高校一年の夏の出来事だった。
「ねえ、二子くん。勉強教えて!」
そう唐突にクラスメイトの女子にお願いされたのは。
「………………」
――長い前髪で隠れた眼が、彼女を見上げる。
名前は確か名字なまえ。
同じクラスだが、席も離れているし、まともに会話をしたことがない。
それが何をどうしてか自分の席に近づいてきたと思えば、急にお願いごとをされた。
「……何故、僕になんでしょうか」
しばしの沈黙のあと、二子は疑問を尋ねた。
接点のない人間に勉強を教えてもらおうとする理由がまったくわからない。
しかもなまえは、自分とは真逆のグループに所属している人間だ。
明るくて、社交的。それこそ、そんな彼女が頼めば勉強の一つや二つ、教えてくれる友達もたくさんいるだろうに。
「だって、二子くん。クラスでトップの成績だから!」
満面な笑顔でなまえは言った。
……なるほど。彼女的には餅は餅屋という理屈でしょうか。
「私、今度のテストで赤点取ったら夏休み、補習で潰れるの。お願い!二子くん勉強教えて!」
両手をぱんっと合わせて、懇願する彼女。
夏休みに補習とは、なかなかの切羽詰まった成績だ。なまえが勉強できないのも二子は初めて知った。
困ったものの、すがるような眼を無下にするのも気が引ける。(特別、断る理由も見当たらないですしね……)
「いいですよ。僕でよければ」
「やったー!ありがとう!」
無邪気に喜ぶ姿に、二子も満更でもない気持ちになった。日時はお互い部活に所属しているので、休みである日曜日に決まった。次に場所も決める。
「ちゃんとお礼するから、何がいいか考えといてね!」
その言葉に「まあ、食べ物を奢ってもらうぐらいが妥当でしょうか」と考えた。
一般的な高校生男子なら女子からのお礼と聞いて、あれやこれやと悶々するかも知れないが、二子は草食系男子ど真ん中である。
こうして、なまえに勉強を教えることになった二子だったが、引き受けたことに少し後悔していた。
「君はなぜ、そうひねくれた答えを出すんですか」
「えーひねくれてないよぉ。人間としてのもっともな答えじゃない?」
「人間としてではなく、テストは想定された論理的な答えを導き出すものですよ。はい、やり直し」
なまえの答えはぶっ飛んでいた。まるでとんちでよくこれで中学を卒業できたなと思う。
しかもなまえが自分に勉強を教えてもらおうと思ったのも。
クラスで成績トップ→きっとすごい勉強法を知っているに違いないという思考からだと判明した。(日頃の積み重ねの成果です。失敬な)
「勉強は地道に理解するのが一番の近道ですよ。どんなに物覚えが悪くても、反復すれば人間覚えるものです」
「二子くん、意外と毒舌だよね……」
「自分ではこの程度毒舌に入らないと思いますが……。さあ、この問題集を解いてみてください」
「……二子先生、厳しい」
なまえはなまえで、教えてもらう相手を間違えたかもと少し思った。なかなかのスパルタに――
「つかれたぁ〜」
終わる頃にはぐったりだ。
「ほら、だれてないで名字さんも片付けてください」
机に頬をつける彼女は、ふと見上げるように二子の顔を覗き込む。
「……なんです?」
「この角度からなら二子くんの目ー見えるかなって思って」
「残念ですが見えませんよ。僕の前髪は鉄壁なんで」
「なんで目隠してるの?コンプレックス?」
「まずその聞き方が失礼ですね」
「あ、ごめん。確かにでした」
素直に謝ったなまえに少し意外に思いつつ、二子は先ほどの質問に答える。
「眼は口ほどに物を言うって言うでしょう」
「うん」
「眼を見ればどんな人物かわかってしまうから、だから僕は隠すんです」
「……ふうん?」
なまえはわかったようなわからないようなそんな声を出した。次にはっと慌ててペンケースで目元を隠す。
「……。何してるんですか?」
まるで黒い横線で目元を隠してる匿名人だ。
「だって、目を見られたらどんな人物かわかっちゃうんでしょ」
「もう遅いですよ」
「じゃあ二子くんから見て、私ってどんな人物?」
「そうですね……名字さんは……」
二子は考える素振りをしてから思ったまま口にする。
「明るく、社交的なのは見てわかりますが、自分をちょっとよく見せすぎな所がありますね。本当は大雑把だったり。あとお馬鹿です」
「……。ねえ、辛辣すぎない?」
というかそれって目を見てじゃなくて、一緒に過ごすようになって気づいたことでは?
