ遅れて、凛が言った怪奇現象の意味に私は気づく。
今の今まで、普通に凛といつもの帰り道を歩いていたのに――気づいたら、私たちは真っ白な部屋にいた。
……!?
「な、なにこれ……。部屋?怪奇現象なら凛の方が詳しいんじゃない……?」
動揺を隠せない声で返す。凛の趣味はホラーゲームとホラー映画の鑑賞だ。
「ホラゲなら脱出ゲームで……このあとキモいクリーチャーが現れて襲ってくるな」
「ちょっ、怖いこと言わないでよぉ!」
シャレにならん。一体ここはどこなの――。
さっきまで耳に届いていた波音も聞こえない、静かな空間。白い部屋にあるのは二人がけの白いソファだけだ。それと……
「あ、ドア!」
凛がドアノブを回すが「……開かねえ」残念ながら鍵がかかっているようだ。ガチャガチャと音を立るだけで、開く気配はまったくない。
「……っ!」
次に凛はドアに体当たりしたが、これもびくともしない。
「私たち、閉じ込められたの……?」
「誘拐っつってもそんな記憶ねぇし、怪奇現象なら神隠しか……?」
いや……この展開、こんな感じの部屋。なんか知っている気がする。
……あれだ。巷で話題の、○○しないと出られない部屋だ……!
思わずハッと凛を見る。
「……なんだよ、その顔」
これが本当に○○しないと出られない部屋だったら……!
噂では○○しないと出られないの○○は、あんなコトやこんなコトなど、いかがわしい条件だという。
え、まさか……私、凛と……?
「……なんで今度は赤くなってんだよ」
「べ、べつに赤くなってないよっ!」
で、でも、まあ……凛は口は悪いけどかっこいいし、ずっと幼馴染みやってきて嫌いってわけじゃないし?
○○しないと出られないなら、それも不可抗力だし?
そこからちゃんとした関係になるのもありかも、なーんて……
『糸師凛が糸師冴のことを褒めるまでこの部屋は出られない』
………………。
「……あ?なんだこのクソみてぇな文章は。ふざけてんのか」
ドアに突然現れた条件を見て、ドキドキそわそわしていた私の思考はスン、と冷めた。むしろ、絶望に落とされる。
そして、間違いないと確信。
「凛……これ、都市伝説の○○しないと出られない部屋だよ。出された条件を達成しないとこの部屋から出られないってやつ……」
「条件を達成しないと……?」
昔はあんなに仲が良くて、凛はお兄ちゃん子だったのに、冴くんが海外から一度帰って来た頃から二人の関係は変わった。
というか、凛が一方的に毛嫌いしているような感じもするけど……。いや、毛嫌いというには生易しい。もはや憎しみに近い。なにがあったのか二人に聞いても詳しく教えてくれないから……そこに干渉したことはない。
そんな殺伐としている兄弟関係に、この条件は絶望的だ。ましてや、一度決めたことは曲げない凛に――
「……クソ兄貴を褒めるぐらいなら死んだ方がマシだ」
……ほらぁ!
「待って、凛。それ本当に死ぬよ!?ここから出られなくて私たち餓死だよ!」
「そうなる前に救助が来んだろ」
「行方不明届け出されたとして、警察もこの場所わかんないって!」
そもそもこの部屋自体が超常現象なんだから!
