姉ちゃんの言ってた通り、午後から土砂降りの雨になった。
今日はちょうど部活がない日だが、どのみちこの雨ならサッカーはできないだろう。
すでにじめじめとした湿度を感じながら、ズックから靴に履き替える。もう少ししたら梅雨が来るのか、と考えるとうんざりした。運動して汗をかくのは好きだが、湿度が高い暑さは苦手だ。
学校から外に出ると、湿っているが冷たい空気を感じ、外の方が涼しくて心地いい。
一人、また一人と生徒たちは傘を差し、どしゃ降りの雨の中へ歩き出していく。
俺もその中の一人で、前のやつと同じように、一歩前に出て傘を差そうとしたところ――……ん?
横目に映った女子生徒の姿に、違和感を覚えてそちらに視線を向けた。
まっすぐ前を見据える女子生徒は、やけに力強い眼差しだと思った。違和感はそこではなく、何故か準備運動をしているところだ。
そして、リュックを頭の上に抱えると、まるで「よーい、ドン」のスタートで走り出す、走者の体勢を取っている。
(おいおい、まさか……)
グッと身体に力を込めた瞬間、「なぁ」俺は女子生徒に声をかけた。
彼女はその体勢のまま、顔だけ半分こちらに向ける。
「なに?」
平淡な、愛想のない声は不機嫌なようにも感じられた。声かけのタイミングが悪かったのかもしれない。
「もしかして……いや、もしかしなくても、この雨の中走って帰るつもりか?」
「そうだけど」
彼女からの答えは「当然でしょ」という雰囲気がビシビシ感じられた。
その心意気は感心するが、女子がこのどしゃ降りの中を走って帰ろうとするのを、見過ごすことはできない。
「よかったら……一緒に傘に入ってかねえか。俺の傘でかいし。家まで送る」
傘がでかいのは、俺の身体がでかいのに合わせてだ。彼女は小さいし、二人並んで傘の下に収まることはできるだろう。なんなら、俺の肩が濡れても問題はない。
「私、陸上部のエースなの」
…………。
何故か、唐突にそんな自己紹介をされた。
「……俺は、サッカー部のエースだ」
そして、何故か俺もそんな自己紹介を返した。
そっちから先に言ってきたことなのに、不思議そうに首を傾げる彼女の反応に恥ずかしくなってくる。
「私は、最高速で走って最短で帰るから傘は必要ない――という理由に説得感をもたらすため、陸上部のエースって名乗ったけど……サッカー部のエースって?」
「いや、忘れてくれ。なんかノリで言っちまった。それより、どんなに速く走ったって普通に濡れるだろ。滑って危ねえし」
「濡れる時間は短い」
「短くても濡れるし、濡れねえことに越したことねえだろ」
「なんであなたは私が濡れることをそんなに気にするの」
「なんでって……そりゃあ」
知り合いでもないのに、と彼女は続けていった。
「雨に濡れたら、風邪をひくかもしれない。それに、女子は身体を冷やすとよくないって、姉ちゃんから聞いたことがある。それが理由だ」
「……」
逆に、なんでこのどしゃ降りで濡れることを選ぶのか聞こうとして――気づいた。
「……わりぃ。俺と一緒に傘を入ったら、その……相合い傘になっちまうよな。今、気づいた」
彼女の拒んでいた理由はきっとそれだ。彼氏でもない男と相合い傘をしたら、変な噂が立つかもしれないし、単純に知らない男と相合い傘をするのは嫌だったのかもしれない。俺は良かれと思ってしたことだが、これでは善意を押しつけていることになる。
「でも、濡れてほしくねえって思ってるのは本当だから……よかったら、この傘は使ってくれ」
「……そしたら、あなたが濡れる」
「俺は丈夫だからきっと風邪ひかねえ。それに――サッカー部のエースだからな」
その言葉を最後につけ加えたら、
「……なにそれ」
ずっと無表情だった彼女の顔が、ふっと緩んだ。
今のは間違いなく笑顔だ。その一瞬、周りが明るくなって、雨の音が遠のいたような気がした。
「傘、入れてください」
なんの心境の変化か、唐突に丁寧な言葉で彼女は言った。
「……うす」
戸惑ったが、ちょっと嬉しい。短い返事と共に俺は傘を差し出した。
すでに帰る生徒たちは疎らな中、一つの傘に入って俺たちは歩き始める。
…………
やけに雨音が耳に響くような気がした。
沈黙に気まずく思っているのは、俺だけかもしれない。
思えば、女子と相合い傘をするのは初めてだった。
今さらながら、この状況を意識して緊張してくる。
「……國神くんは家、どこなの?」
「ああ、俺の家は――……」
住所を教えると、彼女の方も「よかった。私の家もその途中にあるから」と教えてくれた。それよりも……
「なんで俺の名前を知ってるんだ?」
彼女と俺は、初対面なはずだ。
「だって、サッカー部のエースなんでしょう」
「一応、そうだが……」
「サッカー部のエースっていったら一年でなったって有名人で、名前だけは知ってた」
……そうか。俺は有名人?なのかと思うと、不思議な気持ちになってくる。
「あと、私の友達が筋肉フェチで、よく國神くんを盗撮してた」
「ちょっと待ってくれ。…………最後のは、ダメだろう」
どう考えても。筋肉フェチも驚いたが、盗撮は犯罪だ。いくら相手が男の俺でも、それはダメだ。
「大丈夫」
彼女が顔を上げた瞬間、至近距離に目が合い、ドキッとする――。
「勝手に撮るのはよくないって写真は消去させたから」
そして、微かに口角が上がっている。もしかすると、彼女なりの冗談だったのかもしれない。
「……名前」
「?」
「……すまん。名前、俺は知らなくて」
彼女は「あぁ」と、なんてことのないように呟いた。
「名字なまえ」
「いい名前だな」
「なにそれ」
あ、またくすって笑った。なんか、……名字さんが笑ってくれると嬉しい。最初にそっけない反応をされたからだろうか。
「私の家、あそこだからここで」
名字さんは自宅を指差す。ちょうど雨も弱まって、この距離なら傘なしでもそんなに濡れはしないだろう。
「送ってくれてありがとう。じゃ」
「おう」
帰り際もそっけなく、傘から出た名字さんは小走りになり……途中でその足は止まった。
「……雨の中、走って帰るのも構わなかったんだけど」
振り返って、俺を見る。
「でも、國神くんに興味持って話してみたくなった。噂通りの人だね」
その言葉を最後に、名字さんは駆けて行ってしまった。
――面食らったように俺は、その場に佇む。
興味?噂通り……?
噂通りの人ってどんな人だ。
気になってしまう。その言葉の意味も、――彼女のことも。
雨の日に、俺はちょっと変わった女の子と出会った。