「さあ、帰りますよ。……遅くなってしまったので送っていきます」
――誰に対しても敬語を崩さず、前髪は鉄壁カード。大人しいかと思いきや、結構ズバズバ言ってくる。
……でも、なんだかんだ面倒見はいいし、遅くなると送ってくれて優しい。
いや、責任感が強いのかもしれない。
それれなまえが、二子に勉強を教えてもらいながら知った一面。
一番驚いたことは、いかにもインドア派っぽいのに部活はサッカー部所属だということ。
てっきり文科系のお堅い部活に所属しているとばかり思っていた。
「二子くん、サッカー好きなの?」
「その質問はおかしいですね」
ある日の勉強会に、なまえが聞くと、二子はふっと笑いながら答える。
「好きじゃなければ、やっていないですから」
眼は見えなくとも、その笑顔に「ああ、二子くんは本当にサッカー好きなんだな」と彼女は知った。
「まあ、体格も僕はスポーツをやってるようには見えないので、意外に思うのも無理ないですが……」
「ちなみにポジションは?」
「FWです」
「……花形だね。二子くん、めっちゃサッカー上手いんだ」
「君。めちゃくちゃ意外という顔しましたね」
笑ってごまかすなまえに、短いため息を吐く二子。
「……一応、僕も鍛えているんですが、体質かあまり成果が見られないんです」
それは二子の悩みの一つだ。テクニックなら持ち前の理論的思考で、どのように磨けばいいか導き出せるが、肉体改善はなかなか上手くいかない。
「サッカーって体力すごい使いそうだもんねえ」
「ええ、スタミナ切れはパフォーマンスを大幅に下げますから」
そっかーと頷くなまえ。自身のサッカーの悩みについて話しても、彼女は面白くないだろう――話題を変えようと二子が思ったとき、
「わかった!」
何がわかったのか、なまえは明るく声を上げた。
「動かなければいいんだよ!ゴール前に待機してさ!」
妙案という風に言ったなまえだが、とんちんかんなものである。
「……君、サッカー観たことあります?」
にわかなのか。
「あるよ。ノエル・ノアとかかっこよくて好きだし」
にわかだ。
「一応、説明しますが、サッカーは11vs11でやるスポーツです。キーパーを除いて20人がフィールドにいて、攻守は一瞬で変化します。状況に応じて瞬時にポジショニングをしなければならないので、棒立ちなんてできませんよ」
そう分かりやすく二子が説明すると、なまえはおお〜と納得したように頷いた。
「でも、二子くんって勉強教えてくれる時も、答えを上手く誘導してくれるように教えてくれるじゃん。そんな感じにこう……ボールが自分とこへ来るようにできないの?」
「勉強とサッカーは違いますよ……」
二子は呆れる。そんな他人を支配するような……
(……いや、他人を支配することはできなくとも)
ゲームを支配することはできるかも知れない――
今まで二子がFWとして活躍してきたのは、"的確にフィールドを把握できる"この眼があったからだ。
いち早く敵味方の位置を把握し、ポジショニングにし、ゴールへと結びつけてきた。
この使い方を変えて、自分が有利に動けるようにすれば――体力温存にも繋がるかも知れない。
(……そうか。相手の土俵に立って戦えるようになるんではなく。自分の土俵で戦えるようになればいい)
二子の頭に発想が浮かんでくる。
「二子くん……?」
「名字さん。ナイスです」
「(ナイス……!?なにが!?)」
「すみません。勝手ですが、考えたいことができてしまって……。今日の勉強はここで終わりでいいでしょうか?」
「も、もちろん。教えてもらってる側だし、二子くんの都合に合わせるよ」
「ありがとうございます」
丁寧にお礼を言う二子に、なまえは不思議そうに首を傾げた。
◆◆◆
二人は勉強以外では同じクラスでも特に会話を交わさない。
友達グループも違えば、話すことも特別なし。
(あれ、二子くんからだ)
でも、連絡先は交換しており、珍しく二子からメッセージが届いた。
『すみません。今度の日曜日はサッカーの試合があるので勉強会はお休みにさせてください』
同年代のやりとりというより、文面が業務的だ。くすりとなまえは笑いながら、了解と返信を打とうとしたところ。
ぽんっと新たなメッセージが届いた。
『よかったら練習試合観にきませんか?』
そのメッセージを見て、今度はにっこり笑った。
「行きたい!っと」
