absolute lorelei
 手持ち無沙汰になった両手を、ぱ、と広げて月に翳す。「ふーくん、」とぼんやり名前を呼んだ相手は億劫そうにこちらを振り向いて目を細めた。自分の謎の感傷に浸る期間というのは付き合いの長い人間ならば皆知っていることで、それは近藤さんや土方さん、ふーくん、鈴鹿も承知の上。変なところで急回転してしまう頭の中を自分でも理解しきれなくて溜息をひとつ吐いて、早く行かなければ土方さんにどやされるぞ、というふーくんの言葉に項をかきながら頷きを返す。

「……ね。名前、呼んでよ、二葉」
「お前は、時折分からないことを言う」
「良いでしょ。女の子は複雑なんだよ」
「――司咲」
「ふふ、うん。ありがとね、ふーくん」

 いつの間にか立ち止まってくれていたふーくんの有難さと、その顔に浮かぶ仕方ないなという感情には見覚えがある。自分の人生はボーダーに捧げているし、これからボーダーがどうなろうとも骨はボーダーに埋めるつもりではあるけれど、それでもやっぱり隊の人たちは別枠で大事だ。その中でもふーくんは、幼馴染であって、同い年であって、そしてこのボーダーの中でも同期である。ベイルアウトという機能が完成する前、まだ本部が玉狛であった頃。わたし達は手を繋いで、命を投棄する大人たちをじっと見ていた。死んでいく大人。死んでいく青年。震えたって座り込んだって時間は待ってくれなかったから、ただ、強くなるしかなかった。幸い、わたし達にはお互いが居たので、良かった。
 こつりと黒のローファーの音を響かせてふーくんの隣に並び、わたしと真反対の瞳を覗き込む。

「はあ……司咲」
「なあに」
「寂しいのは分かった。……ほら、」
「! ……ふふ、」

 ゆっくりと差し出される手を見ると、なんだか、昔のことを思い出してしまった。わたし達の世界が、わたし達だけで確立されていた時のこと。人が死ぬのはもう見たくなくて、どうしてここに居るのか分からなくなると、お互いに励まし合って。――だからきっと、この関係は心地よいままで、恋にはならなかったのだ。ふーくんに彼女が出来たら嫉妬するだろうし、ふーくんもわたしに彼氏が出来たらそれなりに嫉妬するだろう。いや、自意識過剰な訳ではなく、本当に。

「ごめんね。行こっかふーくん」
「遅い」
「ごめんってばあ」

 近藤さんの居ない近藤隊を見るのは、そこに居るのは、辛いし、辛かった。それでもまだあの場所に立っているのは、ふーくんと、土方さんと、鈴鹿のおかげだ。ずっとずっと昔から、大切だった気がする。100年とか、それくらい、それよりもっと、昔から。
 こつり、こつ、こつこつ。取られた手をぐんと引っ張って走る。「おま、え、……っ司咲!」と後ろから聞こえてくる声は無視だ。

「間に合わないんでしょ?」
「誰の所為だと思っている……!」
「わたしの所為かな」

 ブレザーが夜風に揺れる。わたしの瞳の赤とも、ふーくんの瞳の青とも違う月の黄金がわたし達の黒い髪を照らしていた。