「なら、お前がその条件とやらを達成しろよ」
「いや、凛がってちゃんと書いてあるし……」
でも、確かに物は試しだ。なにより冴くんを褒めることなら簡単だし。
「まず、サッカーが超上手いでしょ。世界で活躍しててまさに日本の至宝だよね。かっこいいし、アイス買ってくれて優しいし、バレンタインにもらったチョコくれるし……。え、なに?」
今、凛からボソッと「裏切り者」って言葉が聞こえたような……。ムスッとして不機嫌になっているのは確かだ。
「なんかイラっとしたからお前とはもう口利かねぇ」
「!?なにそのちっちゃい子みたいな拗ね方!」
「拗ねてねぇ」
……冴くんをちょっと褒めただけでこうだ。そもそも凛が条件を達成しろって言ったのに、なんだこの理不尽。
「めんどくさい性格だよね!」
「うるせぇ」
「口利いてるよ?」
「……うるせぇ」
◆◆◆
そして、なんやかんや三時間経過した。
「あー……アグレッシブ」
「……ブルー」
「る、る……瑠璃色!」
「……ロック」
「クリス・プリンス!」
「スタジアム」
「む、むー……無気力」
「クリスティアーノ・ロナウド」
……なにもない部屋ではやることがなく(スマホも通じない)あの凛がしりとりに付き合ってくれるほど暇だった。
そして、凛は勉強できないから語彙力はないだろうと高を括っていたら、サッカー用語とサッカー選手に精通しているからか、なかなか手強かった。
「……いつまでやんだよ、このしりとり」
「そりゃあ救助が来るまでですよ、凛さん」
「…………」
わざとらしく言ったら凛は黙った。凛だって、かれこれ三時間は閉じ込められてうんざりしているはずだ。
「ねえ、凛もこの時間無駄にしていると思わない?三時間もあればサッカーの練習も十分できたよね?あ、ヨガならここでもできるとかはなしだよ」
「…………」
先回りしてそう言うと、隣に座る凛からは再び沈黙が返ってきた。長い付き合いに、言い返しそうなことぐらいお見通しだ。
「お腹空いた〜早くお家に帰りた〜い。さっさと条件達成して帰ろうよ、凛〜!」
足をバタバタさせて駄々っ子のごとく言ったら、今度は隣から重いため息が聞こえてくる。
「……あいつへの褒め言葉を考えるだけで吐き気がする」
……え、そこまで?本当に二人の間に一体なにがあったの。
「……別になんでもいいんじゃない?クロスが上手いとかさ」
「あいつぐらいのクロスなら俺にもできる」
「いや、今ここで張り合っても意味ないでしょうが」
凛の横顔からは、珍しく正論を言われたと読み取れた。
「じゃあ……肌が綺麗とか」
「……肌が綺麗なのか?あいつ」
「うん、ちゃんとお手入れしてるって」
化粧水なに使っているのか聞いたら、一般的なもので驚いたのは記憶に新しい。イメージ的に、デパコスとか高級そうなのを使っているのかと思っていたから。
「……」
その何気ない発言が凛の思考を動かしたらしい。その口がゆっくり開く。
「……下まつ毛の数が、俺より1本多い」
…………。
そうなの!?糸師家はみんなまつ毛長くてバサバサで遺伝子強いなぁって思っていたけど、二人の下まつ毛の数なんて今まで注目したことがなかったよ!(てか、それって褒め言葉?)
「ちなみに凛の下まつ毛は何本なの?いち、に……」
「っおい、近すぎ――」
「……あ、あれ」
凛の下まつ毛を数えようとしていたら……いつの間にか元の帰り道に戻っていた。
「まつ毛、褒め言葉として認識されたんだね……」
「出すなら出すってなにか合図しろよ……つーか、ドアからじゃねえのか」
スマホの時計を見ると、あの部屋に閉じ込められてから時間はそう経っていなかった。
でも、私たちの身に起こった出来事は夢ではなく、三時間ぐらいは閉じ込められていたのは事実だ。何故なら……
ぐうぅ〜〜
「でかい腹の虫飼ってんな」
「しょうがないでしょー!お腹空いたんだもん……」
私の空腹感がそれを証明している。
「なにか食って帰るか……」
「賛成!凛はなにが食べたい?」
「茶漬けが食いてぇ」
「じゃあ橘屋だね。凛は鯛茶漬け?私、今月ピンチだから梅茶漬けかなぁ」
「……奢ってやる」
「本当!?やったー」
――その数週間後。
「もう、冴くん信じてないでしょ!本当にあの○○しないと出られない部屋に凛と閉じ込められて、大変だったんだから……」
「で、エロいことして脱出したのか」
「断じてしてねえですっ!」
今日は、久しぶりに日本に帰ってきた冴くんの買い物に付き合っていた。
その時の出来事を話してみるも、冴くんはちっとも信じてくれない。いや、確かに信じがたい話だけど……。
「してねぇならそれでいい。責任が取れねえうちは止めとけよ。さすがに俺も庇えねえ」
「もうっ、話はそこじゃなくって!」
凛がそんな無責任な男じゃないことぐらい、兄の冴くんが一番よく知っているだろうに……。って、そもそも私と凛はそういう関係じゃないけどね!
「……ちなみに、その部屋ってどんな部屋なんだ?」
「真っ白で、なにもないような空間の……」
「こんな部屋か?」
――嘘でしょう。
気がついたら、あの時とまったく同じ部屋にいた。違うのは隣にいる人物だけ。
「さっき説教くさいことを言っちまった反面、健全な条件だといいな」
凛の冷静さを装うとした声とは違い、一切動じずクールな声で冴くんは言った。対して私は、頭を抱える。
(糸師兄弟と閉じ込められるのは災難でしかない)