――日曜日。晴れ空の下、×××高校対勿忘草学園の練習試合が始まった。
ちゃんとサッカー試合を観戦するのは初めてだ。
ルールもそこまで詳しくない。
……詳しくはないけど。
目立っていないのに、二子がチームの中心にいるのはわかった。
「ああっ惜しい……!」
ゴールへのチャンスは、必ず二子が関わっているからだ。
反対に言えば、二子が大きく動く時、チャンスも同時にやってくる。
二子が味方からのパスを受け取った。
今まで二子を起点のパスによって、シュートが生まれたのだ。敵チームはパスを警戒する。
――その裏をかいた。
ディフェンスが片寄り、空いたスペースに二子は駆け上がる。
「二子くーーん!いっけーー!!」
聞こえるように大きく叫んだ。
ゴールキーパーが前に出る。それよりも早く蹴ったボールは、その頭上スレスレに飛んで、ゴールに突き刺さった。
「やったーー!!」
興奮に思わず跳び跳ねて喜んだ。ポジションはFWと言った彼に、ちょっと疑ったことを心の中で謝る。
ゴールを決めた彼はまさにFW。
きっちり仕事を果たす。
惜しくも試合は同点という結果に終わってしまったが、二子の顔はやりきったようにも見えた。
「二子くん!すごいね!ゴール決めたね!めっちゃかっこよかったよー!」
「……そう手放しに褒められると照れますね。名字さんの声援もちゃんと聞こえてましたよ」
続けて二子は話す。
「結果は同点という、残念なものになってしまいましたが、得られたものはありました。僕の新しいプレーが生まれたのは、名字さんのおかげです」
「……私?」
何かしたっけときょんとんとするなまえに、二子は微笑む。
「いつも突拍子のない人だと思ってましたが、名字さんは水平思考の考えの持ち主かもしれませんね」
「ラテラル……?」
「名字さんのあの発想はまさにそれで、ロジカルな僕には思いつきませんでした」
「ロジカル……??」
ロジカルな僕と、ラテラルな君の考えがあれば、解けない問題はないかも知れない――。(……なんて。それは大袈裟ですね)
「さあ、次は君の番です。勉強の成果を楽しみにしてますよ」
「……ベストを尽くす」
だが、相性が良いのは確かでは?と二子は密かに思っていた。
◆◆◆
「じゃーん!見よ、赤点回避!」
テストの結果を二子に報告し、これで夏休みは遊べる〜と喜ぶなまえ。「ちゃんと日頃から勉強をしないと、また同じことを繰り返しますよ」と、二子は水を指す。
「その時はまたよろしくねっ、二子先生」
「君は調子いいんですから……。僕にも僕の都合があるんですよ」
「えー。……でも、今回赤点回避できたのは全部二子くんのおかげだから、本当にありがとう!」
今度は素直にお礼を言う名字に、気が狂いますね……と二子は思う。
「そうだそうだ!お礼!何がいい!?」
「ああ、お礼ですか。そうですね……」
二子は考える素振りをする。当初の考えていたお礼とは違う内容。
「今度、映画でも観に行きませんか」
……映画?
「別にいいけど。それって……デートのお誘い?」
「……そう捉えていただいても構いません」
「え、ホント!あれですか……私のことが好きになっちゃった、感じ?」
……そう直球で来ましたか。
「前に言った通り、名字さんの考え方は僕にはないもので、逆もしかりです。互いに有益ですし、親密な関係を築けていけたらと思ってます」
「……まどろっこしくてよくわかんないんだけど。嘘でもそこは好きって言ってよ!」
「僕は嘘で好きなんて言いません」
だから、これは……
「僕は……名字さんが好きです。僕と、付き合ってください」
嘘ではない。本当。
「……こ……告白って、目を見て言うものじゃない?」
「目を見て言いました」
「わっかんないよ!」
確かに二子としてはまっすぐなまえの目を見つめて言った。長い前髪の下から。
「目……二子くんの目見せてくれたら返事する!」
「では、次のテストで名字さんが100点取ったら見せてあげます」
「なにそれ!?返事欲しくないの!?」
「君の目を見たら大体わかりましたから」
「……!?」
「いや、だから隠してももう遅いですよ」
目を見なくてもその反応でわかってしまうが。
なまえが100点を取るにはまた二子から勉強を教わることになり、この関係の行く末が、すでに二子の頭の中には思い浮かんでいる。
意外にも自分は恋の駆け引きが上手いかもしれないと、二子は新たな自分を発見した。