陰陽師/史実

藤原 瑠璃(ふじわら の るり)は、平安時代中期の公卿、陰陽師。藤原北家閑院流、大政大臣藤原公季の次女。従二位、少納言。

藤原瑠璃

時代 平安中期
生誕 天元3年(980年)
死没 不明
官位 従二位、少納言
主君 一条天皇
氏族 藤原北家閑院流/藤原北家閑院流璃堂家
父母 父:藤原公季、母:有明親王の女
兄弟 義子、実成、如源、瑠璃、親賢、信覚

女の身でありながら姉・義子のような女御ではなく一介の政治家として一条天皇に仕えて従二位、少納言へ昇った後、行方を晦ましたとされる。1986年に東京にある森中で人が穴を掘っていた際に瑠璃のものとされる帳簿を発見して大ニュースとなり、一気に瑠璃に関しての情報が出揃い始めた。瑠璃は天皇・家族の元から行方を晦ました後に時の高名な陰陽師である安倍晴明の元で師事し、陰陽師となった、という風に解釈されている。また当主が歳若い女であるということで話題になった璃堂の祖と言われた。陰陽師となってからは妖の力を借りつつ暮らしていたと書かれており、その中で最も損傷の激しかった部分をどうにか復元してみると、茨木童子や白黒無常という言葉のようなものが出てきており、その先の解明が急がれている。
余談だが、早くに離れてしまった姉はさておき、所謂ブラコンと解釈されている(日記に兄弟の話題が多いため)。