天災というものは何時いかなる時に起きても可笑しくない存在だ。ふと空を見上げた時に、空が灰色になっていれば「雨が降るかもしれない」という事はわかるだろう。しかしその雨がどれくらい降り、どれくらいの威力を持ち、どれくらいの粒の大きさなのか等を予知することは殆ど無理であると言える。
ならば人間はどうやってそれらを凌ぐのか。
或いは対策などはせず全ては神の御心に任せるのか。
つい先日、大雨が降り注いだ。
降り始めは威力の弱かったそれらは次第に力を増していき、遂には足先一寸以上を見渡すのが困難な程にまでなった。
台風だ。
春から夏への季節の変わり目に起きたそれに、沢山の村が窮地に立たされた。
強風、豪雨に稲がダメになってしまった田んぼは数知れず。
川の傍に集落を持つ村などは絶望的で、上流から水かさの増した川が流れては家屋を薙ぎ倒した。ひたすら神に祈るもの。豪雨の中を逃げ惑うもの。川の流れに身を任せるもの。それぞれがそれぞれの最後を迎え、他の者が死んでいるのか、生きているのか等気にしている暇もない。
しかしどのような悪天候でも、いずれは晴天が訪れるのだ。
そうして嵐が明けると、運良く生き残った者たちはその明けた空に涙を流し、再び集落を立て直すため働き始める。村と村同士で繋がりのある場所では、それぞれの元へ片付けの手伝いに行くことなど何も珍しい事ではない。
「吉田さん。そろそろご近所さんとこ行きましょうや」
「はあ。此方は粗方片付きましたもんねえ」
「働き手は幾らあっても足りねえもんだから、此処で恩を売っておいても損は無いでしょう」
恩を売るなどと聞けば印象は悪いかもしれないが、しかし無償で働くような余裕のある者は此処にはいない。そんなのが許されるのはよっぽどの裕福層だけなのであって。
村の男を幾人か連れ、吉田は隣村へと向かう。
数十分ほどで辿り着くその村は、昔から何かと交流の多い村だったため、無碍にも出来なかった。それに異論を唱える者も、勿論いなかった。
「見てください。こんな所にまで木片が流れてきてます」
あれほど綺麗に育っていた稲たちをすり潰し、家屋の残骸が田んぼのあちこちに散らばっている。恐らく濁流の被害を諸に受けてしまったのだろう。自分たちが其処に住んでいたらと思うと背筋が凍るような思いだ。
「こりゃあ、生きてるかどうか怪しいもんだ」
「葉山さん、そんな事口にするもんではありませんよ」
男たちの会話を聞きながら、どんどん村の方へと歩いていく。
泥に塗れぬかるでいる道は、酷く歩き辛かった。
やがて村に着き、辺りを見回す。
最早原型を留めていない何らかの残骸たちがそこかしこに散らばり、先端を尖らせた木材が地面に突き立っていた。
「おい!あそこを見ろ!」
不意に、男の一人が声を上げる。
ざわざわと騒めきながら人差し指の先を辿れば、ぼろぼろな姿の女が座っていた。
なんと、人が生きている!
どんな奇跡に守られれば、このような中で生きていられるというのか。
「ちょっと、あんた!」
一斉に駆け寄り、女の顔を覗き込む。
泥に汚れているが、酷く美しい容貌を残した女は、夢うつつのように何かをぼやき続けていた。どうも、頭がおかしくなってしまっているらしい。このような事があれば大切なものを失ってしまい、そうなってしまうのも何も可笑しい事は無い。聞こえづらい言葉を聞き取るために、口元に耳を近付ける。
周りの男も、息を呑んで、それきり潜めた。
虫の声すらも遠い場所のように感じた時。
「――――きはちろう、」
女が、誰かの名前を呟いた事だけがわかった。
* * * *
実のところ、全てを覚えているのだ。
3歳の頃に災害に見舞われ、目が覚めると見知らぬ夫婦に拾われ、見たことも聞いた事も無い国の隠れ里で忍術を学び、紆余曲折があって師匠なる存在に拾われたその全てを。
いっそのこと忘れたかった。
せめて、最後の瞬間だけでも。
爆発によって起きた煙幕で見えなくなる前、あの人は笑っていた。僕を逃がす癖に、あの人は死んでしまった。そして再び、僕はこの世界に戻ってきた。
見知らぬ村で倒れているところを、おばあさんに拾われて以来ずっとお世話になっている。何故なら死んだときに14歳ほどだった僕の身体は再び7歳くらいまで縮んでいたからだ。最早自分でさえも己が幾つかなど解らなくなってしまっていた。
小さな身体で一人生きていくのは難しい。
だから僕は、この平和な世界でおばあさんと一緒に過ごすことを決めた。
「喜八郎」
「はい。おばあさん」
布団の中からゆっくりと出てきた手を握りしめる。枯れ木のようにやせ細った、土色の手は酷く冷たかった。
きっと、これが最後なのだろうと悟る。
人の死には敏感だった。
「…お前は、聡い子ですね。きっと私の想像も及ばないような人生を、その齢に見合わず送ってきたのでしょう」
「……おばあさん、」
「その力を、むやみやたらに使ってはなりませんよ。…その力は、無いものなのです」
喋るのが苦しいのか、咳き込むおばあさんの手を摩る。
弱弱しく握り返してくる手に、ほんの少し眉が下がったのを自覚した。
「きはちろう、」
「……はい、」
「―――自由に、生きるのですよ」
「、」
――結局、それが最後の言葉だった。
また僕は置いて行かれる側になってしまったわけだ。
(最後の言葉まで似る事ないのに)
穴を掘る。
おばあさんはその昔、とても有名な城に仕える凄腕忍者だったらしい。落とし穴やトラップの名人だったらしく、全てを僕に教えてくれた。家族の居ないおばあさんにとって、僕は本当の息子のような存在になれたのだろうか。
穴を掘る。
おばあさんに教えてもらったもので、おばあさんを弔うための穴を掘る。
『喜八郎。お前を一人前の忍と認め、弟子の枠から外す。お前はもう自由な鳥だ。どこへなりとも行くといい』
そう言って笑った師匠の姿を、今でも夜に見る。